公爵令嬢と入れ替わってしまった少女のお話
目が覚めたら、見覚えのない朱色の天蓋がそこにあった。
ベッドの外にいる相手の表情など見えない、天蓋が天蓋の役割をきちん果たし、ベッドの上にいる人間のプライバシーを保護してくれるタイプのもの。
これは大変な事態かもしれないぞと、ほんの数年前まで平民だったシャーリーは思った。
思ったのだが、そんなことより睡魔が勝った。
毎日のように行われる睡眠三時間の詰め込み教育に、心身共に疲れ果てていたのだ。
非常事態かもしれないなど、知ったことではない。
用があるなら、使用人か教育係が起こしにくるはずだし、それがないなら、寝ていても問題ないはずだ。
この数年の間に、シャーリーの精神は随分とふてぶてしく──失礼、たくましくなっていた。
一瞬の逡巡のあと、シャーリーは、なにも見なかったことにしてこくりと頷き、身体の上にある布団を両手で引き掛け直したそのとき──横に天蓋のカーテンが勢いよく開かれる音がして、シャーリーは目を見開き、反射的に身体を起こし顔を上げた。
するとそこには、金色の髪に碧色の瞳に長い睫毛と、絵に描いたような美青年がいた。
シャーリーは、この男を知っている。
妃教育で覚えた貴族の一覧にいたのだ。
とある公爵家のご令嬢の従者である。
もっとも、シャーリーは数年前まで平民であった為に知らなかっただけで、年の近い貴族子女の間で知らない者はいないだろう。
この男も、主のご令嬢も、ちょっとした有名人なのだ。
「……寝たふりは迷惑なんだけど」
「失礼ですね、寝たふりではなく、二度寝です」
「もっと迷惑だ」
心外だと反論すれば、目の前の男に機嫌悪そうに返された。
「寝られるときに寝る。生存戦略において、これほど大事なことはありません。……というわけで、おやすみなさい」
身体を横にし、目を瞑る。
さりげなく布団を両手で引いて、身体に近づけるのも忘れない。
さあ、眠りの世界へ、いざ。
シャーリーは草原で出会った羊に誘われ、背中に乗ろうとしたのだが──それは、かなわなかった。
次の瞬間、「起きろ」と耳元で叫ばれ、シャーリーは目を覚ました。
視線を落とせば、引き寄せたはずの布団も、僅かに捲れている。
「…………一瞬で眠りにつける才能を尊敬するよ」
「全く心がこもってない世辞をありがとうございます」
どうやら、目の前にいる男は、眠らせてくれないらしい。
やれやれと、シャーリーは身体を起こした。
「せっかく、眠り放題だと思ったのに」
「なぜその結論に至ったのかが不思議でならない。見覚えのない場所で目が覚めたら、非常事態だと警戒するものだろう」
目の前の男は、理解不能だと言わんばかりに、肩を竦める仕草をした。
「知らない場所で目が覚めるのは、初めてではないもので。一度目は、実の父親が迎えに来た日に。二度目は、どこかの王子さまに婚約者にされた日に。…………お貴族さまって、誘拐するのがお好きですよね」
皮肉げに笑い、シャーリーは、暗に『貴族たちは、平民を人間扱いしていない』と伝えると、目の前の男は、はっとした表情をしたあと、少しだけ申し訳なさそうにした。
まるで、初めて目の前にいる存在が人間だと気付いたみたいに。
その様子が意外で、シャーリーは目を丸くした。
実の父親を名乗ったあの男にも、シャーリーを勝手に婚約者にしたあの王子さまにも、シャーリーの言葉は全く響かなかったのに。
「…………その、悪かった」
思いがけない謝罪の言葉に、シャーリーは驚いて肩が跳ねた。
まさかのまさかである。
謝られるとは夢にも思わなかったのだ。
「えっ、あの……別に、謝って欲しいわけでは……」
しどろもどろなのは、許してほしい。
生まれてこの方、謝られたことなどなかったのだ。
「きみはきっと、俺たちを生涯ゆるしはしないだろう。それだけのことをした」
なんのことだろう。シャーリーは首を傾げた。
たかが誘拐で一生根にもつほど、シャーリーは心は狭くないつもりだ。
いや、誘拐は犯罪だし、良くないことだけれど。
もしかしたら、ふいに思い出しては、むしゃくしゃするかもしれないけれど。
「少し待ってて」
目の前の男はシャーリーに背を向けた。どこかへ向かったようだ。
がさごそと音がする。シャーリーはベッドの上から視線だけを動かした。
この天蓋つきのベッドに、部屋のカーテン、調度品から、どうやら女性の部屋のようだとシャーリーは推察した。
なんだろう。とても良くない予感がする。
そう、かつて住んでた孤児院で、品のない金持ちの男が品定めのような視線を向けてきたときのような。
