プロット 熱田神社落成式(Ver.2.80913)
稲葉山城
城下町の区割りと基礎工事を指示してから、関白を連れて尾張に向かう。
坂井政尚に精鋭兵を預け北伊勢の援軍に命じる。
蜂谷ほかマムシについてきたものを馬廻りに加える。
加治田衆の佐藤忠能の嫡男が死んだので、
マムシの息子斉藤利治と養子縁組させる。
龍興は甘やかされていたようで、ぶくぶく太っており、
毎日マムシに扱かれてヒィーヒィーいっている。
斎藤家の当主になるのは、今後の心がけ次第である。
日根野は進退をどうするかをまだ迷っているようなので。
とりあえず、丹羽の手伝いをさせる。
清州城到着
村井に落成式の準備・宣伝について問いただす。
神社内の施設はほぼ完成しており、
施設の内装及び人員の準備は滞りなく進めている。
物販及び巫女などの人員の手配も終わってるので、
後は、信長の面接及び指導待ち。
相撲はすでに土俵はできており、
尾張・美濃だけでなく三河にも瓦版をつかって
募集をかけている。
舞台も完成し、役者の手配は終わていると
津田宗久から便りがああった。
本人も当日、堺商人たちを連れてくるとこと。
参道の屋台及び門前町の販売店も当日まで十分に間に合う予定である。
出す料理については、信長に味の確認と販売価格に関して、
打ち合わせしたいと商人から願いがある。
同じく各工房からも販売物の確認の願いがきている。
富くじの準備及び賭場の建設も秘密裏に実施している。
関白をつれて各工房を回る。
「細工工房」
扇子、団扇、櫛、簪、竹串、竹籠、藤籠、葛籠、水筒、
小物入れ、桶、樽、箸、匙、フォーク、竿
「鍛冶工房」生活道具
包丁、小刀、蚤 鉋、鉈、斧、鎌、鍬、鋤、
鍋、鑢、鋏、錐、千枚通し、鉄串、針、釣針
「陶器工房」
茶碗、壺、土鍋、陶器、皿、ぐい飲み
「ガラス工房」
器、皿、おはじき、瓶(全て不透明、色付き)
「漆塗り工房」
漆器、盆、提灯、行灯
「出版工房」
絵物語、写本、絵画・書の掛け軸、おみくじ、お札
「繊維布糸工房」
糸、綿、木綿、生地、反物、麻袋、巾着、綱、釣り糸
座布団、掛布団(羽毛)、敷布団(木綿)、お守り
他の工房とも協力しなければならないものが多いので、
今後は分業制も考慮し、製品別に工房を設置するととなる。
また、部品ごとの下請け工房も必要だろう。
親方連中には、武器と試験開発部門は美濃に移すことになり、
尾張に残るものは、親方として工房の設立を命じる。
(資金は尾張銀行が出すが、商人たちにも出資を命ずる。)
関白様に商品を見せて評価を聞く
各商品は丁寧な仕事がなされており、十分な値がつくだろう。
ただ、京に入ってくるものくらべるとどうか?
商品ごとに特色を変えているので面白いと評価する。
これを一箇所で買えるとなると、
各地の商人たちも集まってくるだろう。
陶器には面白いものあり、個人的に欲しいものもある。
ただ、すぐに値がつくようなものでは無いだろう。
「この小さいお椀は何か」と聞かれ、
これは「ぐい飲み」であり、
清酒の透明度を楽しむものだと説明したら、納得した。
固形石鹸ができたので試させみると、びっくりしていた。
今後は、油の質を上げたり香料をまぜてみたりして、
高級石鹸を作る。
目利きの商人も来るであろう、
あとから価値が上がり他の商人も集まっていけばいい。
関白様は京の公家たちに見物にくるよう手紙を出していた。
陶器工房では、依頼すた「亡国の遊戯」が
注文どおりできていた。
稲葉山城にも遊戯部屋の設置を密かに命じている。
関白様や帰蝶にも今は内緒にしている。
熱田神社の神官たちとの打ち合わせ
まずは、建設後の神社施設を視察、
やはり一流の大工、見事すぎる程の出来栄えであった。
不足なものがないか確認し、あったらすぐに発注するよう命じる。
巫女の試験(書、計算、容姿)を確認し、面接する。
武家、豪農、商人の娘が集まっていた。
だいたい10歳から15歳くらいまで(処女)
花嫁修行にいいので、多数の応募があったようだ、
ちゃんと緋袴はもちろん用意させた。(お約束)
宿舎も用意し、武家の未亡人を雇い、教育指導・守り・監視をさせる。
結婚前の体だ、きっちり守らなけば、親達に申し訳がたたない。
関白様に意見が聞こうとしたが、巫女姿に見とれていた。
商人たちとの打ち合わせ
参道及び門前町に開く料理店の打ち合わせ、
事前にテストでプレオープンするので、
それまでに料理を完璧に仕上げることを命じる。
値段について庶民が手が届く値段とさせる。
