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プロローグ

 彼女は殴られ、蹴られ、リングに叩きつけられる。

 その光景に会場は熱気に包まれている。

 無数の充血した瞳。

 悪魔ですら顔をしかめるような口汚い罵声。

 刺々しい音楽。

 彼らの視線はリング場の男女に注がれていた。

 男は身長2メートル近い正にプロレスラーとしか言いようの無い体型の半裸姿。

 しかし、女は全くの場違いだった。

 女子高生の制服をモチーフとしたようなベージュ色ブレザーと赤いチェック柄のスカート。

 弱弱しく立ち上がり、苦しげに肩を上下させている姿はどうみても少女だった。

 セミロングの髪が整った顔に張り付いている。

 逃れられない運命を見据えるような、悲壮な決意を湛えた表情。

 それは傍から見れば犯罪的な風景と言えた。

 2メートル近いプロレスラーのような男と女子高生のような女がリング上で対峙している。

 誰が見ても勝敗は目に見えていた。

 それでも男は攻撃の手を緩めることはしない。

 彼は助走を取ると、彼女にドロップキックを放つ。

 事前に予想していた彼女は両手を胸の前で交差して耐えようとするが、男の質量を充分に溜め込んだ一撃は彼女をリングのロープまで吹き飛ばし、彼女はその場で崩れ落ちる。

 彼女は苦痛に顔を歪ませながらなんとか四つん這いの状態から立ち上がろうとするが、男は彼女の髪を掴むと、野卑た笑みを浮かべる。

 健気に闘志を見せていた少女の顔に初めて絶望的な表情が浮かぶ。

 被虐心を煽られた観客たちは更に興奮する。

 観客たちは望む。

 少女がプロレスラーに徹底的に壊されるのを。

 プロレスラーの踵落としが彼女の後頭部に決まる。

 少女の顔面がリングにたたき付けられ、その場に倒れこむ。

 リング上のレフリーは止めるそぶりすらとらない。

 彼は握った少女の黒髪を空中に撒き散らす。

 彼女は殴られ、蹴られ、リングに叩きつけられる。

 女子高生の恰好をした女子高生にしか見えない少女は、両手で顔面を押さえながら仰向けになる。

 スカートからむき出しの足が艶かしくライトに照らし出される。

 やがてプロレスラーは倒れたままの女子高生の左腕にひじ固めをきめる。

 彼女は激しく暴れるが、ギブアップの様子は見せない。

 やげて、レフリーがカウントとりはじめる。

 その時、異変が始まった。

 苦痛で歪んでいた女子高生の顔から表情が消える。

 表情筋の機能が全て消えた、死人独特の表情。

 彼女は、完全に固められた左腕をものともせずに立ち上がろうとする。

 次第に異変に気づき始める会場。

 少女の最後の抵抗と勘違いしたプロレスラーは更に腕を引き絞るが、やがて彼の背中がリングから浮き上がる。

 こんなことはありえない筈だった。

 驚いたプロレスラーが彼女の左腕を離した。

 彼女の左腕は奇妙な方向に曲ったままだった。

 職業柄だろう、すかさず起き上がり身構えるプロレスラー。

 しかし、それはあまりにも遅すぎたと言わざるをえない。

 すでに少女の右手が彼の喉笛を締め上げていた。

 彼は鍛え上げた腕で少女の細い腕を引き剥がそうとするが、白魚のような指がますます彼の喉を締め上げていく。

 丸太のような足でブレザーに包まれた少女のわき腹を蹴りつけるが、彼女は微動だにしない。

 レフリーも彼女を止めようとするが、効果は全くない。

 観客たちはその尋常ではない様子にさらに興奮しているようだった。

 やがてプロレスラーの顔面が赤黒く変化し、彼はついに抵抗を止めた。

 彼の姿は、砂の入った布袋のように無抵抗だった。

 そこで動画は終わる。


 僕は傍らに座っている彼女の表情を盗み見る。

 明らかに侮蔑の念のこもった笑みが浮かんでいた。

 こいつの人格エミュレータを組んだプログラマはとびきりのサドかマゾのどちらかだろう。

「どう感じられましたか?」

 僕の目の前に座っている男が言った。

 柔和な笑みと地味なスーツ。

 公安部の刑事。

 僕らのような生安部の警察官とは人種が全く違う。

 この質問をどうとるべきか?

 動画自体は見飽きたものだ。

 複数の動画投稿サイトにアップロードされているシロモノだし、世界で始めてAIが公衆の面前で人を殺した動画として名高い。

 しかし、彼が求めている答えは恐らくそれではない。

「この動画が公式サイトから削除された後もしつこくコピー動画がアップロードされて、AIの権利を主張する団体に妙な動きがあることくらいは、こちらでも把握していますが」

 彼は表情を変えずに小首を傾げる仕草をした。

「AIの許認可は確か生安部の管轄だった気がしましたが、その程度の認識なのですか?」

 こいつは何が言いたいのだろう。

「こちらでメーカーに鑑定させましたが、このAIは全て合法品で組み上げられていたんです」

 この殺人AIにはアスリート仕様の高出力流体アクチュエータ、格闘技の練習用アプリケーション、それにマニア向けの人体の苦痛をエミュレートするアプリケーションがインストールされていた。

「1課も事件性はないと判断していますし」

 捜査1課。

 人が死ぬと必ずしゃしゃり出てくる奴ら。

 僕らを明らかに見下してる嫌な連中だが、こういう時は便利な言い訳のネタにできる。

 あいつらは、一種の猟犬だ。

 人と人の犯罪に敏感に反応する。

 人が人を殺した、強盗した、強姦した。

 彼らは耳をピンと立て、尻尾を振って、舌なめずりして犯人に向って一直線に向っていく。

 しかし、今回の件はAIという無機物を介すことで一気に彼らの興味は失われていく。

 いいところ、業務上過失致死がせいぜいだろう。

 目の前の彼は、僕の傍らに座っている“彼女”を一瞥すると厳かに言った。

「あなたは、意図せずにAIは人を殺せるのか気になりませんでしたか?」

 アイザック・アシモフのロボット3原則からすればありえない。

 実際にAIのOSにも市販が禁止されている軍用・警察用のAIを除きアシモフ・セオリーが採用されていた。

 けれども、さすがの知の巨人も女の子のロボットがプロレスラーに痛めつけられる低俗な見世物が人気になるとは想像できなかっただろう。

 ミスター・スポックも、ウェアラブルコンピューターがここまで発達するとは思ってもみなかっただろう。

「言っている意味がよくわかりません」

 僕は、相手の意図が読めない以上、この質問に答えるのは危険だと判断した。

 柔和な笑みを浮かべていた彼の右口角がわずかに上げ、わざとらしく左腕にはめた腕時計を眺めると

慇懃に言った。

「ああ、貴重な昼休みの時間を使わせてしまって申し訳ありませんでした。」

 

 昼食を食べるチャンスを失った僕は、庁内の売店で菓子パンを買って自分のオフィスに戻ることにした。

「澪、さっきの話は聞かなかったことにしてくれよな」

 猫科を連想させる整った顔立ちに攻撃的な笑みを浮かべる。

「上級管理者ではない貴方に、わたしの環境ログにアクセス権限はありません」

 やれやれ

「じゃあ、命令じゃなくてお願いってことならどうだろう?」

 彼女は肩をすくめる。

「お願いならば仕方ありませんね」

 まったく、進歩しすぎたアンドロイドは人間と見分けがつかないな。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

  

 

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