第7話 侵食された聖女
クロナは、見たことのない場所にいた。
しかし、体はずぶ濡れの状態なので、さっきまでは確かにあの雨の中にいたことを物語っている。
「遅くなってすまなかったな。今代の聖女よ」
どこからともなく声が聞こえてくる。
その声に反応して顔を上げると、そこには年老いた人物が立っていた。顔は白い髪やひげなどで隠されていて、まったくといっていいほどよく見えない。
目の前の見たことのない人物に、クロナは思わず体を震わせてしまう。
「くちゅん」
「おお、体が冷えておるのか。すまんな」
クロナがくしゃみをした様子を見て、老人がぱちんと指を鳴らす。一瞬でクロナのずぶ濡れの全身が乾いてしまう。とんでもない魔法に、クロナは驚かされるばかりである。
「ひとまずここに座って落ち着きなさい」
老人がもう一度パチンと指を鳴らすと、テーブルと椅子が現れる。
クロナはびっくりしながらも、老人に言われた通り、椅子に腰かけて落ち着こうとする。
ところが、先程まで殺意を向けられていた状況ゆえに、クロナの体の震えは止まらない。
見かねた老人は、落ち着けるようにとホットミルクを差し出した。
「ありがとうござます……」
誕生日に家を追い出されてからというもの、ブラナ以外から初めて受けた厚意にクロナはホットミルクを飲みながら涙を流している。
「あの……」
「なにかな?」
ホットミルクを飲んで少し落ち着いたのか、クロナは老人に声をかけている。
「あなたは、もしや神様なのですか?」
「いかにも。わしはこの世界の神じゃよ」
クロナが確認すると、老人は自分が神だと認めている。
だが、次の瞬間、神はクロナに対して頭を下げてきた。
「すまぬ、今回のわしの責任じゃ」
突然の謝罪に、クロナは困惑の色を隠せない。なにせ自分が祈りを捧げている相手からの謝罪なのだ。戸惑うのも無理もないというものだ。
「あ、あの……、頭をお上げください」
クロナはこういうものの、一向に神は頭を上げようとしない。
それもそうだろう。神には頭を上げられない理由があるのだ。
「わしが少し居眠りをしている間に、邪神の侵入を許してしまうとは……。クロナよ、そなたの運命が捻じ曲がったのは、その邪神のせいなのだ」
「えっ、それはどういうことなのですか?」
「おぬしをここに呼ぶのに時間がかかってしまった理由は、邪神の侵入に気が付いたからだ。それを調べている間に命の危険にもさらしてしまうとは、神として誠に申し訳ないと思っている」
神の話に、クロナはまったくついていけずにいる。一体どういうことなのだろうか、クロナは落ち着いて話をして欲しいと願う。
ようやく神が落ち着きを取り戻し、クロナに対して事のあらましを話し始める。
神が語ったところによると、クロナに対する周囲の態度の変わりようは、頭に生えた二本の触覚によるもののせいだという。
この触覚こそが、邪神が介入した証拠であり、これによって周囲へ自分は滅ぼすべきで敵であるということを認識させているらしい。
「少し戻って見させてもらったが、君の侍女がかろうじて残っていた正気で語った内容は正しい。君に生やされたその触覚からの発生する魔力を、とある合図をもって受け取れるようにしているのだ。まさにそれは精神汚染といったところじゃろう」
「その合図とは?」
神の話にを聞いていたクロナは、当然その疑問を口にする。
「雷じゃよ。それを合図に、雷の落ちた周囲の人間は魔力の汚染を受ける。しかも厄介なことに、それは精神を一瞬で蝕み、心の奥底にまで刻み付ける。わしも今も並列で対応をしておるのだが、邪神のやつがかなり周到に用意したものらしくて、すぐにというわけにはいかぬのじゃ」
「どのくらいあれば、それは解除できるのでしょうか」
「そうじゃのう、その触覚さえどうにかできればと思うのじゃが、完全に同化してしまっておる。無理に解除しようとすれば、クロナの体はおろか、魂すらも消しかねぬ」
「そ、そんな……っ!」
神から聞かされた話に、クロナの衝撃は計り知れなかった。
自分へと悪意を向ける原因となる頭の触覚は、クロナの体はおろか魂ともつながっており、切り落としてもすぐに再生はするし、無理に除去しようものなら魂すらも消し去りかねないというのだ。
「いった、どのくらいあれば可能なのでしょうか。痛っ!」
「むっ、いかん。この世界に呼び寄せたのはいいが、角の魔力が反発してクロナに影響を及ぼし始めたか」
急激に発生し始めた痛みに、クロナは耐えきれずに体を抱えてしまう。
そこで、神は手短に話をする。
「わしが今から全力を持ってクロナの運命を元に戻す作業に入る。それまでは、なんとか生き延びておくれ」
「元に、戻るのは、いつなのですか……」
「早くて三年後じゃろう。なにせ魂とまで同化させておるのだ。慎重にせぬと、クロナが死に、世界が滅びてしまう。やつめ、わしに恥をかかせようとしてこんな手の込んだことをしおったのだな」
「さ、三年……。耐え切れる気がしません」
神の話した期間に、クロナは悲痛な叫びを上げる。
たった一日で何度危険な目に遭ったか。それを思えば、三年なんて耐えきれる気がしないのである。
「大丈夫だ。クロナが本気で願えば、きっと助けてくれるものがおる。人とは限らぬが、最後まで希望を捨てるな。わしも神だ、意地でも邪神の思い通りにはさせぬよ」
「待って……!」
クロナは神の庭から強制的に追い出されてしまう。このままでは邪神に蝕まれた体がもたないと判断されたからだ。
「一応、現状は安全な場所に出てもらった。これ以上あやつの思い通りにさせてはならぬ。わしもやることをやらねば……」
テーブルなどを片付けた神は、白い空間の中へと姿を消したのだった。
邪神に侵食されたクロナ。
神がすべてを浄化できると宣言した三年後まで、はたして生き残れるのだろうか。