ショバ代と売り上げの一割を神社に納めるよう命じる、
もちろん、料理レシピ代及び顧問料を払わせる。
なお、尾張以外で許可なく売ったり、人に教えることは禁ずる。
違反者は罰することとする。(契約書有)
後日、関白に味見及び評価していただく。
味が濃すぎるとあったが、喜んで食べていた。
ダメな部分は注意しておく。
屋台(朴の葉などを皿替わり)
おにぎり(梅、おかか、シーチキンなど)
たこ焼・お好み焼き(キャベツの代わりにレタスなど)
焼きソバ、焼き飯、野菜いため、ハンバーグ、もつ焼き
焼き物:焼き鳥、豚串、串揚げ、サラダ、茄子焼き、葱焼き
からあげ、ザンギ、竜田揚げ、とんかつ、フライ、天ぷら、
ユリネのコロッケ
肉饅頭、焼売、餃子、茶碗蒸し
おでん、ちくわ、かまぼこ、はんぺん、さつま揚げ外
玉子焼き、ゆで卵、温泉卵、
串団子(胡麻、きな粉、みたらし)、
煎餅、磯部揚げ、キナコ餅、水飴、トコロテン……etc
紙風船、しゃぼん、凧、独楽、ベーゴマ
折り紙、紙飛行機、メンコ、型抜き、くじ
店舗
饂飩(釜揚げ、かけ、天ぷら、タヌキ)
蕎麦(蕎麦切り、蕎麦掻、かけ、鴨南蛮、天ぷら、キツネ)
拉麺(醤油、味噌、塩、豚骨)
丼もの(天丼、猪丼、カツ丼、親子丼、玉子丼、海鮮丼、鰻丼)
刺身、寿司、天ぷら
焼き肉、ホルモン焼き、モツ煮、
豆腐料理(冷奴、湯豆腐、厚揚げ、油揚げ)
鍋(おでん、水炊き、味噌仕立て、激辛味)
甘物(汁粉、ぜんざい、餡蜜、団子、磯部揚げ、キナコ餅、トコロテン)
屋台に出したものの高級版……etc
砂糖も購入して小豆餡作り、饅頭を用意し参加者に配ること計画。
落成式で餅まきもすることとする。
醤油、清酒は醸造元が増え、いろいろな特色が出てきた。
製造方法を領の外に売り込むこととする。
公益賭場の開くので、
商人など裕福な者に対し鼻参加を募る。
そこでは、禁忌の牛料理を提供すると知らせて釣る。
かけ金をコインに変えて貸すとし、
貸出し時9枚、返却時10枚として、差額をてら銭とする。
要するにパチンコの貸し出し方式だ。
娯楽がも目的なので、かけ金に制限を掛けるとるする。
(賭場に関しては、出資し信用ある商人に任す。)
真似して違法賭場を開く者が出てくるはなので、
摘発し、財産を没収して犯罪奴隷としよう。
北伊勢
北伊勢侵攻は、あっさり終わっていた。
もともと勢力がバラバラであったのだ。
連携させないよう、連絡を絶って各個撃破していったら
あっさり降伏したり、北畠や六角のところに逃げ出したりしてとのこと、
ただ、北畠一族である神戸家だけを残して囲んでいる。
北畠を参戦させるための囮であるとのことであった。
北伊勢の代官を一益に任せ統治させる。
美濃三人衆及び坂井は事後処理等そのまま手伝わせることにし、
勲功及び人員配置は、美濃に拠点を移してからとした。
将及び兵と降伏した土豪どもについては、
交代で祭り参加できるよう許可を与える。
尾張・美濃にいる家臣についても、
年貢の取り立てが終わり次第、祭りへの参加を許可する。
津田宗久&役者
宗久が役者・商人とともにやってきた。
顔見知りの商人もいたが、会談は祭りの後とした。
役者たちと打ち合わせ、舞台を用意するので、
尾張、美濃で定期公演・巡業を依頼する。
造船所
ジャンク船の隻数は増えており、
遠洋訓練のついでに、鰹漁を命じていたら
マグロとかの高級魚を混獲してきた。
刺身にして、醤油と山葵、大葉でおいしくいただきました。
王に大陸から技術者の件はどうなっているか確認する。
数人技術者が来ることになったが、出国で手間取っている。
もう少し間をいただきたいとのことであった。
サトウキビの苗も注文しておく。
落成式
旧社から新社へ御神体を納める。
桶狭間など戦勝の礼として、剣を奉納し、
併せて今年の収穫物を神饌として納める。
神官が祝詞を唱える。
(式の詳細は省略、わからん)
式が終わり
収穫祭の開始を宣言し、餅まきを行う。
多数の民が集まってきていた。
津田宗久が近江、伊勢などあちこちから商人来ていると教えてくれた。
日程は5日間(暦は六曜を使い仏滅を休日とする。)
昼間は奉納相撲(勝ち抜き予選、最終日決勝トーナメント)
夜間は能、狂言、猿楽などの舞台
境内で巫女による羽根つきをさせる
ほんわかした雰囲気で、見物客の男たちは鼻の下伸ばしていた。
常設で巫女による物販をさせる。
おみくじ、お守り、お札、破魔矢、絵馬
男どもが並んで買ったいた。
みたことが顔があちこちいた、嫁さん探しか?
