83話
「美坂さんが髪を染めて家に来た、ですか」
放課後。僕は赤西さんを連れ、つい先日一緒に訪れたばかりの喫茶店の席にいた。
「うん、僕に見せつけたいからって。別人になったことを分かって欲しいって、そう言われたんだ」
「……今の美坂さんが以前の美坂さんとは全く違う別人格になっている。にわかには信じがたい話ですね……」
向かいに座る赤西さんがなんとも複雑そうな表情をしながらコーヒーを口に含む。
入店時に頼んでいたコーヒーはとっくに冷めているはずだけど、彼女は特に何も言わなかった。赤西さんがそういったことをあまり気にしない性格なのか、それとも僕が語った話の内容のせいで飲み物の味などどうでもよくなっているのかは、判断がつかない。
「うん、僕もそう思う。他の人に話したところで、信じてもらえるなんて思ってなかったしね」
「あ、いえ。別に辻村さんの話を信じていないというわけでは……」
「大丈夫。分かってるから。ただそれくらい、荒唐無稽なことを話した自覚はあるからさ。なんていうか、自嘲みたいなものだよ」
そう言って、僕は自分が頼んでいたコーヒーへと目を向ける。
これも、もう湯気すら出ていなかった。生憎僕が頼んだのはカフェオレのため、ただコーヒーと牛乳が混ざった色しか見出せなかったけど、注文したのがブラックコーヒーだったら、あるいは反射した自分の顔を見ることが出来たのだろうか。
もし見えたとしたら、きっとなんとも複雑な顔をしていたことだろう。その程度の自覚はあった。
「……確かに、現実離れしたお話でした。こういってはなんですが、まるで小説みたいで……聞いていて、惹かれる内容であったことは事実です」
「そう言ってもらえると、助かる部分はあるなぁ。僕、話すの得意じゃないからさ。まぁ別れ話で、情けない内容だったのは本当に申し訳ないけど」
「いえ。全然そんなことは……それを言ったら、私こそごめんなさい。正直、少し面白いと思ってしまった自分がいます。勿論辻村さんが美坂さんと別れたことではなく、人格が変わった部分にフィクションとしての……すみません、やっぱりなんでもないです。これ、人として言っちゃいけないところですよね。こんなことを口にしてしまうようだから、私は……」
「落ち込まなくていいって。僕の方が人としてはずっとクズで駄目なんだから……ってこれ、フォローになってないよね……こっちこそゴメンね……」
ズンと空気が重くなる。
なんていうか、モロにコミュ障同士の会話って感じだ。お互いに言っちゃいけないことを口にして、自分の会話スキルのなさに泣きそうになっている。
そりゃ孤立するよなと改めて自覚してしまうのは、中々にキツかった。
(だからこそ変わらないといけないし、話したんだけど……まぁ、そう簡単にどうこうなるはずがないもんな……)
ここまでの話の流れで分かってもらえるとは思うけど。赤西さんには改めて僕と美織に関するこれまでの事情を説明していた。
美織とのすれ違い、別れ、そして彼女が別人になったこと。その全てをだ。
そうでないと、相談とは言えないだろう。前提条件を伝えずに相談に乗ってもらおうだなんておこがましいし、む答えだって貰えない。なにより、赤西さんに対して不誠実すぎる。
(それでも……話すのに一時間くらいしかからなかったのか。案外、短かったな)
チラリと店内にある時計を見ると、入店してからまだ一時間半くらいしか経っていなかった。外だってまだ完全に暗くなってはいない。
これまで誰にも相談することが出来なかった内容で、自分の中に溜めこんでいた後悔がこの程度の時間で語れるものだなんて考えてもいなかった。
中学時代、そして高校生になってからも4ヵ月以上は苦しんでいたはずなのに——。
「……あの、辻村さん。いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
不意に聞こえてきた赤西さんの声。
気まずくなった空気から目をそらすように思考を飛ばしていたことで一瞬反応が遅れたが、すぐに僕は彼女に向かい合い、言葉を返す。
「あ、うん。なんでも聞いてくれていいよ。そのために相談したんだし」
「ありがとうございます。ええと……ではまず最初の質問なのですが、美坂さんをカウンセリングに連れていくということは可能でしょうか? ここまでの話を聞く限り、やはり専門家の方に医学的な治療を受けるのが一番いいかと思いますが……」
軽く目を泳がせながら、現実的なことを告げてくる赤西さん。
……まぁ、そりゃそうだよな。普通に考えて、これは学生の手に負える問題じゃない。
知り合いがいきなり別人になりましたなんて言われても、まず病院に連れて行けというのがアドバイスとして最も真っ当なものだろう。
そういう意味では、赤西さんは限りなく常識的な人だと言える……逆に言えば、いきなりこんな話をした僕が常識人じゃないということになるけど。
「……正直、難しいと思う。今の美織が素直に行くとは思えないし、仮に病院に行ったとしても一度だけで、後は適当な理由を付けて行かなくなるじゃないかな。処方された薬だって、多分飲まないと思う」
「……ですよね。こういった治療は本人が望まないと難しいと聞いていますし……では、美坂さんのご両親に相談するのは……」
「それも……多分、無理かな。僕と美織が別れたことは知っているだろうから、今は話すのもちょっと気まずいし……あと、なにより美織をそういう病院自体に連れていくことを……あの人たちは、きっとやりたくないと思う」
特に美織のおばさんは、良くも悪くも以前の美織と似た性格をしている。
変化を恐れるきらいのあるおばさんにとって、美織が治療を受ける必要がある可能性を受け入れられるとは思えなかった。
多分今の美織の変化に関しても、見ないふりをしているか明るくなったことだけを掬い取って、喜んでいるんじゃないかと思う。
「……なるほど。外部から協力を頼むのは、難しい状況というわけですね」
「うん……改めてごめんね。こんなことを話しちゃって。つくづくひどい状況だなって、自分でも思うよ」
「いえ、大丈夫です。むしろ相談してもらえて、私は嬉しかったですよ。頼られるなんて、これまでなかったことですから」
そういって、赤西さんは小さく笑った。
こうして話していると、頼りになる人だと僕は思うけど……これまで過ごしてきた彼女の環境では、きっと違ったのだろう。
そう思うと、人生というのはつくづく不条理だ。善人であろうと、条件次第では孤立する。頼りにもされない。だけど、それを良しと考えてしまう。
人は生まれが全てではないと否定するやつもいるけど、どうしたって左右されるものはある。
赤西さんを見ていると、僕はそう思わざるを得なかった。




