第10話 挟まれる聖女
クロナが潜伏する森の外、そこには王国軍が築いた捜索隊が本陣を構えている。
森から抜けてきた兵士が、ひときわ大きい天幕へと駆け寄ってくる。
「おい、どうした」
天幕を守る騎士が駆け寄って来た兵士に声をかけている。
「ご、ご報告したいことがございます。バタフィー殿下にお会いできますでしょうか」
「分かった、入れ」
あまりにも血相を変えて報告してくるために、騎士は兵士を天幕へと迎え入れる。
中に入ると、思ったよりも軽装でどんと構えている若い男性が座っていた。
この人物こそが、兵士の話しているバタフィー殿下その人である。
深い藍色の短い髪の毛に切れ長な黒い瞳の整った顔をしている。服装は王族だけがまとう騎士服で、小さな肩当てのついたマントを羽織っている。
「どうしたのだ。そんなに慌てて」
まだ若いながらも、話す様子には威圧感がある。
「はっ、森の中で怪しい洞窟を見つけました。入ろうとしても、結界のようなものが張られており、中に侵入することができません。聖女のふりをしていたのなら、このくらいは造作もないと思われますので、おそらく潜伏先かと」
「ほう、それはご苦労だった」
バタフィー王子が淡々と反応する。
だが、すぐに険しい顔をして考え込む。
「結界か。破らねば入れぬということだな?」
「はい。そのため、外でシクルが見張っているという状況でございます」
「分かった。すぐに部隊を編成して調査に向かおう。準備できるまで休んでいてくれ」
「はっ」
兵士が天幕を出ていく。
残されたバタフィー王子は、すぐに側近に耳打ちをして兵士の手配を行う。
「まったく、おぞましい魔族の分際でこの俺と婚約を交わそうとは、なんという恐れ知らずだ。その罪、命だけで償えると思うなよ?」
バタフィー王子は苦虫をかみ潰したような表情で、強い決意を固めていた。
―――
その頃、洞窟の中をクロナは奥へ奥へと向かっていっていた。
結界があるとはいえど、追手がやって来ている以上、いずれは自分に魔の手が迫ってくるだろう。
強い恐怖から、後ろをまったく振り向くことなくただ奥へと向かって走っていく。
(どうして……。どうして私がこのような目に遭わなければならないのです?!)
楽しかった誕生日から一転、家族から冷たく当たられ、村人たちには殺されそうになった。あまりにもつらい現実に、クロナは何度夢であることを願ったか。
「あっ!」
洞窟のでこぼこした地面に足を取られ、クロナは思わずこけてしまう。
その痛みに、これが現実ということを再認識させられる。
「どうして……。どうしてなのですか……」
クロナは痛みに耐えながら、歯を食いしばっている。
「私は聖女としてこのイクセンの国のために頑張ろうと決意をしましたのに、どうして命を狙われなければならないのですか……」
体を起こし、両手両足を地面につけたまま、クロナは大粒の涙をこぼし始める。
先程洞窟の入口で聞こえてきた話のせいで、嫌でも現実を直視しなければならない。
クロナはその姿勢のまま、しばらく泣き続けていた。
しばらくすると、体に寒気が走る。
これは聖女としての力のせいだ。魔物が近付くと、その気配に魔力が反発を起こすというわけなのだ。
大事に育てられてきたクロナにとって、魔物というのは実は会ったことがない。しかし、その聖女としての力が、間違いなく魔物に反応しているのだ。
(このぞわっとした感覚……。これが勉強中に聞かされた魔物を察知した時の感覚ですか)
おそるおそる、クロナは顔をゆっくりと上げる。
しかし、クロナの使った魔法以外は何の明かりもない。真っ黒な周囲には、何の姿も認めることはできなかった。
気のせいかと思っていたが、クロナの聖女としての能力が、ますます気持ち悪い魔力を感知し続けている。
(この感覚……、段々と近付いてきている?)
ぞわぞわとした感覚が、段々と強まってくる。
その気持ち悪さに、クロナは思わずきつく体を抱きしめてしまう。
……怖い。
クロナの心には、もうその言葉しか浮かんでこない。
あまりの恐怖心に、クロナは再び下を向いて目を閉じてしまう。
このまま魔物にやられてしまうんだ。
クロナは死すらも覚悟した。
ところが、近付いてくる何かは、クロナの目の前でぴたりと動きを止めていた。
急に寒気が止まったクロナは、おそるおそる顔を上げる。
そこにあったものを見て、クロナは思いっきり腰を抜かしていた。
「うっひゃああああっ!!」
後ろに飛び上がってしまったものだから、クロナは尻餅をついてしまう。
ここまで驚くのも無理はない。顔を上げた目の前には、アリの顔があったのだから。
しかも、一体どころじゃない。相当の数のアリが、クロナの前にいたのである。ここまで大げさに反応するのも無理はないのだ。
「こ、これは、図鑑で見たことがあります。スチールアントでしたでしょうか」
腰を抜かして後退りながらも、冷静に魔物の種類を確認している。
クロナのことをじっと見つめるスチールアントたち。クロナは恐怖のあまり、スチールアントたちの視線に表情を引きつらせたままである。
ところが、スチールアントたちはクロナに襲い掛かってこない。
クロナは恐怖と疑問とが入り混じる奇妙な感情を抱えながら、しばらくそのままスチールアントと向かい合っていたのだった。