「おまたせ」
目の前の男は、そう言って手鏡を渡してきた。
シャーリーは、意図がわからなかった。覗けということだろうか。
首を傾げつつ、鏡を受け取り、覗いたところで──シャーリーは、口をあんぐりと空けた。
悲鳴は、声にならなかった。
「…………これ、は」
辛うじて出た言葉だった。
理解できない現状をなんとかのみこもうとした末のもの。
「……うちのお嬢さまが、どうしても王子妃になりたいと」
「おうじひに」
「……平民として育った人間がなるのは、ゆるせないと」
「なるほど」
「…………その結果、黒魔術に手を」
「それはまた」
随分と発想がぶっ飛んだものだと、シャーリーは思った。
スキャンダルをでっち上げて引きずり下ろすとか、どっかの暴漢に襲わせるとか。
自分で手を下さず手下の者にそれとなくやらせるなんて、貴族ならさして難しくない方法ではなく、黒魔術。
果たして彼女は、どんな代償を支払ったのか。
シャーリーが鏡に映る姿を眺め思案していると、頭上に声が降ってきた。
「…………きみには、本当に、申し訳ないことを」
先ほどから、目の前の男は随分と殊勝な様子である。
よほど、シャーリーの言葉が響いたのか、なんとも居心地が悪い。
「……過ぎたことですから、それに」
「それに?」
「アマリアさまが、お妃教育を代わってくださるってことですよね!」
手にしている手鏡を両手でぎゅっと握り、シャーリーは満面の笑みを浮かべて言った。
シャーリーにしてみれば、こんなに嬉しいことはなかった。
「神さまっているんですね!生きててよかった!」
思わず飛び上がりそうな勢いで喜ぶシャーリーに、目の前の男は拍子抜けしたように言った。
「……そうか。それはよかったな」
それは、呆れたような安堵したような声だった。
◆◇◆
ガタガタと、揺れないってすごい。
国のはずれから出てきた乗り合いの馬車とも、事実上の父親の男爵家の馬車とも違うふかふかの乗り心地に、シャーリーは感激していた。
ちなみに、王室の馬車になど乗った記憶はない。
学舎から王宮までの往復は男爵家の馬車だったし、婚約者の王子はシャーリーを婚約者として扱ったことがそもそもないのだ。
あの王子が興味があったのは「平民育ちの男爵家の少女と王子の真実の愛」というラブストーリーで、シャーリー自身に興味があったわけではない。
そもそもどこに真実があったというのだろう。
学舎で突然誘拐されて王宮の一室で目が覚めるまで、面識さえなかったのに。
揺れない乗り心地の馬車は、国の中心である王都から離れた教会へと、シャーリーと、誘拐もといシャーリーと公爵令嬢アマリアの身体を入れ替えた共犯の従者を乗せて向かっている。
向かう教会は、母親が亡くなってから父親と名乗る男爵が迎えにくるまでシャーリーがお世話になっていた場所だ。
目の前に座る公爵令嬢の従者の男が、詫びに願いごとを聞いてくれるというので、「教会に行きたい」と言ってみたところ、翌日に実現したのである。
まさかの、翌日。最短である。
しかも律儀についてきて、エスコートまでしてくれるのだ。
シャーリーは、目の前の男がよくわからなかった。
「…………えっと」
「はじめまして。わたくしどもは、レディシャーリーの知り合いの者です」
「まあ、シャーリーちゃんの!……って、いけないわね。彼女はもう貴族になったのだもの。彼女は元気?あれからどうしてるか気になってたの」
「連絡とか……手紙とかは、なかったのですか」
「なかったわ。でも、当然よ。私たちとはもう住む世界が違うのだから」
シャーリーは愕然とした。
シャーリーが書いた手紙はひとつも届いてなかったのだ。
ショックのあまり、今すぐ暖炉に薪代わりに王子を焚べたいシャーリーだったが、なんとか表情をとりつくろい、焼いてきたクッキーを渡し、その場をあとにした。
「…………いますぐ、あのクソ王子を焚べましょう」
「不敬罪で捕まるぞ……」
「約束守ってないじゃないですか。私の書いた手紙はどこへいったんですか!」
シャーリーは、王子の婚約者になるときに条件をひとつ提示した。
婚約者になる代わりに、教会を支援して欲しい。
約束を守ってくれるなら、婚約者になっても構わないと。
毎月一回、手紙と共に寄附や食材が送られるはずだったが、この分だと、その支援もされてないだろう。
「今すぐ、今すぐ王子を焚べましょう。幸い、王子はたくさんいますから、ひとりくらいいなくても問題ないはずです」
「確かにあの王子ひとりくらいいなくても問題ないが、そういう問題ではない」
