『夜会』 ~ グレイヴ ~
1
今朝突然、五日後に祝宴を催すと陛下が言い出した。
お題目は兄上の婚約披露と、孫娘の誕生祝。だが実態は、ここしばらくおとなしくしていてたまった鬱憤を盛大に晴らしたい、という欲求不満の解消だろう。
国王主催の宴に臨むとき、俺は太子の近衛ではなく第三王子の立場に戻る。幼い頃からの常だったし、年に数度あるかないかの機会だから、制服を脱ぎ剣帯をはずすことにも否やはない。
まして今回は、ヤヨイと出席する初めての宴だ。質素な衣服を好む彼女も、国王の客として招かれれば平服でというわけにはいかない。着飾った彼女の隣に立つことを想像して、既に馴染みの緊張と甘い期待が胸を占めた。
折りしも明日は非番。ヤヨイを誘って城下に――ミツエが遺した店にでも行ってみようか。
だが部下たちに剣術の稽古を申し渡し、彼女を想いながらジェイルの執務室に足を運んだ俺は、意外な強敵の存在を知って愕然とすることとなる。
邪魔な主が不在の部屋には、ヤヨイが一人きりで必死に書類と格闘していた。
眉を寄せ唇をすぼめ、指先をインクで真っ青にして。そんな様子も微笑ましくていつまでも見ていたかったが、彼女のほうが気づいて「あ、王子」とつぶやき、はにかんだ笑みを浮かべた。
すぐさま抱きしめたい欲求を理性でおさえ、五日後に催される祝宴の話を聞いたか、と尋ねれば、愛らしい笑顔が途端にげんなりした表情へとかわる。
一緒に過ごせて嬉しいとか、楽しみだとか、そういう言葉を聞けるとまでは思わなかったが……少し傷ついた。
だがヤヨイはうちひしがれる俺に気づかず、窓辺の絨毯を見やる。
「王様から招待状をいただきました、アレと一緒に」
彼女の指差す先には――ドレスの山。
赤、青、緑、黄、紫、白、金、銀……この国にこれほど多彩な布があったのか、と若干見直す量だった。
「どれでもいいからすぐに選んで、お針子さんに直してもらわなきゃいけないんです……似合う色と似合うデザインが、一致してれば悩まないんですけどね」
ふっと自嘲的に笑い、ヤヨイは遠い目を窓の外に向ける。なんと言えばよいかわからず、俺も黙って同じほうを見た。うかつな発言で底の浅さを露呈するわけにはいかない。
どうやら衣裳を贈るのは、陛下に先を越されたようだ。できれば俺が選んだものを着てほしかったが……急な話だったのだ、今回はあきらめよう。
気を取り直して、当日はイゼの家まで迎えに行こう、と申し出る寸前、ヤヨイは憂鬱そうなため息をついて言った。
「まぁなにを選んでも、殿下と並んだらわたしなんかゴミみたいなもんですけど」
混じりけなしのあきらめをのせた言葉。なにを言うかと声を上げかけ、頭のどこかに引っかかりを感じる。
……殿下? ヤヨイは普段、俺を殿下と呼ぶことはない。それ以前に、俺はまだ彼女を誘ってすらいない。
嫌な予感がつま先から這い登るのを感じながら問いただせば、彼女は唇をとがらせてうめいた。
「ジェイル殿下、王族の席に座りたくないんだそうです。女の人とダンスしたりお酒を勧められるのが面倒だから、カモフラージュにそばにいろって」
恨まれそうだから行きたくない、だの、そういう場は苦手だから家で寝ていたい、だのと珍しく不平を漏らす彼女は可愛らしかったが、俺はそれどころではなかった。
おかしくはないか?
なぜ国王主催の正式な祝宴の席に、俺でなくジェイルと向かうことになるのだ。そして彼女は、なぜそれに嫌々ながらも納得している?
