第31話 ええ、歌いますとも。やるなら徹底的にね
ミッシュが南の方向へと消えていくのを見送ってから、俺はソファに腰を下ろした。
向かい側にはティルクがいて、マーモちゃんの相手をしている。
トーマちゃんやほかのフェアリィデビルは、人の幽体が入ったマーモちゃんにはやはり違和感を感じているようで、少し距離を置いてあまり関わろうとはせずに、マイナたちと一緒に別の部屋へと行ってしまったのだが、マーモちゃんもそのことを気にしている様子はなかった。
俺がティルクに抱かれたマーモちゃんの頭を撫でると、きゅきゃきゃっ、と鳴きながらこちらを向いたままティルクの隣を指さすのは、こちらに来て並んで座って欲しいということなのかな。
ティルクの隣りに座ってマーモちゃんに両手を差し出して、上半身をこちらに向けて両腕を上げてくるマーモちゃんを抱き上げてそっとお尻に手を添えると、俺の胸にマーモちゃんが頭を擦り寄せてくる。
「ミッシュが、明日は頑張ってって言って出て行ったの、どういう意味なんだろうね。」
首を中心に頭を左右に軽く振って、ばあ、とマーモちゃんをあやしながらティルクに疑問を投げかけると、ティルクも不思議そうな顔をした。
「サクルクとかいうのを攻めるのは、カウスさんやキューダさんたちが来て冒険者が揃ってからでしょう?
ライラさんやマイナさんたちの訓練は母様とセルジュさんがいるから姉様が先頭に立って頑張る必要もないし、なんでしょうね。」
そうなんだよね。
まあ、考えても分からないしマーモちゃんも眠そうだし、今夜もそろそろ眠ることにした。
◇◆◇◆
翌朝、わあわあと言う声が聞こえて目が覚めて、”セイラ様ー”、”歌姫様ー”という言葉が聞こえて慌てて窓の外を見た。
朝も早いのに宿の外に大勢の人たちが集まって一様に宿の上の方の階を見上げていて、こちらの方に向かって三々五々に掛けてきているこえが聞こえていた。
え、俺を呼んでいるの?、と聞こえてくる声に耳を傾けて、”ケイアナ様ー”や”王太后様ー”もあるが、やっぱり一番多い声は俺を呼んでいる。
どういうことだろうと風魔法を拡張して人混みの隅の方で噂話をしている様子の声を拾ってみると、昨夜、セルジュさんが若返ったことで注目を浴びて、テルガの姫だった母様がいることに気付いた人がいて、その後に魔族を捕まえたという情報が広がったことで俺もいると芋づる式にバレたらしい。
そして、俺のことは今話題の歌を知っている唯一の人間で、国王様の思い人でありながら見た者がほとんどいない話題の人物ということで、ぜひ一度見たいし上手くいけば歌が聴けるのではないかということで人が集まってきたようだ。
”セイラ、明日は頑張ってね”というミシュルの台詞が大勢の前で歌うことを意味していたに違いないと思い至った俺は、ミッシュに届けとばかりに対象を特定した念話を最大威力で放出して悪態を吐いた。
『ミッシュのバカヤロー! 知ってたなら黙ってないで教えなさいよ! 』
(そうしたら、さっさと逃げたんだから! )
ぐふふふっ、と微かに獣の笑い声が響いてきて、距離があるのに念話が届いたことに驚いたが、問題は宿の外への対応だ。
まだ日が昇ったばかりなのに100人を超えている人混みにぞわりと鳥肌が立って、手早く着替えて身繕いをしながら、どうやって皆に帰ってもらおうか、それともやっぱりまた逃げようかと考えていたら、窓の外を見ていたティルクから声が掛かった。
「姉様、偉い人が乗ってそうな馬車が来たわ。」
豪華な作りだが遠出は考えていないだろう2頭引きの馬車が通りの向こうからやって来ると、集まった人たちの人混みが割れて馬車の進む隙間を作る。
(うあ、お城の人がやって来た。)
たぶん間違いのない直感に、今すぐ窓から飛んで逃げようと思って残りの身繕いを急いでいたらノックがあって、サファが俺を呼びに来た。
サファの目の前で脱走するのを躊躇った俺が母様のところに行くと、顔を見るなり往生際が悪いと笑われドレスに着替えるように命じられて、観念して部屋に戻って用意をしていると呼び込みがあって、母様の部屋で母様の側にいたのは中年に差し掛かった落ち着いた感じの貴族だった。
「これはセイラ様、アスモダへの初めてのご訪問に当地をお選びくださり、感謝の念に堪えません。」
男爵は噂の本人に会った上機嫌を隠そうともしないで跪座で挨拶をしてくる。
「セイラ様はお噂以上にお美しくていらっしゃる。お目にかかれて誠に光栄です。
私はこの町の城主を勤めます男爵のコールダン ビアルヌと申します。」
貴族社会における最上級の跪座の挨拶に戸惑って、返しをどうしようと迷った一瞬に、俺はオートモードをオンにしていた。
「こちらこそ、本日は豊かなる約束の町の正統なる統治者ビアルヌ男爵にお目にかかれて本当に光栄ですわ。」
