第3話 血も涙もないなんとやら
巨大なカマキリの身体が大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。
まるで、木が倒れるような迫力に俺は尻もちをつく
まだ、蛇舟に乗っていたので右に傾いた船底に強く尻を打ち付けて
尋常ではない痛みに悶える。ヤバイ、痛い。
そして、少し遅れて
ごろり、と小顔な頭が
マリアの足元に転がる。
・・・カマキリの頭
人の頭より少し小顔だが、羨む事など無い。
血まみれの頭は恐怖しか誘わない。
「・・・あ、うっかり首を撥ねちゃったゴメン」
ラルーは黒い大鎌を両手で抱えるように持ちながら
とても軽いノリでカマキリに謝罪をした。
めんご☆
みたいなノリに限りなく近い。
今更ながら思ったのだが、この幼女は疑う事なく狂っている・・・。
涙を流していた俺だが、ラルーの発言を聞いた途端に
悲しい気持ちが失せて、涙がピタリと止まった。
泣く気もそりゃ無くなる。
「あ、ラルー・・・!?
なん、で・・・!?」
「忘れたの?
この世界には“永遠の魔法”がかけられているのよ?
だから、ハラワタを喰い荒らされた程度では死なないわ!」
驚き戸惑うマリアをよそに
ラルーは自信満々に笑う。
・・・それだけ、自身で編み出した“永遠の魔法”の力が確固たるモノで
強力だからこそ、彼女は“永遠と世界の主”なのだ。
永遠を実現し、世界を支配する力。
この幼女、想像以上に凄まじい力の持ち主だった・・・。
「でも、悪くは思わないであげて?
カマキリさんに非はないわ、
呪われているんだもの、許してあげて?」
ラルーはそう言うと、黒い大鎌を放り捨てた。
大鎌は空中で一瞬、止まると一気に細かい粒子に分解して
黒い霧のようなソレは散り散りに消える。
・・・ラルーの大鎌は固形物質ですら無いのか
ごろりと転がり落ちたカマキリの頭をラルーは大事そうに持ち上げ
マリアの頭を撫でる。
呆然としているマリアを見て、
愉快そうに子供らしい笑みを浮かべたラルーはカマキリの首を
地面に倒れている身体の撥ねた断面に引っ付け
「永遠よ、呪われしこの虫を起こせ
空腹と暴食衝動の狭間で苦しむこの者を
私の元に還したまえ・・・」
呪文のような言葉を紡ぐ。
いちいち呪文を唱えなくても良さそうなモノだが・・・。
そこのところは一体、どうなっているのだろうか?
その刹那、
巨大カマキリはいきなり起き上がった。
すぐにカマキリの目線と俺の目線が合う。
「・・・美味しいですか?」
はい、俺終了・・・!
コレはアウトだろ、おい・・・!?
カマキリが喋った。
その上、俺が“美味しい”か聞いてきてる。
ダメだろう、コレは!
自分が美味しいかなんて知るはずもない・・・!
(俺、遂に混乱。頭が逝かれちゃったっぽい。)
「カマキリさん、また死ぬ直前の事を忘れてる~!
私の警告、さっさと思い出して頂戴!」
俺が恐ろしさのあまり固まっていると
ラルーが俺の前に立ち、俺を庇うように両手を広げ
いつもの呑気な口調でカマキリを注意した。
・・・ヤバイ・・・
幼女の背中が頼もしすぎる・・・!?
この幼女、ただのイケメンじゃないのか・・・!?
可愛いのに頼もしいし、
格好良いって・・・どんだけ完璧なんだよ・・・!!
あまりのイケメンっぷりに惚れるかも知れないぞ、俺。
「・・・ああ、そうだ
食べてはいけないんでした・・・
失礼しました、お姉さんとお兄さん」
カマキリは凄く丁寧な仕草でお辞儀をする。
・・・あれ、さっきの時と180度 別人だぞ
これでは、ただの紳士じゃないか・・・!?
さっきからの衝撃の連鎖で俺はまた呆然としてしまう。
「お兄さんが仇野で、お姉さんがマリアよ!
今回、この世界に迷い込んだ人間だから
今後とも失礼の無いよう気をつけて頂戴?」
ラルーは俺たちをカマキリに紹介し、釘を刺す。
うん、出会って早々に襲われて喰われそうになったし
・・・ラルーが既にハラワタを喰われたけど
「は、初めまして・・・」
戸惑いつつ、挨拶をするマリア。
・・・マリアは良い人なんだろうな、多分。
「仇野、マリア!
カマキリさんは名前が無いから、カマキリと呼んでね?
普段は落ち着いた性格をしているから安心して頂戴!