富くじは毎日行う。
当てたものは大喜びしていた。
行灯、提灯を多数の明かりを用意し、夜遅くまで楽しめるようにする。
津島の祭り用にさらに増産しなければならぬだろう。
門前町もにぎわっていた。
秘密裏に賭場も開設、(おいちょカブ、ポーカー、サイコロなど)
金持ちの商人がだいぶ金を落としていった。
奉納相撲の優勝者は前田慶次郎という者であった。
ということで、「花の慶次」を思い出す。
犬が苦々しい顔していたので、問いただす。
前田家当主の養子で同年代の義理の甥とのこと、
母は滝川一族ので出で、一益の甥でもある。
美濃の手伝いを頼んだのに、無視して
北伊勢の戦いに参加していたとのことである。
戦国時代きっての傾き者、
その能力はわからないが、表彰式の時に近習を命じた。
それを聞き、すかさず逃げようとしたが、
犬と一益につかまえられ地、面に押させつけられた。
その姿を見て、指さして大笑いしてやる。
苦々しい顔していたので、立たせて、
すかさず右腕をとり「腕取って逆回って体落し風投げ」をかける。
大柄な慶次が綺麗な弧を描き、地面にたたきつけられる。
そのまま、腕ひしぎ逆十字固めを極め「まいった」と言わす。
信長は現代知識を得てから、若干の中2病にかかり、
犬たちを相手に数々の「漫画格闘技」を試し、様々な技をマスターしていた。
抜刀術・手裏剣も免許皆伝の腕前で、もともと体を鍛えていたので、
一対一のルールなしの戦いでは、織田家でも最強の部類に入る。
美濃・伊勢の者たちは、びっくりして目を皿のようにしていた。
とりあえず近くにおいて連れまわすことにする。
その様子を見ていた、初老の武人が話かけてくる。
名を聞くと上泉守信綱であった。
箕輪城主長野氏の先代が亡くなったので、
職を辞して諸国の廻り剣の修行をしているとのこと、
畿内に向かう途中であり、
熱田神社では草彅の剣を祭っているので、
立ち寄ることにしたとのことであった。
タイミングよく祭りが行われていたので見物していたが、
先ほどの見知らぬ投げ技を見て、話しかけたとのことであった。
懇親を深めたいので、清州城への滞在をお願いしOKをもらう。
この祭でかなりの銭が集まった。
神社への賽銭、お守りなど売り上げもすごいことになっていた。
屋台や門前町の商店・料理店の売り上げが相当なもので、
在庫がなくなってしまった。
売り上げの一部は熱田神社の収益とし、
朝廷に継続的に献金するで 媚を売っておくこととした。
関白様より尊皇の志ありとお褒めの言葉をいただく。
堺、近江、伊勢などの商人からの会見の申し出が殺到していた。
土地ごとに商人を集め会談する。
「拠点を美濃に移し、尾張以上の規模の城下町を作る予定だ、
各工房も一部を残して、美濃に移転する。」と説明する。
通行料などの便宜を図るので、織田銀行及び各工房への出資を募る。
その場にいた商人は即座に応じる者もいた。
額等の条件は、後で個々に面談して決める。
宮大工に礼をいい、尾張に残らないか誘う。
何人かの棟梁が応じたので、大工・左官組合を設立する。
穴太衆と同様に工兵への指導も頼む。
伊賀の百地丹波から会見の申し出があった。
北伊勢が落ち、伊賀と領地を接することとなり、
織田の甲賀に対する扱いを見て、
伊賀衆の総意で織田につくこと決めたとのことである。
伊賀の統治については、伊賀衆に任せることとし、
主な棟梁を士分とし、忍びの派遣を命じる。
伊勢北畠家の後方攪乱と志摩の詳細な地図を作るよう申し渡す。
上和泉守は数日滞在し、弟子たちと部下たちとともに懇親を深めた。
信長の技は組打術や柔術をベースに創意工夫したものとごまかしたておいた。
弟子入りを申し出るが、諸国を回りたいとのことで断られた。
ただ、酒・食べ物など尾張が気にいったので、また立ち寄るとのこと、
金子やお土産を渡し送り出す。
京の将軍の近くに明智というものがいるので、
立ち寄った際は便宜を図るよう命じておくと伝える。
関白は、当分の間は尾張・美濃に滞在するとのことであった。




