episode2、2
ハツヒメ。
この単語が頭から、離れない。
それに、イエヒラ。確か、和衛の祖先とかいっていた。
何を指すのだろう、彼らの名は。
いくら、考えてみても、わからないことだらけだ。
(ハツヒメと間違われていたけど。誰のことを指すんだろう)
明日良はふと、つきんと頭が痛くなった。
耐えられないほどの痛みではない。
だが、おかしなことに、脳裏にある光景が浮かぶ。
「…波津。経盛様が亡くなられました。女人といえど、源氏に捕まるやもしれません。そなたは平家の血を継いでいる故。家衛どのと菊丸の二人には護衛を頼みました。さ、おゆきなさい」
きびきびと言う三十くらいの女の人。
その女の人は袖が広く、裾の長いゆったりとした着物である。
自分よりもいくらか小さい女の子が黙って、こくりと頷いた。
がっしりとしたむき出しの梁や柱。板ぶきの床。骨組みがそのまま、見える天井があった。
女の子も、同じようなゆったりとした着物を身にまとっている。
「御方様。もうよろしいでしょうか?」
可愛らしい高らかな声がして、振り返ってみると、長い髪を高い位置で束ね、切れ込みの入った不思議な着物の一人の少年がいた。
「菊丸。家衛どのと共に、波津のことを守ってください。源氏も我が姫のことを殺しはしないでしょうが。それでも、わかりません。だからこそ、奥州まで連れておゆきなさい」
「…奥州まで、お連れするのですか?!いくら、何でも無茶です」
「源氏の御曹司である義経どのがおられた所ではありますが。家衛どのは秀衛公の甥。嫡男である泰衛どののいとこです。きっと、受け入れてくださいましょう」
凛としたその声に、菊丸は驚きのあまり、声が出ない。
波津と呼ばれた女の子も不安そうな表情で母を見上げる。
「勢津どの。いや、御前。それは無理というもの。もう少し、お考えいただきたい」もう一人は男の人で、少し、和衛に目元が似ている。
勢津は穏やかに笑みを作る。
「確かに、京の都から、奥州へ向かうにはかなりの時がいりましょう。それでも、この子を受け入れてくださるのでは?」
「…秀衛公であれば、平家といえど、受け入れてくださるだろうが。泰衛殿はそうもいかないでしょう」そう言って、波津姫を見る。
「…家衛殿が奥州へ連れて行ってくださるの?」
「波津姫。奥州はものすごい山奥にあるような所でしてね。あなたのような幼子を連れて行くわけにもいかないのですよ」
にこやかに笑う家衛と戸惑う菊丸。
唐突に、ぷっつりと糸が途切れるように、映像は見えなくなった。
くらりとしながら、目を開ける。頭がぼんやりとして、はっきりしない。
廊下に立ったまま、居眠りをしてしまったらしい。
けれど、先ほどの夢の中に出てきた少年。
声や顔立ちがいつもの夜の夢に出てくる少年とそっくりであった。
もしかして、同一人物なのだろうか。
(そうだ。和衛さんにも話しておこう)
そう、思い立ち、和衛の部屋を目指した。
二階の二部屋のうち、西側が彼の部屋である。ドアの前まで来ると、コンコンとノックをする。
「どうぞ」
中から、声が聞こえて、開けてみれば。本を片手にクッションの上に座っている和衛がいた。
「ああ、明日良ちゃん。いきなり、どうしたんだ。課題でわからない所でもあった?」
明日良は言葉の代わりに、首を横に振った。
その様子に和衛は目を丸くする。
深刻そうな表情をしているので、どうしたのかと声をかけてみる。すると、思い詰めた目をして、こちらを見つめてきた。
「…いきなり、言ったって、信じられないでしょうけど…」
先ほど、見えた光景やいつも、みる夢などを一気に話した。最初、驚きはしたものの、真剣に話を聴いている和衛に不思議と安心感を覚える。
明日良は全部を話し終えると、一息ついた。
「…小さい頃から、同じ夢ばかりをみる、か。あんまり、聞かない話だな」
和衛は頭をかりかりとかいた。予想をしてはいた。明日良がこう話してくることをだ。
霊能力を使い、事件を追う身としては考え込んでしまう。
探偵事務所でアルバイトをして、雇われている。
それは、当然ながら、秘密なわけで。
「そうですよね。普通はそう思わないですよね」
苦笑する。言わなきゃよかったと思う明日良に和衛は慎重に返答する。
「…そんなことないよ。俺は信じる」
そういえば、少女は目を丸くする。
和衛はその目をじっと、見つめる。
不思議な人だ。そう言われた時があった。
師匠とみている鈴木氏にそう言われた。けれど、不思議なのは彼だって、一緒だ。
そう考えてみると、明日良のことも理解できる。
「信じるんですか?」 オウム返しにそう問われる。
「信じるよ。明日良ちゃんが嘘を言ってないって、わかってるから」
すると、明日良はくすりと笑った。
初めてみる笑い方に、和衛は戸惑う。
「…そうですか。ありがとうございます」
礼を言うと、和衛はどういたしましてと笑う。
和やかな雰囲気の中、部屋の隅に隠れていた紅樹は舌打ちをしていた。
(いまいましい子供め。結界を張られている)
家衛の面影を未だに、追い続けている紅樹にとっては、波津姫が邪魔だ。
波津姫をさらったのも、母の勢津姫が家衛に好かれていたから、腹いせに行った。
八百年近い間、さまよい続ける彼女は孤独だった。
その心は憎しみと恨みで、満たされている。
―いつか、目にものを見せてくれようぞ―
低い声で告げると、空中へと舞い上がる。
そして、姿を消したのであった。