・・・まぁ、食べられない保証は出来ないけど」
嬉しそうにラルーはカマキリを紹介する。
しかし、話しているうちに言葉を詰まらせるラルー
やめろよ
・・・やめろよ・・・
真剣に不安が募る。
現にラルーが喰われてしまったし、
軽くトラウマになったのに、これ以上煽らないでくれ・・・。
「そ、そもそもどうしてカマキリさんは呪われたんですか・・・?」
マリアは一瞬、言葉を詰まらせるも
次の瞬間にはハキハキとそれでいて控えめに言い放つ。
・・・マリアさんの勇気は勲章ものです
「・・・元々、ボクは今よりも遥かに小さな身体で・・・
主様の手に乗るほど小さかったのです」
「・・・そりゃ、虫だからな・・・」
「ええ、虫だから当然です」
巨大カマキリは語る。
自身が空腹に苦しむ呪いが掛けられた経緯を
それに俺が相づちを打つ。
・・・失礼極まりないかも知れない発言だ。
「・・・あるとき、ボクは飢え死にそうな子供を見た
ひどく痩せ細り、息も苦しそうだった
その子は男の子で、“孤児”という子供らしいが
それは後から全て主様から聞いたことだからよくはわからない」
カマキリは俺の発言を許容してくれたらしい
主様、ってのはラルーの事か・・・。
ラルーはその少年の素性をどうして知っていたのだろうか
「その少年はとにかく、飢えていたんだ
だから・・・少年はボクに気が付くと
とても嬉しそうに笑った、ニタリとね?」
寂しげな様子と次に起こりうる展開を想像して
俺はまさか、とは思いつつも鳥肌が立ち始めた。
「少年はボクの小さな身体を掴み上げ、
ボクをそのまま・・・口に放り込んだ」
カマキリはうつむいた。
悲しげに、そして何よりも恐ろしげに
「バリバリと、ボクの身体は噛み砕かれて
羽も、足も、手も、首さえ動かせなかった
ボクはどうしようもなく、怖かった
死ぬ恐怖よりも遥かにもう動けない事に絶望した・・・」
・・・思えば、虫たちは夏の季節には生き生きと自由に飛び跳ねる。
まるで、動ける事に喜び
たったそれだけの事で幸福に生きているように
どちらかというと、虫にとっては生きる喜びよりも
自由に飛び跳ね動ける喜びのほうが大切なのかも知れない・・・。
「だけれど、唐突にボクは少年の口から吐き出された
通りがかりの大人がボクを食べる少年を見つけて
咄嗟に吐き出させたようだった
うん、それは良かったよ
ボクを食べて少年に何かあったら大変だよね
・・・でも、ボクはもう助からなかった」
マリアは固唾を呑んで
カマキリの一人語りを見守る。
それは俺も同じ事。
カマキリは苦しそうに自身の鎌の手を見下ろしている。
・・・今に涙が滴り落ちそうな程、悲しげな顔だ。
「そりゃぁ・・・身体を噛み砕かれて
足なんて“もげ飛んだんだから”・・・
救いなんて、あり得なかった
仲間と同じように死ぬのを待つだけだ
でも、ボクの時は大きく異なった展開を迎えた」
カマキリはそう言うと幼いラルーを見下ろした。
ラルーは笑みを浮かべたまま“大丈夫だよ”と優しく呟いた。
「あの瞬間ほど、美しいモノをボクは知らない
紅い和傘を差した黒い羽織りに紅い着物を着た・・・
主様がボクに傘を差し出し、優しい言葉で話しかけてくれた
“また、自由を手にしたくはないか?
