一次元俳優
国分寺駅のホームで待っていると、快速電車が入線してきた。
乗客の多さに嫌になるが、会社に行くにはこの時間この列車に乗るしかない。毎朝のことだ。
諦め気分で、俺はなんとなく天井から吊り下げられた車内広告に目をやった。
新作舞台の告知だった。
人気アニメを舞台化したもので、いわゆる2.5次元というやつだ。2.5次元俳優なるものが流行って二十年くらい経つだろうか。有名俳優への登竜門となっていることも一般常識として知っていた。
何が2.5次元だ。くだらない。あんなの漫画のキャラクターありきのコスプレじゃないか。
俺は心の中で毒づいた。
学生時代、俺は芸能事務所に所属する劇団員だった。
その頃は本気で俳優を目指していた。憧れたのは勝新太郎や坂東妻三郎のような存在感のある本格俳優。2.5次元俳優なんていう俗っぽいのじゃない。
映画や舞台のオーディションも何度も受けた。しかし、夢は叶わなかった。だから今こうしてスーツを着て満員電車の吊革につかまっているのだ。
社会人という舞台で上司や取引先の顔色をうかがいながら、サラリーマンという役割を演じ切る。資本家のシナリオに従って。そこに自分の意志は介在しない。そういう意味で、俺は俳優だった。
最寄りの国分寺駅と会社のある新宿を往復する毎日。中央線という一本の線の上だけを、西へ東へ行ったり来たりする俳優。さしずめ俺は一次元俳優なのだ。
でもこのままでよいのだろうか。将来後悔しないだろうか。
社会人から大俳優へと転身を遂げた役所広司のような人もいるではないか。
実をいうと迷っていた。
来月、ビッグチャンスを掴めるかもしれないオーディションがある。会社を休んで行くべきかどうか……。
快速は新宿駅に着いた。
東南口を出て会社のあるビルに向かう。
歩いていると一人の男が横に並んだ。ゆっくりとこちらを向き、男は笑顔を見せた。
俺はぎょっとした。
歳はだいぶ離れているが、その男の顔は俺と瓜二つだった。
「やあ、おはよう」
男の言葉に、軽く会釈だけ返した。
「突然だが、私は未来の君だ」
ちょっと変な人らしい。この言葉は無視した。
「まあ驚くのも無理はない」
男は芝居がかった仕草で手を広げた。
「だが一つだけ聞いてほしい。来月のオーディションは絶対に受けるんだ。そこで君の運命は変わる。未来の君、すなわち今の私は有名俳優になっている」
俺は気味が悪くなり、足早にその男から離れた。
気になって振り返ると、ちょうど男はタイムホールへと消えていった。
未来の俺は、時間を超越した四次元俳優となっていたのだった。