第1話 黒髪の聖女候補
物語の舞台はイクセン王国。
神の寵愛を受けし王国は、たびたび訪れる危機も聖女の力によって乗り越えてきた。
そのイクセン王国には、今も聖女が存在している。
名前はクロナ・コークロッチヌス。
コークロッチヌス子爵家の令嬢である。
現在は王都の学園の幼少部に通っており、間もなく十歳の誕生日を迎える。
十歳を迎えれば、正式な聖女の地位に就くことができる。そうすれば、いよいよ本格的な聖女としての仕事が始まるようになる。
その日を迎えられることを、クロナはとても待ち遠しく感じているようだ。
「お父様、ただいま帰りました」
「おお、クロナ。どうだったかな、学園は」
「はい、楽しかったですよ、お父様」
学園から戻ってきたクロナは、父親と話をしている。
それというのも、誕生日を迎えると、一時的に聖女は教会へと身を寄せなければならない。正式な聖女としての認定のために、いろいろな手続きがあるからだ。
そのため、今日は家族で集まって、早めの誕生日パーティーを行う。
「ふふっ、クロナもいよいよ十歳になるのね。どのような聖女になるのか、今から楽しみで仕方ないですよ」
クロナの母親が、楽しみで笑みをこぼしながら話をしている。
パンパンと手を二度打ち鳴らすと、部屋に侍女が現れる。
「お呼びでしょうか、奥様」
「ブラナ、すぐにクロナに湯あみと着替えをお願い」
「畏まりました」
現れた侍女はクロナの専属侍女だ。赤ん坊の頃からずっとクロナの世話をしている。なので、ここでは彼女に任せるのが一番というわけなのである。
「それでは参りましょう、お嬢様」
「はい」
ブラナに連れられて、クロナは部屋へと戻っていく。
クロナが部屋を出ていくと同時に、入れ替わりで男性が入ってくる。
「おや、クロナが戻ってきていたのか」
「うむ。シュヴァルツ、お前も戻ってきたところなのか?」
現れたのはクロナの兄であるシュヴァルツ・コークロッチヌス。クロナの三歳上で、今年から学園の高等部に通っている。
真っ黒な髪をなびかせているクロナ同様に、真っ黒の髪をきっちりと整えた美少年である。
実際、学園でも女子学生からの人気は高く、それなりに求婚を迫られているのだという。
だが、可愛い妹であるクロナを守るために、シュヴァルツはまだまだ婚約すらもするつもりはないようだ。まったく、なんという兄バカなのだろうか。
「俺の可愛い妹が、いよいよ聖女になるのか。ふふっ、実に楽しみというものだな。ああ、早く誕生日が来ないだろうかな」
シュヴァルツはものすごく嬉しそうな顔をしている。
なんとも家族仲のよさそうな平和な一家のようである。
「さあ、今日はクロナのちょっと早い誕生日パーティーだ。使用人たちも含めて、家族全員でお祝いをしてあげようではないか」
「ええ、そうですね」
「クロナのやつ、どんな顔をするんだろうな。今から楽しみで仕方がない」
クロナの両親と兄は、クロナの準備が終わるまでの間に、誕生日パーティーの詰めの支度へと向かっていった。
長い黒髪を結い、普段ではあまり着ることのない白っぽいピンクのドレスに身を包んだクロナが、食堂へとやって来る。聖女に認定されるということで、それに近しい衣装にしたのだという。
「これってどう思われるのでしょうかね」
「何を仰っておいでですか。よくお似合いでいらっしゃいますよ。自信を持って突撃です」
ブラナは親指を立ててクロナに向かって突き出している。
その姿に、ついおかしくて笑ってしまうクロナである。
意を決して食堂に入る。
「誕生日おめでとう、クロナ」
両親と兄から揃って祝福される。
あまりにも大きな声で一斉にお祝いされたので、クロナはびっくりしてつい固まってしまう。
「ほら、お嬢様」
ブラナに背中を軽く叩かれて、クロナは我に返る。
慌てたように姿勢を整えると、そっとカーテシーをして挨拶をする。
「お父様、お母様、お兄様。お祝い頂き、まことにありがとうございます。クロナはとても嬉しく存じます」
平然と話しているようだが、クロナの声は少し震えているようだった。大好きな家族に、こうして誕生日を祝えてもらえているのだから。
いつもの夕食よりも豪華な料理の数々に、家族からの贈り物。クロナはこの誕生日パーティーを一生忘れないと思うくらいに喜んでいた。
料理を食べるのも、幸せも一緒にかみしめるようにしながら、それはしっかりと味わっていた。
聖女となれば、この家族とも一緒にいられることが極端に減るからだ。
クロナは知っていたのだ。聖女となった後の自分がどういう生活をするかということを。
だからこそ、この瞬間をしっかりとかみしめていたのだ。
誕生日パーティーも終わりすっかり疲れてしまったクロナは、眠そうにしながらブラナに背負われながら部屋へと戻っていく。
その時の幸せそうな表情に、子爵たちはとても満足げに笑っている。
「私たちの可愛いクロナよ。お前はきっとみんなから愛される聖女になるだろう」
「ええ、その時が楽しみですね」
子爵たちは娘の幸せそうな姿を見ると、自分たちも部屋へと戻っていく。
だが、想像もしなかっただろう。
これが、幸せな家族たちの最後の一夜となろうとは。




