episode2、危機
和衛は部屋にいて、ちょうど風呂上がりで寝ようとしていた。風呂上がりで、ほてっていたのだが。異様な気配がしたせいで、全身がひきつる感覚がした。
(何だ?この嫌な感じは…)
だが、すぐに気づいた。
怨霊とも悪霊とも呼ばれる異形のモノ。ついに、とうとう出たか。
深いため息をついた後、お手製のリストバンド、マジックテープで折り畳んである部分を外せば、経文が書かれている一本の紐に変わる。
それと、坊主でもあるまいにといわれそうだが、数珠も持参していく。
和衛は準備を終えると、ドアを勢いよく開けて、廊下へ飛び出す。
お師匠と呼んで、慕っている先輩の鈴木さんは側にいない。いつもは二人でやっていたが、今は一人だ。
うまくできるか、不安で仕方ないが、背に腹は代えられない。
(とりあえず、アイツらの気配は近い。だとすると…ん?)
とてつもなく、まずいことになってしまった。
母の部屋でなく、出たのは。
娘にあたる明日良の部屋である。
廊下を走っていると、誰かの叫ぶ声が聞こえてくる。
えらく、まずいことになった。
うなだれながらも、明日良の部屋らしきドアの前にたどり着いた。大きな音を立てながらも、勢いよく開ける。
「明日良ちゃん、大丈夫か?!」
そのまま、部屋の中へ入った。
「いや、助けて!あれは…」
後は続かないのか、言葉になっていない。
和衛は側に駆け寄る。がたがたと震えて、顔も青ざめてしまっているが、外傷はない。
取り憑かれた様子もないので、一安心といったところであった。
だが、目の前にあるモノを見て、驚く。天井から、ぶら下がった女の上半身。
その女はぎろりと、和衛をにらみつける。
―そなた、波津姫の従者か。キク丸は何処へ行った。あの忌々しい子供は…―
「あんた。うちのご先祖の家衛を知っているのか」
―……―
無言であった。女は目をぎらつかせながら、恐怖に震える明日良へ近づいた。
波津姫と、言っていた。
あの言葉から、推測するとだ。
明日良はその波津、という人物と間違われているらしい。
「いくら、波津姫が憎くても、この子は違う。お公家さんの姫じゃねえよ」
そう言うと、女は菊丸とつぶやきながら、姿を消した。
「明日良ちゃん。もう、さっきのお化けは追い払ったから。安心して良いぞ」
元気よく、声をかける。ぎこちないながらも、明日良は立ち上がった。
「…和衛さん」
ぽつりと名をよぶ。和衛は明日良の肩をとんとんと、軽く叩いてやった。
「さっきは怖かっただろう。無理しなくていいからな」
そう言った後、部屋を出た。
和衛は廊下を歩きながら、先ほどの霊の気配を探っていた。
(もう、いないようだな)
だが、安心しきれない。明日良の部屋に結界を張っておくしかない。
とりあえず、水鏡を使い、菊丸のことを確かめてみようと思った。
部屋へ戻り、ペットボトルに入れた水をコップに移す。
狭くはあるが、小さい鏡のようになる。呪文を唱えたりはせずに、頭で念じてみる。
ゆらりと水面が動き、現れたのは髪を後ろで一つに束ね、袖の部分に切れ込みの入った上着と裾を巾着みたいに膨らませた袴を履いた可愛らしい少年の姿が写る。
「…こいつが菊丸かな?」
話してみても、相手からの答えはない。明日良の夢の中に入れるんだったら、菊丸に会えるだろう。昼間に会った時、明日良の横にいた少年と同一人物であったりしたら。
和衛はその日の晩を眠らずに過ごした。
和衛が坂上家へ来てから、一週間が過ぎた。
その間、何のアクシデントも起きず、平穏そのものであった。
母の津由子は友人とお花見に行ってしまい、明日良は和衛と二人だけで留守番をしていた。
昼になってから、同じクラスで友人でもある美加から、電話があった。
携帯電話をまだ買ってもらっていないため、美加や他の友人達も、専ら、明日良に連絡する時は家の電話にかけてくる。
『自分で料金払えるんだったら、買ってもいいよ』
とは、母の言葉である。
けれど、明日良は不便さを感じていない。
『…もしもし。明日良?』
「もしもし。うん、私だけど」
『春休みの間、会ってなかったけど。久し振りだね』
「本当だよね。それは私も思う」
その後もたわいもない会話が続いた。
美加は明日良の家に居候の青年がやってきていることを聞くと、驚いていた。
さらに、顔が格好いいという話を更に、耳に入れると食いついてきた。
『…うっそお!明日良の家に下宿している人、そんなにイケメンなんだあ。良いなあ』
「まあ、イケメンには違いないけど。でも、うちのお母さんの古くからの知り合いの息子さんだしね」
『それはどうでも良いの。一緒に住めるだなんて、羨ましいにもほどがある!』 「…美加。絶対、他の子にはしゃべらないでよ。いじめ受けて困るの、私だし。頼むから」
『わかってるって。あたしと明日良、二人だけの秘密にしておく。じゃあね』
ぷつっと、電話が切れる。
ツーツーと鳴る受話器を戻すと、ふうとため息をついた。




