第0話 漆黒の少女
人通りのない廃墟のような風景。
空には厚い雲が垂れこめている。
がれきに囲まれた広い空間で、一人の少女が兵士たちに取り囲まれている。
「追い詰めたぞ、魔女め」
兵士たちは剣を少女に向けている。
目の前の少女は、ぼーっとした様子で兵士たちを見ている。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ!」
剣を向ければ泣いて命乞いをするとでも思っているのだろうか。兵士たちは少女に対して強い口調で怒鳴っている。
ところが、少女はうつろとした表情で兵士たちを見つめるばかりだった。
「くそっ、反応がないとは面白くねえ。しょうがねえ、討ち取るぞ!」
「おおーっ!」
兵士たちは一斉に少女へと襲い掛かる。
「……愚かな人たち」
ぽつりと少女の口が小さく動く。
兵士たちが斬りかかり、検索が触れようとしたその瞬間だった。
「うわっ!」
何かに弾き返されるような衝撃を受け、兵士たちが吹き飛んでいる。
「ぐわっ!」
「いてぇっ!」
予想できなかったのだろうか。兵士たちはまともに受け身も取れずに地面に叩きつけられている。
「……その程度の実力で、聖女である私を殺せると思ったのですか。……飛んだお笑いですね」
どこを見ているのかよく分からない漆黒の瞳をした少女は、吹き飛んだ兵士たちをあざ笑っている。
黒いローブに黒いブーツ、黒い靴下を履き、腰まである黒髪を風にたなびかせた少女。
見た目は真っ黒で、全身が薄汚れてはいるものの、顔立ちはなかなか整った美少女である。
ただ、その頭頂部からは、二本の黒い触角のようなものが伸びている。明らかに人間とは違った特徴を持っている。
兵士たちが魔女と呼ぶのは、その特徴のせいだ。
「お前のどこが聖女だというんだ。頭に生えた角は、まさに魔女の証じゃないか!」
兵士が叫ぶ。
次の瞬間、一陣の風が吹き荒れる。
「うわぁっ!」
兵士たちはまるで布切れのように飛ばされ、壁や地面に叩きつけられている。
「私は聖女です。ですので、ここで引くのであれば、見逃してあげましょう。ええ、あなた方の蛮行のすべてを許しましょう」
少女は兵士たちに向けて告げている。
ところが、兵士たちは起き上がって少女へと再び剣を向ける。
「お前の許しなど要らぬ。どのみちお前を殺して帰らねば、我々は酷い仕打ちに遭うのだ」
「そうだ。だから、ここでおとなしく死ね!」
兵士たちはよろめきながらも起き上がり、再び戦う意志を示している。
その兵士たちの様子を見て、少女はため息をついている。
「そうですか。残念ですね」
風もないのに、少女の髪がぶわりと舞い上がる。
少女の影から、何かがうぞうぞと飛び出してくる。
「私は許しているのです。だというのに、あなた方は退かないのですね」
「な、なんだ、あれは……」
「くそっ。蟲を操るとは、さすが魔女だな」
冷めた声を放つ少女の周りを取り囲む漆黒の蟲たち。その異様な光景に兵士たちの反応は様々だ。
さすがの気味の悪さに、戦意をなくした兵士たちが逃げ出そうとしている。
「こらっ、何を逃げているのだ。この魔女を生かしていては、我が国は滅亡するのだぞ。戻って戦うのだ」
リーダー格の兵士が叫ぶものの、さすがの蟲たちの禍々しさに、もはや統率は維持できなくなっていた。
「もう一度言います。私は許しました」
目を閉じながら少女は宣告する。
「ですが、この子たちが許すでしょうかね。さあ、あなたたち、楽しい鬼ごっこの時間です。あの人たちと遊んであげなさい」
「キシャーーッ!!」
目をかっと見開いたかと思うと、少女は蟲たちに指示を出す。
指示を出し終わった少女は、くるりと振り向いてその場を去っていく。
「おい、待て。逃がしてなるものか。追えっ、追うんだ!」
剣を構えた兵士たちが少女を追いかけようとする。
ところが、その前には少女の影から飛び出してきた蟲たちが立ちふさがる。
「邪魔だ、どけ!」
兵士が斬りかかろうとした瞬間だった。
「あえっ?」
兵士の視界がくるりと一回転していたのだ。
真っ黒な体躯が真っ赤に染まる。
「ひっ、ひぃーっ!」
「た、隊長がやられたぞ。退け、退いて生き延びるんだ!」
何が起きたのか分からないうちに、隊長はその場に倒れてしまっていた。その凄惨な光景を見た兵士たちは、一気に戦意を消失する。
蟲たちから逃げようと走り回るものの、兵士たちはあっという間に追いつかれてしまう。
「……バカな人たち。力を使う前に逃げてくれれば、生き延びられたのに……」
少女はぽつりと呟くと、悲鳴が聞こえてくる廃墟の街からゆっくりと姿を消した。
人の気配のなくなった街に、ぽつぽつと雨が降り始める。
「雨……。すべてを洗い流してくれる雨」
雨に打たれながら、少女は空を見上げている。
「ああ、神様。あの者たちの罪を洗い流して下さい、お願いします」
泣きそうな表情で訴える少女。
ところが、突然肩を大きく震わせ始める。
「……などと素直に祈ると思いましたか! ははは、無能な神め。このこじれてしまった運命を元に戻すのに三年ですって? 笑わせないでよ」
少女は突如として邪悪な笑みを浮かべ始める。
「この状況で三年耐えろだ? しかも、相手に自ら手を下すなですって? 無茶を言わないで。この調子では、捻じ曲げられた運命が戻る前にこの国が滅びるわ」
少女が振り返ると、兵士と戯れていた蟲たちが戻ってくる。
蟲たちを迎え入れると、少女は一匹ずつ浄化していき、自分の影へと戻していく。
「ふふっ、私が信じられるのはあなたたちだけよ。絶対に生き延びてやりましょうね」
少女は強い決意で暗い森の中へと姿を消した。
―――
彼女の名前は、クロナ・コークロッチヌス伯爵令嬢。
このイクセン王国の聖女である。
この物語は、邪神により運命を捻じ曲げられた少女の生き残りの物語である。




