第20話 俺、私、僕、妾、拙者、某、身共、朕……一人称は数々あれど、私が選んだのはこれ
ミッシュの推測が正しいかはすぐに判明した。
マーモちゃんが母様やティルクと遊んでいるところへミッシュが黒豹の姿で現れるとマーモちゃんの前に立った。
マーモちゃんは高さが自分の倍以上もあるミッシュを目を見開いて見詰め、襲われたらすぐにも咬み千切られそうなミッシュの口の下へふらふらと潜り込んで、頭を下げたミッシュの首にしっかりと抱き付いて泣き始めたのだ。
ひょっとしたマーモちゃんは自分がなぜそんなことをしているかも分からないかもしれない。
でも勇者として過ごした過酷な環境で長年一緒に過ごして苦難を支えてきてくれたミッシュの存在は魂の奥深くに刻まれていたのだろう。
ヒーア、ヒーアと咽ぶように泣きながらときおり挟むキュキュキュキュという囀りには、たぶん”辛かった、苦しかった”という愚痴以上の内容はないだろう。
でも、その悲痛な響きは私の胸に固くて重いものを生み出させて、思わず涙が零れた。
「ミッシュ、決まりだね。」
私の言葉にミッシュが頭を下げたまま微かに頷く。
『アスリーをこんな目に遭わせた奴を俺は許さない。徹底的にやるぞ。』
ミッシュの意見には同意するけど、ミッシュは制約だかでどうせ動けないんだろう。
実行するのは私の役目になるのだろうけれど、私にも異論はなかった。
人の意識を切り刻むなんて最悪の行為で人を侮辱する最低な奴、徹底的に叩いてやる。
私がマーモちゃんのところへ行き撫でてあげるとマーモちゃんは私の指を掴みミッシュの首に手を掛けて何かを囀って訴えかけてくる。
(ごめんね。
私がいまこの体を返してあげても、今のアスリーさんの幽体ではこの体を使いこなせないよ。
もうちょっとだけ待って。)
「マーモちゃん、大丈夫。私がきっとマーモちゃんを元に戻してあげる。」
心の中で詫びながら、そう言ってマーモちゃんを慰めた。
マーモちゃんはしばらくの間、私を見、指さすようにミッシュに腕を向けて何ごとかを囀っていたが、やがて興奮が収まってきたのか、私の胸の中に潜り込んで小首を傾げ、ときおり何かを囀ってじっとこちらを見詰めている。
『大丈夫。私たちがきっとあなたを元のあなたに戻してあげる。』
胸の中のマーモちゃんに少し同化して思念を送ると、マーモちゃんは安心した様子で眠り始めた。
私はそっとマーモちゃんを抱いて立ち上がるとミッシュに頷いて2人で母様のところへと向かった。
まずは母様に事情を説明して、アスリーさんを助け出さなきゃ。
◇◆◇◆
「……そう、敵は誰だか知らないが、あの堂々とした娘を切り刻んで、こんなふうにしちまったのかい。」
俺とミッシュがマーモちゃんに移されているアスリーさんの幽体のことを話すと、母様はそう言って涙を流した。
「床入りは済まなかったかもしれないが、アスリーは大事な私の娘だ。
セイラ、ミッシュ、私からこのとおりお願いする。
アスリーを助け出すのに協力しておくれ。」
最初に出会った頃の口調に戻り、土下座をしようと地面に膝を付いた母様の腕を取って私は止めた。
「母様。アスリーさんは消滅する運命だった私を救ってくれた恩人でもあります。
そんなことをなさる必要はありません。
アスリーさんを取り戻して、ザカールさんも見つけて帰れない事情があればそれもお手伝いして、みんなでガルテム王国へ帰りましょう。」
私が微笑んでそう言うと、母様は今気が付いたというようにじっと私を見つめた。
「少し目を離した間に、佳い女になってきたわねえ。
アスリーには悪いけれど、セイラとアスリーをダイカルの両脇に置きたいと、真剣に考えてしまうよ。」
私は答えずに曖昧に視線を逸らした。
男の私なら、”私は男に戻るんです!”と即座に切り返したことだろう。
でも、今の私はわずかに躊躇ってそのタイミングを逃してしまった。
母様が私とダイカルさんが結婚することを望んできたことは知っている。
男のセイラがいないと知れば母様は私を籠絡しようとするかもしれない、でも今の私には抵抗ができないかもしれない、そう感じたことが私に言い淀ませてしまったのだ。
同じ自分でも、男と女で意識の向く方向が違うのだと、私はそのとき初めて気が付いた。
男のセイラにはオートセーブを切って自分から女として振る舞わなければならない状況に飛び込んで、女らしい発言をしながら状況を改善しようとする精神の強さがあったが、いまの私にはそれが恐ろしく感じられる。