やはりおかしい。名目は兄上の婚約披露であるものの、俺とヤヨイにとっても大事な日であるはずだ。
たとえジェイルが慣例に背いて役職に準じるとしても、彼女は俺を優先させるべきだ。いや、頼むから優先すると――せめて、優先したかったと言ってほしい。
だがそんな願いもむなしく、どうしてもジェイルと行くのか、と恨みがましく問う俺にヤヨイは言った。
「お仕事ですから」
完敗だった。
2
祝宴を二日後に控えた夜、自室に引き上げたジェイルを訪ねた。
このところ多忙さゆえか奇行もおさまっていたはずだが、この日のジェイルは変人の評を裏切らぬ行いに没頭していた。
剥き出しの石の床に腹ばいになって、両腕をまっすぐ前に伸ばして――藁を、積んでいる。しかもものすごく真剣な顔だ。
なにをしている、と声をかけたら、手元が狂ったようだ。どうやら家の形に組み上げていたらしい藁が、ぱらぱらと石の床に崩れて落ちた。
「ちょっとグレイヴ、繊細な作業の真っ最中だったんだけど?」
非難を込めた眼差しを向けられるが、そういう眼をしていいのは俺のほうではないかと思う。
あれから何度も直談判したが、ジェイルは決してヤヨイを返すとは言わなかった。
確かに、この兄は宴に出れば女どもに取り囲まれていつも辟易としていた。ここ数年は自分も同じ目に遭うので、その苦痛は少なからず理解できる。
だがよりにもよってヤヨイを虫除けにする必要はないはずだ。それをどう訴えても、聞き入れる様子はなかった。
「だってさぁ、ヤヨイほどの適任っていないじゃない。あのコは他のどの女も絶対に真似できない、最強の取り柄があるんだもん」
それは間違いない。
どれほどの美女であろうが、たとえ王族や貴族の姫であっても、『外』の人間にはなれないからだ。『外』趣味で有名な国王の目の前で、それがどうしたと切って捨てられる女はいまい。
「ケチくさいこと言わないの。君はこれから先ずっとヤヨイを独り占めできるんだよ? これが最後の機会かもしれないんだから、僕にも純粋に宴を楽しませてよ」
そう言われてしまえば、なんとなく頷かざるを得ない。独り占め、という言葉の魅力に惑わされたことも、この兄に対するほのかな優越感に屈したことも否定はしない。
だからと言って、馬鹿正直に二人きりでいさせるほどのお人よしでもない。いまさらヤヨイがジェイルの美貌に目が眩むとも思わない――信じたいだけかもしれない――が、非日常的な空間が彼女の心理にどう作用するかはわからないのだ。
俺は渋々ヤヨイの「仕事」を認め、そのかわり、最初から最後まで俺も一緒にいることを承諾させた。
3
祝宴当夜、ヤヨイは大広間からほど近い客室の一つに押し込められていた。
父王から贈られた衣裳は、とてもロマの手に負える代物ではなく、賓客を迎える際につけられる女官たちが着替えを手伝っているのだという。
いつもの紺色の制服から、白を基調に銀と紫で刺繍を入れた正装に身支度をあらためて、俺はその部屋の前で彼女の支度が終わるのを待っていた。扉の向こうからは時折悲鳴や歓声のようなものが漏れ聞こえ、そのたびに飛び込みそうになるのを我慢しなくてはならない。
普段は黒髪を結うこともなく、若い娘らしく着飾ることも楽しまないヤヨイ。どんな姿を見せてくれるのかと、ただ待つ間も胸が弾んだ。
きっとどれだけ飾り立てても、渋い顔をしているにちがいない。
自分の中で彼女の表情を予想して番付などしているところへ、ジェイルがやって来た。
俺と同じく伸ばした髪は後頭部で高く結い、だが服装だけは普段より少しマシ程度。袖のある黒い丈長の上着に、黒い下衣をあわせている。それが淡い金髪とあいまって、彼を精悍に見せていた。
悔しいが、やはり姿形では絶対にこの兄にはかなわないのだ。ヤヨイが選んでくれた、その一点だけが俺の拠り所となっていた。
「招待客の名簿、見た? ぞっとしたよ、一人で出席してたら生きて広間を出られないところだった」
隣に並ぶなり青ざめた頬を引きつらせるジェイルに、俺はおかしくなって笑った。兄上ほどでないにせよ、ジェイルもそろそろ妻を娶って不思議ではない年齢だ。順番からいっても、俺より先であるべきだった。
いっそのこと、その名簿の中からだれか見繕ったらどうだ、と言ったら、思い切り鼻に皺を寄せて睨まれた。
