第71話 見えなくなる先
「ただいま戻りました、お嬢様」
コークロッチヌス子爵領を守るために出ていたブラナが、ようやくアジトへと戻ってくる。
「ご苦労さま、ブラナ。結果はどうでしたでしょうか」
心は壊れたとはいえ、クロナは相変わらず落ち着いた感じである。ただ、ブラナを迎えた時にまったく表情の変化を見せなかったことから、やはりその心はまったく癒えているようには思えない。クロナの無表情に、ブラナの心はただ痛むばかりである。
だが、今は結果の報告をしているところだ。ブラナは心の内をぐっとこらえ、クロナへと報告を始める。
「そうですか。魔族が出てきましたか……」
「はい。お嬢様くらいの年の姿をした魔族と、道化師とかいう気持ち悪い格好をした魔族の二人です。ですが、少年の方は旦那様の一撃により葬られ、道化師の魔族には逃げられてしまいました。確か、クラウンと名乗っていましたね」
「さすがはお父様。魔族すら相手にしないほどの強さとは……。もし、私の方に剣先が向いたら、背筋の寒くなる話ですね」
クロナは報告を聞きながら、その身を震わせているようだった。
邪神の介入で運命が捻じ曲げらえれ、自分の家族からも命を狙われるようになったクロナ。それゆえ、兄であるシュヴァルツ同様、いつ父親に攻撃されるかと警戒しているようなのだ。
それなりに命を狙われ続けたクロナだったが、バタフィー王子が襲撃を諦めて引き下がっていったあたりから、王国民たちによる襲撃がかなり減った。コークロッチヌス子爵令息シュヴァルツ、ホーネット伯爵令嬢メープルが死に、バタフィー王子すらも手を焼いたことで、おそらく慎重になったのだろうと推測される。
そこへ、魔族が襲撃をかけるという新しい動きが生まれた。
これによって、クロナへの攻撃の手はさらに緩むとは思われるのだが、ブラナにはまだまだ懸念というものが付きまとっている。
「……どうかしましたか、ブラナ」
「いえ、なんでもございません」
自分に向けられる視線に気が付いたクロナは、ブラナへと声をかける。視線に気が付かれたブラナは、顔を逸らしてごまかしている。
思ってもみなかった反応にクロナが驚いているようだ。それでも、今のブラナにはクロナのことをしっかりと見ることはできないようだった。
『おや、ブラナ。戻ってきていたのですか』
「イトナ。私が留守の間、お嬢様のことを守ってくれてありがとう」
『いえ、当然のことでございます。主を守るのが、眷属たる私の務めですからね』
アサシンスパイダーのイトナは、にこりと微笑んでいた。姿は大型のクモではあるが、名づけのこともあってかその表情はよく分かるくらいに変化するようになっていた。
『それにしても、魔族ですか。話は聞こえていましたので、だいたいの事情は分かりましたが、事態がややこしくなってきましたね』
器用に調理した料理を持ってきたイトナは、ブラナに対して話をしている。
この意見には、ブラナもため息をつきながら同意をしている。
「ただでさえお嬢様は、邪神のせいで人間たちから悪意を向けられているのです。そこへ、魔族の襲撃まであったとなっては、お嬢様が危険な目に遭うことは明白ですからね」
ブラナは話をしながら、クロナへと視線を向けている。
話を聞いていたクロナは、ブラナへと視線を向ける。
「そんなこと、関係ありませんよ。ブラナたちが人間の相手をして、私が魔族の相手をすればいいのです。私が殺してはならないのは人間だけですからね」
クロナはにっこりとした笑顔を見せている。だが、ブラナとイトナはその裏に隠されている感情を読み取って、思わず震え上がってしまう。そのくらい、クロナからは寒気のしてしまうような感情が読み取れたのだ。
しかし、そのようなクロナの感情にビビっている場合ではない。魔族まで出てきたとなれば、事態は余計にややこしくなるのは明白だからだ。
コークロッチヌス子爵であれば魔族の対応は可能であるとはいえ、今回出てきたクラウンは死体を操る死霊使いだ。
激戦となれば死者が増えていくのは当然な話で、そのような状況ではクラウン相手では分が悪くなるというわけである。
味方の死体を使われてしまっては、歴戦の将であるコークロッチヌス子爵といえども危険といえる。
そうなれば聖女であるクロナの出番というわけなのだが、そのクロナは邪神の力の影響で父親であるコークロッチヌス子爵から命を狙われている。
「なるべく、旦那様とお嬢様が鉢合わせをしないようにしなければなりませんが、魔族が相手ではどうなるか分からないのが厳しいですね」
「まあ、そうですね。お父様の実力からすれば、私の防壁などその辺の木の板一枚程度でしょうからね」
邪悪に笑うクロナではあるが、恐ろしいことをさらっと言ってのけているので、ブラナとイトナはますます震え上がるばかりである。
なぜこのような状況で、クロナがここまで余裕のあるような態度を取っているのか、二人にはまったく理解できなかった。
「ふふっ、どのよう手を使ってきましょうが、私は必ず十三歳の誕生日まで生き延びてやります。邪神ごときの思い通りになってたまるものですか。そんなに私の命が欲しければ、もっと本気でかかってらっしゃい、うふふ、あははははっ!」
戸惑う二人を前にして、クロナは目を見開いて大きな声で笑っていた。
まだまだ先は長い隠遁生活。
魔族の参戦に伴い、その状況はさらに混迷を深めていっていたのだ。




