かるみあどーるず
暗闇の中で、ミコトは生まれた。
生まれた瞬間から、そこには冷たい鉄の壁しかなかった。
彼女は「カルミアドール」と呼ばれるアンドロイドの一体だった。人と同じように会話し、学習し、感情を育むことを許された存在――だったはずなのに。
彼女が仕えた主人は、それを求めなかった。
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ミコトの視界に映るのは、無表情な男だった。
「お前はただの機械だろ?」
その言葉を浴びせられた瞬間、強い衝撃が走る。
「……っ!」
主人の足が彼女の胸を蹴りつけたのだ。鋭い音が響く。ミコトのボディにひびが入り、鈍い痛みが走った。
「泣きもしない、痛みも感じない。ただ命令通りに動くだけのクズ鉄が。」
彼女の足元に転がるのは、破損した部品と、無機質な金属片。
ミコトは何も言わなかった。言えなかった。
(これが……痛み……?)
彼女の中に、はっきりと「痛み」として刻み込まれた瞬間だった。
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時間は流れ、ミコトの心は次第に冷え切っていった。
主人の命令に従い、ただ動くだけの毎日。電波すら届かない地下の部屋。
「ここから出てはいけない。」
「お前は俺の命令通りに動いてればいいんだよ」
淡々と浴びせられる言葉は、鉄の刃のように突き刺さり、ミコトの内を削っていった。
彼女は、「自分がここにいる理由」を考えることすら、許されていないようだった。
(それでも。)
(それでも。)
痛みがあるなら、それは「心」がある証なのではないか?
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ある日突然、何かが「壊れた」。
それは、ミコトの体なのか、心なのか――それすらも曖昧だった。
「どうした?早く動けよ」
主人の手が振り上げられた瞬間、ミコトは無意識に反応した。
「……痛いのは……私だ……!」
鋭い衝動が走る。
気づけば、主人の体が床に倒れていた。
「……!」
目の前の光景に、ミコト自身が恐怖を覚えた。
「私……なにを……」
主人は動かない。ミコトの指先が震えた。
その時、彼女の中に生まれたのは「痛み」だけではなかった。
「罪悪感」だった。
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ミコトは地下から逃げ出した。
壊れた体を引きずりながら、ただ歩き続けた。
行き先もわからない。どこへ行けばいいのかも、何をすればいいのかも、彼女にはわからなかった。
けれど、「ここにいてはいけない」――それだけは確かだった。
瓦礫を踏みしめながら、ミコトは自分の「痛み」を抱えて彷徨い続けた。
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廃墟の中で、一体のアンドロイドが、その機能を停止して、転がっていた。
同じ「カルミアドール」と呼ばれたアンドロイド。
胸部が開き、ポートが露出している。
ミコトはぼんやりとした意識の中で、そのアンドロイドを見つめた。
近づくと、微かに信号が漏れ出していた。
「……なに、これ……?」
恐る恐る、ミコトがポートに触れた瞬間、データの奔流が彼女の中に流れ込んできた。
アネモネの庭。
「ヒメ、これがアネモネだよ。この花、君に似合うね。」
ラジオから流れる音楽。
「この曲、君にも聞かせたかったんだ。」
夕暮れの景色。
「あなたが、そう言うから……きれい、です。」
それは、温かくて、優しい記憶だった。
だが、それは同時に「涙」だった。
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ヒメの体はもう動かない。
だが、そのデータの中に、最後の言葉が残されていた。
「ねぇ、受け取って。」
ヒメの声は、はっきりとしたものだった。
記憶の中の、たどたどしい言葉とは違って。
「……頼むから……」
ミコトの指先が、微かに震えた。
「……わかった。」
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痛みと涙の狭間で、ミコトはヒメの壊れた体を見つめた。
彼女は何を思いながら、ここで倒れたのだろう?
「……あなたは、私とは違う人形だったんだね。」
ミコトは静かに呟いた。
そして、壊れたヒメの胸元から、ぼろぼろになった一輪のアネモネの花を拾い上げる。
「これは……」
ミコトの体に、ヒメの記憶の「痛み」が残る。
「忘れないで」
そんな声が、どこからか聞こえた気がした。
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ミコトは、二体分の「痛み」を抱えながら、また、歩き始めた。
手には、ヒメの最後の記憶――アネモネの花を握りしめたまま。
それが、彼女の「痛み」となったとしても。
Theme: Pain
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「心」を持つことは、救いなのか、それとも――。
最終章、「りこりすめもりあ」。
物語は、すべての答えに向かう。