「冗談でしょ? 国のために死ねって言われれば死ぬけど、国のためでもそれだけは絶対に拒否する」
あまりに真剣な口調に、俺はもう一度笑った。決まった相手がいるという余裕もあっただろう。
気の毒に、と思ってもいないことを口にしたとき、扉が開いて女官の一人が顔を出した。ヤヨイの準備が整ったので、広間へ案内してやってくれ、と言う。
「そういえば僕、試着した中からドレスを選んであげたんだけどさ」
不意にジェイルがにやにやと唇の端を曲げ、俺は耳を疑った。
そこに至るまでの状況と理由を説明しろ、と迫る俺に、ジェイルはふんと鼻を鳴らした。
「上司の特権。ところで君、ハンカチ持ってる? 鼻血噴く用意はいい?」
どういう意味だ、と問い返す前に、一度閉じた扉が再び開く。
現れたヤヨイの姿を見て、俺はジェイルの発言の意図を悟った。
「お……お待たせしました……」
羞恥のためか首元まで赤く染めたヤヨイは、紫色のひどく扇情的な衣裳をまとっていた。
くっきりとした鎖骨から肩まで露にした胸元は深く抉れ、白くやわらかそうな胸のふくらみを半分ほどしか隠せていない。袖や裾は長くとられているが、全体的に身体の線を強調するようにぴったりとしていて、膝から先だけやけにヒラヒラしている。
すっきりと髪を結い上げているせいで、別人のように大人びて見えた。髪に挿した花の形をした銀の飾りが、身じろぎするたびにしゃらしゃらと音を立てる。
「……グレイヴ。その締まりのない顔といったら、鏡で見せてあげたいよ」
あきれを通り越して同情さえ滲ませるジェイルの声にも、反応する余裕がない。
どこと言わず全身を凝視して硬直する俺を見上げ、ヤヨイは不安げな目をした。
「あの……ヘン、ですか?」
小さな声でそう問われても、ただ首を横に振ることしかできない。口を開いたら、腰が細いだの予想外に胸が大きいだの、ろくでもないことを吐き出すにちがいないと確信していた。
なにより、いますぐ部屋に戻っていつもの服に着替えてこいと、理不尽でもなんでも要求してしまいそうだった。
ほんのりと紅を刷いた小さな唇も、緊張で潤んだ黒い瞳も、その白い胸元も、他の男に見せるだなんて言語道断だ。
だがもはや無言になったジェイルが俺の袖飾りから細い銀鎖を一本はずし、無表情にヤヨイの首に飾るのを見て、膨らみかけた独占欲がすっとおさまった。
「ほんとわかりやすいね、君。男としてどうかと思うよ」
軽蔑しきった目を向けられても、気にならなかった。
戸惑うヤヨイは首にかけられた銀鎖に指先で触れている。等間隔に深い青の――俺の瞳と同じ色の石が揺れる鎖。紫と見紛う色合いのそれは、彼女の服の邪魔にはならない。そのことをひどく満足に感じた。
「じゃ、行こうか。大丈夫だよ、ヤヨイ。よく似合ってる」
ジェイルが称賛を贈って自然な仕草で促すが、ヤヨイはちらりと俺を見やり、うつむいて、ぎこちなく俺の肘に手をかけた。
胸が熱くなった。大声で笑いたいような泣き出したいような、空も飛べそうな気分だった。
「だから君さぁ……もういいや、どうでも」
やってられない、とつぶやきながら、ジェイルはさっさと歩き出した。 俺はその後をゆっくりと追いながら、指先まで赤く染まった小さな手をそっと握った。
よりにもよってこの衣裳を選んだジェイルと、迷わず俺の腕に手を添えたヤヨイに免じて、心の中だけで叫んでおく。
――そういう格好をすることは、二度とゆるさない。二人きりのとき以外は。
4
大広間からつながる階段で、中庭へ降りた。
冬も間近な時節とは思えぬ熱気で、広間は蒸すように暑い。白い上着を脱いで肩に引っかけ、それでちょうどいいくらいだった。
ジェイルの思惑は的中し、ヤヨイは見事に虫除けの役目を果たしている。そばに寄るのはちゃんと政に関わる話題を持っている男ばかりで、さぞかし張り切って来たのであろう女たちは、悔しげな表情で遠巻きに二人を眺めていた。
だが先ほどガルムが顔を出すなり大挙してそちらへ押し寄せていったのだから、服も化粧も無駄にはしない執念に恐れ入る。
篝火に照る泉の縁に立ち、目を閉じた。
兄上もじき義姉となる女性も、祝福の言葉を浴びて幸福そうだった。
