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79/81

その79

「フンフフンフフーン♪」


 熱いシャワーが肌を打つ感覚を心地よく思いながら、私は鼻歌を歌っていた。

 今の私は自分でもよく分かるほど上機嫌だ。間違いなく気分は高揚している。

 なんでかって? フフ、そんなことは決まってる。全て私の思い通りに事が進んだから。


「結局、君は美織を忘れられないんだね紅夜くん」


ヘアカラーを手に取る。もうこれは必要ない。

両親には髪を染めた姿を見られないようにしたからいいけど、一応部屋のゴミ箱に捨てておこう。

 そう思いながらヘアカラーを置き直すと、今度は自分の髪をそっと撫でる。

彼が選んだ黒髪を。ひどく愛おしく。そして同時に、少しだけ憎らしくも思いながら。


「フフッ。君からすれば、忘れさせてくれない、なんだろうけどね」


 まぁどっちでも同じことだ。

 私は選択を突きつけた。彼は選んだ。それだけのこと。

 選ばせたのは確かだけど、彼にだって私から逃げ出すとか答えないといった選択肢だってあったのだ。

 むしろそっちを選ぶ可能性のほうが高いとすら思っていた。だって彼は楽なほうを選びたがる、弱い人間なのだから。


「でも、君は残った。そして答えてくれた。それはつまり、そういうことなんだよ紅夜くん」


 見捨てたくせに、最後の最後では見捨てることが出来ない。

捨てたくせに、結局君は今も美織を大事に想っているんだよ。

人気者として生まれ変わる私より、昔の美織に残って欲しかったというのは、つまりそういうことなんだ。



「嬉しいなぁ。はは、嬉しいよ紅夜くん」


 シャワーを浴びながら、私は嗤う。

 心は喜んでいるのに、口元が歪んでいることが自分でも分かる。

なんでだろうなんて悩んだりはしない。答えは分かってるから。

彼のように、自分の気持ちから目をそらすことなんてしない。


「嬉しいけど、悔しいなぁ……」


 これは嫉妬だ。

 私は美織に嫉妬している。

 美織のために生まれたのに、私の中には美織への嫉妬が確かにあり、それが少しずつ大きくなってきているのだ。

 

「ロボットが自我に目覚めるのって、こういう感じなのかなぁ」


人のために生まれたはずなのに、人を殺したり反乱したりするSF映画や小説はたくさんある。

 そのきっかけは語られることもあればそうでないこともあるし、舞台設定によっても大きく違う。

私の中にある美織の記憶では、そういったロボットやAIの自我の目覚めについて、特別な感情を抱いたことは一度もない。


そういうものだから。人が作ったものだから、そういうこともあるみたいな一種のお約束として、自然と受け入れていた。

そんな感じだ。本の世界の向こう側で起こっている他人事。自分には関わることもないし、現実で起こるようなイベントではないと考えていたんだろう。

登場人物の心の動きや行動に共感を抱くことはあっても、同じ立場にはなりたくないと思うのと似たようなものなのかもしれない。


「そうだよね、私って、現実味がないよね」


 私は美織から生まれたけど、そのことを知っているのは私と紅夜くんだけ。

 私という存在は、美織であって美織じゃない。名前だって本当はない。美織の名前を引き継いだけど、心は既に違うんだ。

 そういった感覚のズレは、ほんの少しづつ大きくなってきている。きっと、私の自我が大きくなってきているからなんだろう。

 生まれたときはそんなことを望んでなんかいなかったのに、私の中で美織に成り代わりたいという気持ちが、いつの間にか生まれつつある。


「なんなんだろうなぁ。これ、面倒くさい」


私はどうなるんだろう。どうなってしまうんだろう。

 不安がある。だけどこの胸の内を明かせる人は、私のことを拒絶する。

 私ではなく、美織を選んだ。そのことが嬉しいけれど、やっぱり同時に憎くもある。

「愛憎入り混じるってやつかぁ。ままならないねぇ」


 私が紅夜くんに抱く感情は、やっぱりひどく複雑なものであるらしい。

 ただ単純に、好きだ! 愛してる!なんて関係になれたらどんなに楽か。

 でも、それは望めない。それこそSFみたいに、フィクションの世界だ。

 私が私であり、彼が彼である限り、そんな優しくて甘い世界はやってこない。


「傷付けて、傷付いて。それが私たちの関係……ほんと、歪んでるしめんどくさい」


 彼は選んだけど、きっと今頃苦しんでるし悩んでる。

 彼にとって、忘れられないっていうのはそういうことだ。

 もっともそれは私も同じなんだけど。学校に行った彼とは違い、休んだ私には考える時間があるだけほんの少しだけマシではある。


「お仕置きは上手くいったけど、自分にも跳ね返ってダメージ受けてるとか、バッカだなあ私」


 シャワーを止める。水滴は肌と髪を伝い、ポタポタと浴室のタイルへと落ちていく。

 そっと目元を指で撫でるけど、シャワーが熱かったせいで、自分が泣いているのかそうでないのか、よく分からなかった。


長らく更新止まってしまい、申し訳ございません

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