episode3、波と菊1
「…今回はお前が単独で、といったがな。俺が考えるに、波津姫と菊丸が鍵を握っていると思う。たぶん、その子の夢は前世の記憶なんじゃないか?」
不可思議な事を言われても、決して、和衛は笑わない。
真剣な表情をして、きいている。
何せ、和衛、彼のアルバイト先である「空木探偵事務所」では、浮気調査や行方不明者の探索などの他に、心霊や怪奇現象の解決、調査の依頼も引き受けていた。
だから、和衛や鈴木は普通の人にはない特殊な能力があった。
その能力を活かすために、空木氏に事務所で働かせてくれ、と頼み込んだのであった。
そして、現在に至る。
「前世の記憶か」
ぽつりと呟いて、考え込む。
明日良の前に現れたあの女と波津姫。
そして、菊丸という少年。
和衛は「夢入り」という術を使おうと決めた。
菊丸とも、直接、話す必要がある。
そして、引き出せるだけの情報を入手しないといけない。
「和衛。無茶な真似はするなよ?」
「わかってますよ。初の単独での仕事ですから、へまはしませんって」
軽く受け流しても、鈴木は表情を変えない。
どうしたのだろうと思っていると、彼は無言で立ち上がった。そうして、棚に向かうと、スライド式の戸を開ける。
二つか三つ、書類を手に取ると、こちらへ戻ってきた。
備え付けの机の上に、それらを置いた。乱暴に置かれたので、ドサリと音を立てる。
青色と黄色のファイルとホッチキスでとめられた紙束に、「坂上家について」とシールが貼ってあった。 「…これは、俺と所長でまとめた坂上家やその周辺の情報だ。パソコンでまとめたのが青色ので、黄色のやつとホッチキスの書類は手書きしたものだ。母親の津由子さんと娘の明日良さん、亡くなったという父親のことなども調べておいたから。平経盛とかいう人物はたぶん、歴史上の人物だろうな。それは辞典や専門書なんかで、自力で何とかしてみてくれ」
その後も和衛は鈴木と相談を続ける。
気がついたら、時計は三時を過ぎていた。
和衛は鈴木といろいろと世間話もした。彼がコーヒーメーカーの中にあったコーヒーをマグカップに入れて、持ってきてくれた。
机の上に二つのカップを置くと、鈴木はゆっくりと座った。 「…明日良さんは中三なんだってな。どうだ、好みのタイプだったか?」
にやりと笑いながら、そう言ってくる。和衛はいいや、と首を横に振る。
「まだまだ、子供ですよ。それに、依頼者の娘さんに手を出したってなったら、所長の評判を落とすことになる」
すると、鈴木は真顔になって、そうかとだけ、答える。
「けど、お前だって、まだまだ、子供だろ。高校生なんだったら、彼女の一人や二人、作ったらどうなんだ。顔は良いんだから、もててるはずだろう?」
まだ、しつこく、訊いてくる鈴木に和衛はうんざりとした。所長よりもうざったいと、内心、思った。
空木所長は控えめな人だから、しつこく、訊いてくることもない。
「…もてていませんよ。高原の相手だけでも、大変なのに。他の女子とつきあおうなんて、思えません」きっぱりと言い、冷めかけたコーヒーを飲み干す。
砂糖だけしか、入っていないため、妙に後味は甘いような苦いような感じだった。
「そうか。あの高原さんがね。確か、お前の同級生でクラスメイトだったな。幼なじみでもあって。たく、高原さんだって、性格は男勝りだが。顔はかわいいし、根はいい子なのに」
「あいつは中学の時からの仲ですから、幼なじみじゃありませんよ」
そう答えても、意味深な笑い方でこちらを見てくる。
普段は滅多に、こういう恋バナとかは、話さない人なのに。変だ、と和衛は思った。
だが、見かけは異常なところはない。
自分の思い違いだったのだろうか。
「それは良いとしてもだ。誰かが、お出ましのようだ」
低い声で、そう言った鈴木は既に、飲み終わった後のマグカップを置くと、ゆっくり立ち上がった。
和衛も急いで、父の形見である数珠をズボンのポケットから、取り出す。
例のリストバンドを用意して、待ちかまえた。
ガチャ、ガチャッと鳴る甲冑の音。
紅糸威し(くれないいとおど)の鎧を着た一人の男がこちらへとゆっくり、歩いてきた。
鈴木はこの男から、怒りや邪気を感じなかった。
けれど、瞳はそらさないままだった。
経文を唱えるよりも、相手の用件を聞く方が手っ取り早いと感じた。
この男は怨霊などの類ではない。
浮遊霊に近い。
「…あなたは何を探して、そのようにさまよっておられるのです。俺たちに、何か、用がおありでしょうか?」
慎重に問いかけると、うつむきがちだった男は顔を上げた。そして、鈴木ではなく、和衛をまっすぐに見つめる。
『私はそちらの男に用がある。二人だけにしてくれるのであれば、話してもよい』
静かにそう告げた男に、鈴木は軽く、ため息をついた。
「わかりました。和衛に用があるのですね。俺は廊下にいます」鈴木は男に言った通りに、廊下へと出た。
男と和衛の二人だけになる。
しばし、沈黙が続いた。
『…そなた、和衛と申すか。家衛殿に顔が似ているな』
「そういうあなたはどなたですか?」
和衛はそう、問いかけた。
男はおかしそうに笑う。と、事務所の天井や壁がピキッとか、バンと音を立てる。
『和衛殿。私の名は平経盛。波津だったか。あの子の父でもある』
「波津姫のお父様でしたか。そうとは知らず、失礼な事を言いました。すみません」すると、経盛は首を軽く、横に振った。 『私は、波津の生まれ変わりの子が命を狙われているということを菊丸にきいたのだ。だから、そなたのもとまで、やってきた』
一旦、そこで言葉を切る。
和衛は黙って、先を促した。
『これを言えた義理でもないのだが。もし、よかったら、あの子を守ってもらいたい。父として、波津が生きていた時、何もしてやれなかった。母の勢津にもだ。だから、私の代わりに、あの子をよろしく頼む』
穏やかに笑みながら、経盛は姿を消した。
和衛はしばらく、そこでたたずんでいた。
経盛がいなくなった後、しばらくして、鈴木が中へ入ってきた。
「どうだった、和衛。何か、手がかりは得られたか?」
和衛は絞り出すように、低い声を出した。
「平経盛さんが俺に会いに来られました。んで、娘の波津姫の生まれ変わりである明日良さんを守ってほしい、よろしく頼むと言っていました」
「そうか」
短く、答えるだけの鈴木に和衛は続けて、説明した。
「あの人、菊丸から、明日良さんが命を狙われていることを聞いたらしくて。それで気になって、俺のところまで、来たみたいですね」
「菊丸か。彼に会えれば、いろいろとわかるんだが」
鈴木は両腕を抱え込んで、考え込んでしまった。
簡単な説明は終えたので、和衛はすぐに立ち上がった。
右側のポケットから、携帯電話を取り出す。
そこから、ある人の番号を引っ張り出すと、着信ボタンを押した。
トゥルルと呼び出し音が三、四回鳴って、すぐにその人は出てくれた。