望むのなら・・・お前の身体を治してやろう”
言葉が通じるはずもないとボクは思った
でも、それでも白い髪と紅い瞳の少女に希望を託してみたくなった」
純和風の出で立ちのラルー
・・・見てみたいと思うのは当然だ。
きっと、美しさを超越して神々しさすらあるのだろう
それほどに、この少女は美しい。
・・・しかし、この少女は美しさを有すると同時に可愛さもあり
どちらかと言うと、可愛さのほうが勝っている。
だからこそ、とても親しみ易く
その大人びいた言葉遣いにびっくりするのだ。
「ボクは必死に訴えた
身体を治して欲しいと、
失せる命の時間が限られている事すら忘れるほどに
主様は笑顔を浮かべ、ボクの残った身体を持ち上げ
ボクの頭を小指で撫でてくれた
そんな事は初めてで、不思議とボクの身体に力が湧いてきたんだ」
純粋な優しいシーンに俺は泣きそうだ。
なんだこれ、いい話じゃないか
「―――そして、ボクのもげた足が一瞬で生えて
傷ついた至る箇所が再生した
それでも完全にボクの身体が治ってもなお
力が湧き続け、どんどんボクの身体が大きくなっていった」
なるほど、カマキリが異様に巨大になった経緯が分かった。
だが・・・
「・・・有り余る力にボクは調子に乗ってしまったんだ
ボクは大きくなった自分の身体で、
かつてのボクを噛み砕いて殺そうとした少年に復讐した
大きなボクの手で少年のお腹を貫いて
その感触を未だに忘れられない・・・
少年は一瞬で死んでしまった」
「なっ・・・!?」
あまりの急展開に俺は思わず声をあげた。
そんな事をする必要はなかったはずなのに・・・。
「まさにその通りだよ、
ボクは本来なら、冒す必要のない罪を冒した
人を殺したことのないボクには
その重圧は耐え切れなかった・・・」
俺の思考を察したカマキリは語る。
マリアは目を見開いて驚いたまま、黙って話を聞いていた。
遂に、カマキリが呪われた理由が明かされる。
「重すぎる罪に、ボクは、自分を呪ったんだ」
カマキリの衝撃の言葉にマリアはびっくりして口を手で覆う。
・・・自分を呪う、なんて哀れな事を
「ボクは自分を呪って、
自分で殺した少年の苦しみを追体験するようになった」
「だから、“飢え”と“暴食衝動”・・・」
マリアは目に涙を溜め
口を覆い隠したまま、納得の言葉を放つ
・・・カマキリはとても良いヤツだったのだろう、
それがこんな結末を迎えたのが、ひどく切なくて、俺は同情した。
「それでね? いきなり少年を殺したカマキリさんに驚いたけど
巨大化しちゃったし、このまま放置するのは良くないと思って
私はカマキリさんをこの世界に導いたの!」
ラルーはその後の事を教えてくれる。
巨大カマキリになったのは想定外だったらしい
「なぁ、ラルー
人を意図的にこの世界に導いているんだろう?
一体、どういう基準でどういう人を導いているんだ?」
「え、導く事が出来るとはいえ
そう滅茶苦茶にはやらないよ・・・!
今までこの世界に来た人間のほとんどが
偶然にこの世界に迷い込んだのよ! 当然、仇野たちも偶然!」
「・・・は・・・!?」
俺はラルーの言葉を聞き、驚愕と戸惑いを隠せなかった。
てっきり、俺は夢の中での事が現実になったと思っていたが、
・・・そうじゃないのか・・・?
だとしたら、あの夢は一体・・・?
「ラルーはこの世界から出る事が出来るの・・・?」
「ん・・・?」
俺が悩んでいるとマリアはラルーに質問をする。
カマキリは血まみれの鎌手を湖に浸けて洗っている・・・。
それに俺は思わず身震いをした。
「ああ、昔は他の世界に出掛けては遊んでいたものね
鍵を使えば簡単に色んな所に行けたから・・・
でも、いつからなのかこの世界の屋敷に
閉じこもるようになってしまったのよね・・・
何でだろうねー?」
ラルーはそう言いつつもどうでも良いらしく、
マリアの手を引っ張って、霧深い森の奥に進もうとする。
疑問形でのほほんと話していたのに興味がなさそうにしている
その様子にギャップを感じる・・・。
「カマキリさん、カマキリさん
私と仇野とマリアはこれから魔女のおばあちゃんに
挨拶する予定なの、だからここあたりでお暇をするわ?」
ラルーはそうカマキリに伝え、
今度は俺の手を引っ張る。
・・・やはり、ラルー可愛い。
「そうですか・・・
・・・無事を祈ります」
とても深刻そうにカマキリは俺たちの命運を祈る。
・・・エ?今、このカマキリ俺たちを心配した?
呪われた虫に心配されるってどういう状況?
魔女のおばあちゃんって何者・・・!?
至っておとぎ話に登場しそうな感じなのに・・・!
子供の夢をぶち壊す気か!?
ずっと渋る俺にしびれを切らしたラルーが
俺の背後に回り込み、俺の背中を押して
無理やり歩かされる。
・・・そのなんとも子供らしい行動に和んだ。
ラルーの可愛すぎる容姿と行動と
これから降りかかるかも知れない災難に対する不安。
俺の心内ではそんな葛藤がある中、迷いつつも俺はラルーに導かれるまま
森の更に奥へと進む・・・。
カマキリの視線を背に感じながら
ジリジリと募る恐れの感情はもはや
心の奥底にこびり付いていて一生、取れる事は無いのかも知れない。
霧深い森の奥に居るという魔女の婆さんが
只者ではない事は確定しているので、せめて手加減をしてくれる事を
切実ながら俺は祈る。
・・・これ以上、何かあったらさすがにキツいだろ・・・
急激に重くなった足を引きずって
長いため息を吐き出した。
それに釣られてマリアもため息を吐いた。
・・・マリアも同じ心情らしい
すると、ぼんやりと霧に向こうに巨大な建物らしき影が見えてきた。
・・・まさか、これが魔女の婆さんの棲家・・・?
・・・次回、おばあちゃんが大暴走。
若者の仇野とマリアは翻弄されます。