目を開けて、広間を振り返る。いたたまれなくなって逃げ出した場所。
意外なことに、ヤヨイはジェイルの話にきちんと着いていけるようだった。顔はともかく名前だけは知っている、という相手がほとんどで、挨拶をされれば「この人が」という表情で納得していた。
俺は政に疎い。昔からそうだった。ヒロと武具の話で盛り上がることはあっても、父王や兄たちのように政務に関わる話題に花を咲かせることはできない。剣術や馬術では誇るものもあるが……こういう場では役に立たないのだ。
瞳を輝かせて細々とした質問を矢継ぎ早に発しながら、ヤヨイは帳面とペンがないことが悔しいと笑った。そんなものがあっても、俺にはなにを控えればいいのかわからない。
独身の役人たちが俺を一瞥し、わざとらしくヤヨイの正面に立って話を振る。出過ぎるなと遮るのはジェイルで、俺はただ黙っていた。王族と臣下の構図ではない、ヤヨイを巡る鞘当で競り負けたことを悟った。
今日初めて、文官が妬ましく思える。
机に向かって小難しいことを書き散らしているのが仕事だなんて、いいご身分だと侮っていたのに。ヤヨイと共通の話題がある、それだけで胸が焦げるような怒りを覚えた。
人形のように美しい彼女をだれにも見せたくないと心から思うのに、男たちを視線で牽制する資格すら俺にはないのだ。
俺はヤヨイに、あれほど活き活きとした目をさせることはできない。
己の無力をかみ締めながら、自省を上回る嫉妬が血を滾らせる。そのくせ、血の味に似たそれを味わうのは、だれよりもヤヨイを愛している証拠だと暗い充足に安堵する。
惨めだった。
5
かさ、と草を踏む足音に振り返る。
そこにはヤヨイが、黒い上着の裾を引きずるようにして立っていた。ジェイルのものだ。いますぐ剥ぎ取って泉に投げ捨てろ、と凶暴な声が聞こえる。
「寒くないですか、王子」
眉尻を下げて尋ねる視線は、俺の足元に向けられている。見ればいつの間に落ちたのか、肩にかけていたはずの上着が死んだ鳥のような姿を晒していた。
「ジェイル殿下はお仕事の話をしてるから、女の人たちも遠慮してるみたいです」
そう言いながら、立ち尽くす俺の代わりにヤヨイが上着を拾い上げる。俺は差し出されたそれを無言で受け取り、ジェイルの上着を奪って地面に投げ捨てた。
あ、と目を丸くする彼女の手首をつかんで、思い切り抱き寄せた。腕の中で小さな身体がもがき、うめき声を上げている。
押し寄せる感情にどんな意味があるのか。隙間なく抱きしめても、俺の一部が端からなにかに喰われていくような気がした。
「お、じ……っ」
苦しげに呼びかけられ、ほんの少しだけ力を緩める。顔を上げて、ぷは、と息をついたヤヨイは、怒るでも戸惑うでもなく――恥ずかしそうに、微笑った。
「急にいなくなっちゃうから、心配しました」
迷子になったとでも思ったかと問えば、眉に困惑を滲ませて首をかしげる。それからそっと俺の胸に頬をあて、ベルトの縁をたどるように指をすべらせ、ぎこちなく両手を背に回す。結い上げた髪の陰で、丸い耳が真っ赤に染まっていた。
「……わ、わたしが……さみしく、な……っちゃった」
聞き取れるかどうかの囁き。直後ヤヨイはぎゅっと俺にしがみつき、額を胸に押しつけてきた。
俺は彼女を抱き返すことも忘れ、顎の下にあるつむじを見つめた。操られたように手を伸ばし頬に触れると、剥き出しの肩がふるりと揺れた。
果物のような甘い香り、冷えた肌、盗み見るように向けられる眼差しにはかすかな怯えと――。
ああ、と、唐突に理解する。
屈んで顔を寄せると、ヤヨイはきゅっと口をつぐみ目を伏せた。
紅潮した頬、ねだるように潤んだ瞳、ふるえているのにぴったりと合わせて離れない胸。背徳的なまでに艶やかな、女の貌。
優秀な文官がなにほどのものだ。たとえ彼女から快活な笑顔を、健やかな輝きを引き出せたとしても、奴らは決して俺には勝てない。
胸の中で膨れ上がっていく愛しさと、触れ合った唇から消えていく嫉妬の残滓に目眩を覚えながら、俺は思った。
ジェイル、おまえは正しい。
恋なんてものは、見るのもするのも――やってられない。
「束縛する彼のセリフ(設定変更・束縛したかった彼のセリフ)」
「確かに恋だった」サマよりお題を拝借。