精神の強さがなければ、これまで味方だった存在を味方のままにしておけないかもしれないと僅かに私は怯え、母様に男のセイラが眠りについていることを言い出すことができなかった。
私は慎重さと臆病さを履き違えて、自分の持ち味である意志の強さを少しずつ内側から切り崩し始めていることにまだ気付いていなかった。
「それで、アスリーのほかの幽体だけれど、どうやって探せば良いかしらね。」
母様の話が本題に戻ったことに気が付いて、私は考え込んでいた意識を急いで戻した。
「アスリーの幽体を均等に分割してマーモに入れたのならば、マーモに入っている幽体の大きさから考えてアスリーは6体に分けられている。
何かの目的があって分けたのならその分、数は少なくなるだろう。
気になるのは幽体の取扱いだな。
もし幽体が一部でも欠けてしまえば、アスリーの幽体をきちんと復元することが難しくなる。」
母様の質問にミッシュが厳しい見方を示し、ただ、と続ける。
「幽体は分割したとしても繋がりが残って影響し合うことは双子の体験談などでよく知られている。
幽体の一部が失われればほかの幽体の活性がかなりの間低くなることは敵も分かっているだろう。
アスリーの強さを何かに利用するために必要とする部分だけを抽出したのならば、ほかの幽体は処分されずに保管されていると思うが、幼児程度の知能しかないマーモが逃げ出していることを考えると、厳密な管理はされていないと考えられる点が不安ではあるな。」
母様は安堵からか不安からかよく分からない溜め息を吐き、方針を決めた。
「カエンチャの町までの道中、魔獣や魔物の様子に気を配って、ほかに逃げた幽体がいないか確認しながら行きましょう。
カエンチャには何か情報があるかもしれない。
着いたら、手分けして情報を集めるわよ。」
私とミッシュは頷いて同意し、この方針は翌朝に皆に説明されることになった。
◇◆◇◆
夜、テントの中で母様と私でティルクに方針の説明をした。
ティルクは本来、鬼人族である父親の用件のために私たちの探索行に同行していて、探索に随行しているほかの者とはやや位置づけが違う。
もちろん、ティルクも魔王の眷属となっているから随行する部分もあるのだが、それは本来の用件を片付けてからの話だろう。
「分かりました。マーモちゃんが今の森の状況を作っている犯人の被害者だというのなら、鬼人族としても対応するべき問題だと思います。
ぜひ協力させてください。」
よかった、と言いながらマーモちゃんをティルクに預け、交代でミッシュへMPを送ってから毛布に潜り込んで、ティルクと2人でマーモちゃんを胸の中に抱え込むようにして横になる。
マーモちゃんとティルクの温もりを感じながら、今さらだけど、私は心の中で自分をどう呼ぶかを考えていた。
今日、男の意識が結晶化されてからまだ数時間しか経っていないにもかかわらず、私はこれまでの自分との違いを意識したし態度にも表れてしまっていたようだ。
(しっくりくるのは”私”なんだけど、男の意識があったときのことを意識するためには”俺”のほうがいいのかもしれないな。)
女の意識だけになったせっかくの機会なのに、”私”と心の中で呼べないのは残念だけれど、私は”俺”を選ぶことにした。
何といっても、わた、俺が男に戻りたい気持ちはまだしっかりと残っているし、さっぱりとした男の意識のほうが人間関係も居心地が良い。
変更なんかいつでもできるんだし、安全策は取って取り過ぎることはないし。
マーモちゃんが立て始めたキゥーキゥーという微かな寝息に気付いて、わ、俺はマーモちゃんのことに意識を変えた。
マーモちゃんは、いとこなんかを抱いたときの経験からすると、生まれたての赤ちゃんよりはだいぶ大きくて、たぶん1歳くらいの子どもの大きさなのかな。
マーモちゃんも可愛いけれど、人間も本当に可愛い盛り。
私もこんな子が……と考えたところまでで意識が落ちた。
”私”を使った途端に主人公が女っぽくなりすぎまして、この程度までに戻ってもらうのに苦労しました。
バランスというものがあるので、周りの女性陣より女っぽくなってもらっても困るんですが。
それから、読み直していて、いつからか分かりませんが、意識体のことを”霊体”という言葉と”幽体”という言葉で入り混じって使っていることに気が付きました。
誠に申し訳ありません。
後ほどどちらかに統一します。