そういう問題である。由々しき事態だ。
五人いる王子の、王位継承権が下から二番目だ。
いなくなってもそこまで支障はないはずだ。
シャーリーは腹の虫がおさまらず、しゃーっと目の前の男を威嚇した。
「……ならば、今、支援すればいい。今の君は公爵令嬢なのだから」
「……それは」
確かにそうかもしれない、が。シャーリーは口ごもった。
今のシャーリーはたしかに公爵令嬢アマリアの身体だ。
だが、シャーリーはアマリアではない。
今後、シャーリーがアマリアとして生きていくとしても、アマリアであって、アマリアではないのだ。
「僕がそうしろと言っているのだから、気にしなくていい」
シャーリーは、目の前の男を見た。
目の前の男とその主は、有名人だ。
いつもふたりで行動をともにしているのだとか。
年頃の男女がふたりいつも一緒だなんて、いかがわしいことをしていると勘繰られても仕方ないかもしれない。
だが、その裏事情を、シャーリーはお妃教育で知った。
アマリアの父親である公爵は、目の前の男をアマリアの婚約者に、つまり公爵家の跡取りにと考えていたとか。
だからこそ、噂が立っても放置していたし、なんなら悪い虫がつかなくてちょうどよいとさえ考えていたそうだ。
もっとも、当のアマリアは、王子に懸想していたが。
シャーリーは考えた。
跡取りが言っているのなら、問題ない……だろうか。
「だろう?」と確認するように訊ねられ、シャーリーは、こくりと頷いた。
◆◇◆
四歳のときに母親が亡くなって、教会の孤児院に引き取られ、
十二歳のときに、目が覚めたら父親と名乗る男の屋敷にいた。
十三歳のときに学舎に入学し、
十四才のときに目が覚めたら王子の婚約者になるよう迫られ、
十六歳でアマリアと入れ替わった。
──それから、三年が経った。
「──羊さん、今日は……」
がばっと布団を捲られ、シャーリーは目を覚ました。
「……ヴィル、仮にもレディの部屋に無断で入るのはいかがなものかと思うのですが」
「悪かったな。読んでも起きなかったものだから。つい」
つい、ではない。
羊たちと輪になって踊るところだったのに、あと少しものところで目が覚めてしまったシャーリーは、不満げにヴィルヘルムを睨んだ。
「むむむ」
「今日は結婚式のドレスの打ち合わせだっていうのに、寝坊しそうなシャーリーが悪い」
それは確かにその通りである。
その通りである、が。
「……羊さん」
十匹の羊と輪になって踊る、夢のような出来事だったのに。
あまりにも残念そうなシャーリーに、ヴィルヘルムは言った。
「今度、昼寝に付き合うから」
「本当ですか?!」
シャーリーの顔がぱあっと明るくなった。
現金である。
「ヴィルが一緒だといい夢見れる気がします……っと、ごめんなさい。ドレスの打ち合わせでしたね。行きましょう」
「……その前に、着替えだ」
「……え?」
今気付いたと言わんばかりに、シャーリーは呟いた。
「君の羞恥心のベクトルは、たまにずれている気がするよ」
ヴィルヘルムはそう言うや否や、ネグリジェ姿のシャーリーに上着をかけた。
「寝てる乙女の部屋に突撃してくるヴィルに言われたくないですね」
「だったら、僕に起こされなくても起きてくれ」
「どういうわけか、ヴィルに起こされると起きられるんですよね。ふしぎです」
えへへ、とシャーリーが笑うと、ヴィルヘルムは赤くなって目を逸らした。
昨年、学舎を卒業したシャーリーとヴィルヘルムは、あと半年で結婚式を迎える。
シャーリーと入れ替わったアマンダの結婚式も近いらしいと、風の噂で聞いた。
公爵令嬢として教育を受けて、シャーリーと身体を入れ替えてまで王子の婚約者になりたかったアマンダなら、きっと上手くやれるだろう。
「──そういえば、アマンダさまの結婚式の招待状ってきてないんですか」
「……残念ながら、きてない」
「そうなんですね。ヴィルは従者だったし、王家から公爵家にはくるものかと思ってました」
シャーリーは入れ替わってから、一度もアマンダと遭遇していない。
シャーリーとアマンダは元々学年が違うから会わなくて当然かもしれないが、パーティーの招待状さえ一切来ないのは、少しだけ残念な気持ちになるのだった。
シャーリーは、元々平凡育ちだったので、睡眠3時間の地獄の詰め込み教育でしたが、
入れ替わったアマリアは元々令嬢教育を受けてるので、睡眠3時間にはならないはず。
あと、シャーリーはひどい扱いされてもやられっぱなしでしたが(対処法の教育を受けてないので)、
アマリアはそのへん上手くやるんじゃないかなーと思ってます。