オートモードが男爵の心を探り、彼の望む最上級の評価の称号で答えたことに男爵の目に驚きが走り、その称号を口にできるほどの関心を自分と自分の町に寄せてもらっていると確信した男爵の上機嫌はさらに増して、これは自分や町の民の希望に好意を以て応えてもらえるのではと期待した。
男爵は町を興し揺るぐことなく発展させ続けてきた正統な貴族であったし、町民に優しい統治を行っていることでも知られていた。
「……これは過分なお言葉を頂きました。
ガルテム王国の麗しき未来の王妃がわざわざ辺境の当地にご来訪頂いたことをビアルヌは歓迎致しますぞ。」
聞きたくない称号に内心眉をしかめながら、俺は異国の貴族との会見が恙なく進んでいることにほっとして、久々に使ったオートモードが相手の望む答えを提供することを忘れていた。
「それで、実はひとつお願いがあるのですが……」
「ええ、歌のことですね。
話題になっている歌は、愛する人を戦いに送り出しながら共に戦う決意を固めた女性の覚悟を歌ったものです。
私にとって、この歌は皆様がご想像なさっているようなものではありませんが、一丸となって魔獣と戦っている町の皆様のために歌わせて頂きますわ。」
しまった、と思ったときにはもう約束はするりと口から出ていて、あとの台詞は、もうオートモードを切っても遅いと放置したら滑り出た。
今の遣り取りで俺が失敗したと慌てていることを察したのは母様だ。
「ビアルヌ男爵様。
セイラはああ言っていますが、実はジャガルの弾き手が今こちらに向かっているところですの。
皆様へのご挨拶として、今宵に一度だけ歌を披露したいと思います。
場所はお任せ致しますので、町の方々にもよく聞こえるところをお願いできますでしょうか。」
俺の動揺を見て取って、母様が男爵と相談をしてくれていたが、俺は自分が言い出し約束した大勢の前で歌うことを自分に納得させることに手一杯だった。
歌の内容が俺がダイカルを慕う歌だと思われていることが納得できない最大の原因になっているのだから、これをなんとかそうじゃないと皆に納得させることができないだろうか。
(──そういえば、俺、さっき何て言った?
この歌は愛する人と共に戦う女性の覚悟を歌ったもので、皆が想像しているようなものではない、俺、そう言ったよね。
ああ、この歌は確かそういうコンセプトで作られた歌だったはずだわ。)
そう、この歌は、アニメの中で、元からあった地歌にヒロインの気持ちを寄せて重ね合わせるという設定で作ることで、アニメの世界観を広げようと意図していたはずだ。
俺はこの歌の設定に気が付いて歌詞を検証して、ヒロインの想いに寄せながら、戦場で戦う男性を想い共に立ち向かおうとする女性の気持ちを普遍的なものと捉えて歌っていて、特定個人の想いに結びつくような表現ではなくありがちな出来事の描写があえて選ばれていることを確認した。
(この歌は敵と戦っている誰もが聞いて自分のことを重ねられる歌。
なら、私のことから切り離して、本当にそういう歌にしてあげればいい、むしろそうあるべき歌なんだわ。)
俺は逃げ道を見つけた気がしてにまりと笑って歌のことを考え続けて周囲のことには頓着をしていなかったようで、男爵はそんな俺のことを、天性の歌姫でいらっしゃる、と評して帰って行ったそうだ。
母様から今日の6時にお城のバルコニーで歌うことになったという話を聞くまで、俺は周りがどうなっているか、全然意識をしていなかった。
歌を歌うことが天性かどうかといえばたぶん違うし、単なる俺の逃げなのかもしれないけれど、この歌を町の人に届けて皆が気持ちを一つにするという意味を持たせることがすごく大切に思えて、俺は歌の準備に没頭し始めた。
この歌を聴いてもらうためには、アカペラは訴える迫力があるかもしれないけれど個人が立ちすぎる、伴奏はあった方が良い。
母様も伴奏者のことを言ってくれたようだし、ミッシュもジャガルを置いて行ったようで、ゲイズさんに早く来てもらう必要がある。
俺は母様に説明して魔獣小屋に行ってリルにゲイズさんを迎えに行ってもらうことを頼むと、ティルクがリルを連れて町の外まで送ってくれた。
できるかは分からないけれど敵と戦うために皆が気持ちを一つにするための歌を皆の気持ちを代弁して歌おう、戦っている人たちに捧げよう、そう気持ちが決まってからは、もう歌を歌うことは気にならなくなっていた。
風の結界を張って音が漏れないようにして、発声練習をしながら歌の構成を考えて、メロディを反復して自分が望むような響きになるように何度も繰り返して、歌詞の意味とメロディが効果的に聞こえるように工夫を繰り返しているうちに昼の時間になった。
歌のことを考えながら食事をしているとゲイズさんが駆け込んできて、俺は食事をしながらゲイズさんにどうしたいのかを説明した。
ゲイズさんは掻き込むように食事をして、再び張った結界の中で俺の歌を聴き、アイデアを交換しながら旋律を調整して、2人で練習を繰り返しているうちに出発の時間はあっという間に来た。
そして、俺たちは用意された馬車に乗り込んでお城へと向かった。




