episode4、2
父は参議を歴任していて、母も中納言家の出身である。
それなりの家柄の娘であった。
けれど、両親が亡くなって、財産も底をつき始めた。
そこで、親戚の伯父のつてを頼って、後白河院の御所へ仕えることにしたのであった。
蓮華王院とも呼ばれるお寺で、院のお世話をする事になる。 そして、当時、かなり、年の差はあったが。
平経盛と文を交わす仲になり、恋人になった。
正式に結婚して、夫婦になることはなかったが。
二人の間には娘が生まれる。
それが波津姫だった。
菊丸はそこまでを思い出して、足を止めた。
ぜいぜいと荒くなった息を整える。
もしかしたら、平家の血を引くものだということで、源氏に引き渡されたか。
「おい!煙が上がっているぞ」
ふいに、男の大声が耳に届く。
見上げると、左手側の方から、白と灰の混じった煙に気づいた。
菊丸はそれが四条にある勢津姫の邸、現在は波津姫の邸だと直感でわかった。
ぐずぐずしてはいられない。
今、平家を追いつめて、滅亡させた義経も奥州へ向かい、旅をしているらしい。 陰陽師で自分の上司である家衛が仕入れてきた情報だった。 平家を打倒した義経たちがいないとなると。
脅威に感じるべきは頼朝だろう。
だが、紅樹はそんなことは知らない。
たぶん、嫉妬が原因で連れ去ったのだろう。
母の勢津姫に家衛が思いを寄せていたことを知っていたから。
紅樹は家衛が気に入って、ごく密かに邸に住まわせた白拍子である。
まだ、十七とかいっていたはずだ。
家衛が波津姫を連れ出して、奥州へ行こうとしていることをかぎつけられてしまったようだ。
煙を上げている邸が目前に迫ってくる。まだ、残っているらしい門から入った。袖で、鼻と口を覆って、庭へ飛び込む。火の粉と煙が目に入って、ひりひりと痛むが。
おかまいなしに進んだ。
波津姫の姿を必死で探す。
簀子縁や渡殿、他の部屋も走って、確かめた。
だが、なかなか、見つからない。
「いったい、どこにおられるんだ。紅樹め、見つけたら、ただじゃおかないぞ!」
うめくように言いながら、拳を作って、強く握りしめる。
その時だった。
ふと、紅色の布の端が目に飛び込んできた。
横目でそれをとらえて、左側に顔を向ける。
そこには、うつ伏せに気を失った少女が倒れていた。
「波津姫!」
大声で叫んで、駆け寄った。
顔色は青白く、息も絶え絶えだ。
首に手を差し向けて、起きあがらせようとした。
「ここにお姫様がいるって、わかってみせたのは大したことだとほめてやろうか。だが、お前みたいな小僧には用はないんだけどね」
皮肉に言う女の声が聞こえた。
後ろを振り向いてみれば、確かに白拍子の紅樹がそこに立っていた。
右手には鈍く光る小太刀が握られていた。
「家衛殿に養っていただいているのに、何故、こんな真似をする。そんなに波津姫が憎いのか?!」
「ああ、憎いよ。邸の女房たちがこのあたしよりも、まだ、子供同然の小娘にいれあげていると言っていたからね。しかも、初恋の女の、子だというじゃないか。平家の血を受け継いでいるというし」
「どこで知ったんだ!」
菊丸が怒鳴りつけると、紅樹は口端を上げて、にぃっと、笑ってみせた。
冷たい笑みを浮かべた女は炎に照らされて、美しく妖艶に見えた。
だが、その笑い方に菊丸は更に、腹が立った。
紅樹がふいに、小太刀を振りかざし、切りつけてくる。
ひゅんっと、空を切る音がした。
寸手の所でよけてみせた菊丸は倒れている波津姫から、遠ざかった。
二度、三度と小太刀が振り上げられたが、菊丸は素早くよける。
煙と火の粉でむせかえりそうになるが、こらえる。
「ちょこまかと動いてくれるな?」
紅樹は口をにんまりと歪めさせる。
それをみた菊丸はちっと、舌打ちした。 「…あんたの方こそ、何でこんな真似をする。人を傷つけて、楽しいか?」
かすれた声で問えば、紅樹は声をあげて、笑った。
「ああ、楽しいとも。あの女の娘を消せる良い機会だからね。たかが、公家の娘だからって、このあたしが負けるはずがない!」
確かに、姿形は美しいかもしれない。
だが、この女の魂は汚れきっている。
「…勢津姫様を呪い殺したのはあんたか?」
「あの女を?」
紅樹は意外そうに、目を一瞬だけ、見開く。
菊丸はその表情を見て、違うと気がついた。
「勢津様は誰に殺されたんだ。あんた、知っているんだろう?」すると、紅樹は声を上げて、笑った。
「知っている。どうせ、お前やこの小娘は死ぬんだから。特別に教えてやるよ」
菊丸は懐から、小刀を取り出した。
「簡単に、死んでたまるか!」
走って、距離を詰める。
横になぎ払うように、切りつけると、紅樹は素早く、よけた。
だが、火が大分、回ってきたのか、燃えた天井板が崩れ落ちてくる。小刀を投げ捨てて、菊丸は波津姫に覆い被さった。
炎から守るために、彼女をかばうためだ。
板は幸い、菊丸や波津姫の上には落ちてこなかった。ゆっくりと瞼を開けると、すぐに、菊丸が覆い被さっているのをいぶかしく、思ったらしい。
もぞもぞと動いて、右手で彼の肩をどかそうとする。
菊丸は腕に力を込めて、抱きしめた。
そして、安心させるためにささやく。
「今は落ち着いてください。すぐに、外へ出ましょう」
すると、波津姫は少しは状況を呑み込めたのか、こくりと肯いた。
「わかった。菊丸の言うとおりにするわ」
二人して、立ち上がって、炎でまだ燃えてない場所を探す。手を握って、小走りで御簾から、出る。簀子に下りて、階を駆け下りると、庭で池のある場所まで急ぐ。
切袴をはいていたおかげで、波津姫は転ばずにすんだ。
だが、門まで向かうと、燃えている最中であった。
ふいに、ドカッドカッと蹄の音が前方から、響く。




