episode5、2
『―我に従いし者。彼の者を捕らえよ』 はっきりと聞こえた声に力は弱まり、首から離れた。
解放された明日良は激しく、せき込む。偽者の和衛とおぼしき男は黒いたくさんの手によって、体を拘束されている。
それを視界に入れた明日良は驚いた。
辺りは何もなく、真っ暗な闇が広がるばかりになっている。自分と和衛、そして、偽者である男だけになった。
『おのれ、小僧。せっかく、近づけたというのに。邪魔をしおって』
『邪魔も何も、俺は自分のやるべき事をやっただけさ。この子に危害を加えたくせして、よくいうよ。明日良ちゃんの首を絞めていたの、はっきり、この目で見たしな』
口調は穏やかだが、声は低く、相当、怒っているのがわかった。
『…私の夢の中のはずなのに。何で、和衛さんがいるの?』 つい、呟いてしまったが、聞こえていたようで、和衛はこちらを振り向いた。
『ここは夢の中ではないよ。君や俺がいるのは異空間なんだ。けど、首を絞められた痕は残るかな』そう言いながら、和衛は歩み寄ると、明日良のすぐ側でひざまずいた。
ポケットから、黄色の布を取り出してみせた。
それは小さめのショールだった。
『とりあえず、これで首を隠しな。夢が終われば良いんだけど。このショールには俺の式神が宿っている。強く、願えば、体に戻してくれるはずだ』
和衛はにっこりと笑うと、背を向けた。 明日良は追いかけようとしたが、足がもつれて、転んでしまった。
喉と膝が痛むのを我慢しながら、立ち上がる。
涙が出るのをこらえきれず、まぶたを閉じた。
男こと、泰親は和衛の術によって、束縛されて、動けずにいた。
幻術によって、姿を変えていたが、今は元に戻っていた。
和衛は手で印を組み、泰親の束縛を強くする。
『オン・キリキリ。オン・キリキリ。バサラダンセンダ…』 真言を唱え、泰親の障気を清め、滅しようとした。
泰親はうぐ、とくぐもった声を出すと、霧のように、消えかかる。
『小僧。私を消せたからといって、浮かれるでないぞ』
その言葉を最期に、泰親は完全に消滅した。和衛は数珠やリストバンドをポケットにしまう。
真っ暗である中で、一歩ずつ、ゆっくりと地面を踏みしめる。
ぼんやりと浮かぶ自分ではあるが。
明日良には悪いことをした。
彼女を泣かせるつもりはなかったのに。 (たく、勘弁してほしいもんだ。家衛さんに恨みはないけど。それでも、文句の一つも言いたくなるってものだ)
髪をぐしゃぐしゃとしながら、苛立つ気持ちを抑える。
『和衛。泰親を浄霊すること、できたんだね』
闇の中で青白く光りながら、菊丸が現れた。
相変わらず、髪を高い位置でまとめ、水干に指貫といった姿である。
『ああ。大分、手こずったけどな。明日良ちゃんがあの世へ連れて行かれる寸前だった』
大きく、息をつく。菊丸は笑いながら、お疲れさまと言ってくる。
『…ぼくもそろそろ、転生する時期が来てね。もう、明日良を守ることができない。和衛、守ってあげてほしい』
力なく、微笑むと、菊丸はゆっくりと白い光に包まれる。
『菊丸。俺は明日良ちゃんとずっと、一緒にはいれない。新しい守護霊を呼び出すことはできるけど』
『そんなことはない。また、いつか、明日良と再会する。その時になったら、二人は違った関係になる』
そういうと、菊丸も消えた。
全部、終わったのだと、和衛は実感した。
体中から、力が抜けていく。
目を閉じると、体に戻れるように強く念じた。
朝のすがすがしい光の中、早咲きの桜の花びらが風で舞う。 近所の公園の遊歩道を明日良は和衛と二人で、ゆっくりと歩いていた。
菊丸や紅樹たちが天へ昇っていって、早四日が過ぎている。事件は解決していたが、所長たちの提案で和衛は夏休みが始まるまで、坂上家に居候することになった。
まだ、四月に入ったばかりなので、肌寒い。
「…それにしたって、今日はよく晴れていますね。以前の騒ぎが嘘みたい」
明日良は笑いながら、和衛に振り向いた。
だが、和衛はにこりともせずに、難しい顔をして考え込んでいる。
「明日良ちゃん。前から、気になっていたんだけど」
低い押さえた声で、和衛が話しかけてきた。
聞こえていたのだと安堵はしたが。
和衛は表情を変えないまま、見つめてくるので、明日良は怒っているのだろうかと思った。
「…俺にさ、敬語使うのやめない?それと、さん付けするのも。もう、会って、十日以上は経つんだし。普通に接してくれて、かまわないよ?」意外なことを言われて、明日良は唖然とした。
どうも、考え込んでいたのはそのことについてだったらしい。
「でも、和衛さんは私より、年上なんですよ?なんだか、悪いっていうか」
うつむきながらいうと、和衛は首を横に振ってみせた。
「いいんだよ。気にしなくても。むしろ、今までと同じようにされると、落ち着かない」
「わかりました。じゃあ、和衛君でいいのかな?」
口ごもりながらもいうと、和衛は笑いながら、そうそうと返してきた。
少し、気恥ずかしくなりながらも歩を進める。
不思議と穏やかに、時は過ぎていく。
明日良はそのまま、ついて行こうとしたが、前にあった石につま先が当たった。転びそうになったところをいち早く、気がついた和衛が腕をぐいっと、引っ張って、支えてくれた。それに、緊張してしまって、明日良はすぐ離れた。
「大丈夫?」
怪訝な表情で訊いてくる和衛に何度も肯いてみせる。
心臓がばくばくと鳴って、うるさいくらいだ。
顔が熱くなって、火照るのがわかる。
だが、明日良は首を横に振って、だめだと自分にいって聞かせる。
(和衛君は事務所の人たちがOKを出してくれたから、いてくれてるだけ。顔がカッコいいから、こうなっただけだよ)
けれど、そう思おうとすると、妙に寂しい気持ちになる。
その不可思議な感情を持て余しながら、明日良は歩き続けた。




