馬の娘はビギナーズラックの夢を見るか
※この作品はオリジナルフィクションであり、実在する団体や他作品とは一切関係がありません。予めご了承ください。
この時の皇帝杯、ヤッタネラッキーの順位は最下位に終わった。しかし、十番人気だった彼女の「大判狂わせ未遂」に、観客は狂乱に包まれていた。
皇帝杯最終レース、彼女は人生で一番張り切っていた。
「よーし、絶対に優勝するぞ!」
パドックでも、気合い充分。コンディションも悪くない。
「ヤッタネラッキー、少し力が入りすぎじゃあないか?」
レース直前、馬主が声をかけた。ヤッタネラッキーの馬主は周りのようにお金持ちという訳ではなかったが、精一杯の資金を彼女に投資してきた。
「大丈夫です!馬主さん。私、なんだか優勝できる気がするんです!今日こそは、あのトリプルスコッチに勝ちたいんです。」
トリプルスコッチは、ヤッタネラッキーがライバル視する、同い年の一番人気だ。幸運と覚醒で皇帝杯出場をつかんだヤッタネラッキーと違い、二連覇が掛かっていた。
「とにかく、気負いすぎるなよ。」
「任せてください!馬主さん!」
盛大なファンファーレ。傾く西日。
皇帝杯最終レースは、いつになく盛り上がっていた。「芳醇の微笑み」トリプルスコッチの二連覇がかかる。
ゲートでは、ヤッタネラッキーとトリプルスコッチは横並びだ。ヤッタネラッキーは、チラッと横を見た。
トリプルスコッチの微笑みは、底無しの深みを見せていた。
だん!
各馬一斉にスタートです!
まずは先頭5番のクイーンルリーエすぐ横にヤッタネラッキー早くも付けているーーーーーー
レースが始まった。ヤッタネラッキーは、最終盤からの天才的な追い上げタイプ。しかし、このレースでは後尾ではなく中盤に付けることにした。トリプルスコッチは遥か前方にいる。トリプルスコッチは、尾を引くような先行逃げ切りタイプ。余裕のある射程圏内とはいえ、油断はできない。
ヤッタネラッキーは、最終コーナーに内側から突っ込んだ。
「見えたっ!」
ヤッタネラッキーの前方が空いた。その隙を付き、流星のように加速していく。
メインスタンドの観客の大声援。
「あと少し、少し……!」
左前を疾走するするトリプルスコッチとは0.3、4馬身差。後は抜くのが早いか。ゴールインが先か、、
「あっっっっ!!!!」
前方を行くトリプルスコッチが、微笑みながら振り返った。そして、一瞬、ほんの少し、足を斜めに蹴り下げた。
「あっっっっ!!!」
ぶつかる?! ヤッタネラッキーの脳裏に星が飛ぶ。無意識に、体が硬直した。
「「やっ、ヤッタネラッキー転倒!ヤッタネラッキー転倒!ゴール直前!逃げ切ったのはトリプルスコッチだーーーーっ」」
アナウンサーの叫びと観客のに、ヤッタネラッキーの悲鳴はかき消された。
…………
「気がついた?」
馬主の声がする。
ヤッタネラッキーは、馬屋に寝そべっていた。足は包帯でぐるぐる巻きになっていて、立てそうもない。
ヤッタネラッキーの回りには、白衣の人間が取り巻いていた。
「馬主さん、私ーーーーー」
「ああ、言わなくても大丈夫。僕ももう課金できないし、君は"予後不良"になるみたいなんだ」
「わっ私、またがんばります…!次はトリプルスコッチを倒しますから!」
「残念だけど……君のその足じゃあ、もう立つこともできないんだ」
「馬主さんっ!私、まだ頑張りたいですっ!」
「大丈夫、大丈夫だよ。すぐ眠れるから」
白衣の人間がヤッタネラッキーに近づいた。手には注射器を持っている。
プス
「やめ……て…」
ヤッタネラッキーは、半ば無理に"深い眠り"へと旅立った。以前の期待や、希望からは想像もできない、あっけない最後だった。
夢敗れた馬主は、また新しい馬に課金するだろう。
勝負できなかった馬の娘は、こうして消えていった。
日本では、年間約8000頭の競走馬が、殺処分されている。
今日もどこかで不憫なヤッタネラッキーが、心のなかで涙を流しながら、静かに一生を終えさせられているのかもしれない。