第19話 男の私と、しばしの別れ
翌日からもマーモちゃんは俺にぴったりとくっついて離れなくなり、戦闘のときには俺にしっかりと服を後ろ足で掴んで負ぶさって空間魔法で自分の周りを保護するようになった。
重さも戦闘の間は風魔法で軽減してくれるので特に負担になることもない。
俺の姿を、一部の冒険者たちから赤ん坊をおんぶした子連れみたいだといわれているのは知っているけれど、気にしないもん。
だって、一生懸命負ぶさって耳元で、行けーっとばかりにキュアーッと小さく声を出しながら片腕を突き出すマーモちゃんが超絶に可愛いし。
リルが念話を使えるようになったことは今朝になって気が付いて、リルにすぐに気が付かなかったことを謝りに行った。
リルは結構怒っていたが、まだ片言ながら話が通じるようになったことを喜ぶ気持ちの方が強くて、すぐに許してくれた。
『せ・ら。てるくとい・しょ、狩り、いく。』
そして、ティルクとの狩りを提案されて、お詫びも兼ねて、今朝はこうやって朝からティルクとリルとフェンと一緒に狩りをしている訳だった。
朝から一頻り暴れてお昼が近くなって、行きに目を付けていた山菜や果実、ハーブ類を回収していたのだが、汗が引いた後の体に風が冷たい。
急速に秋めいて収穫量が増えてきた果実の1つを囓っているマーモちゃんを見ながら、俺は上からフード付きの上着を羽織った。
マーモちゃんは食後、俺のフードの中に入ってきて、後ろ足を突っ張りながら立ち上がって、肩に上半身を乗せて俺の首に腕を回して身を乗り出した。
これまで背中に後ろ足を踏ん張ってしがみ付いていたマーモちゃんの位置が安定して、視界の左隅にマーモちゃんがよりはっきりと見えるのににんまりしながら、俺は上機嫌で皆のところまで帰ってきた。
戻るとすでに母様とミシュルが昼食の準備を始めていて、美味しいとリルが教えてくれた魔獣を2頭解体して持ち帰ったものを母様に渡して昼食を作っている間、マーモちゃんはジューダ君の相手をして遊んでいる。
「あーっ、私にはあそこまで愛想良くしてくれないのに、マーモちゃん、ジューダ君に懐いてるっ。」
ティルクが不満を漏らしたが、こればっかりは俺にどうにかできることじゃないので仕方がない。
食後、後片付けが終わってから、母様とミシュルにジューダ君も加えて、ティルクと一緒にマーモちゃんを構って過ごした。
「あー、よしよし、ばあ。しょうだねー、きゃわいいねー。」
そして、いつもの鬼面仏心ならぬ仏面鬼心を放り捨てて、赤ちゃん言葉でデレデレになっている母様に俺とティルクは引いていたのだが、母様はちらりとこちらを見ながら呟いた。
「あー、誰かさんが早く決心してくれて孫を産んでくれたら、私も可愛いおばあちゃんでいられるのにねー。」
(その流れ弾、こっちに飛んできますかっ!
俺は男に戻るんです! )
「あら、母様。おばあちゃんなんて、気が早すぎます。
まずザカールさんを見つけて、今度は女の子をお産みになるんでしょう?
私なんか、自分の目標を追うのに手一杯で、おほほほほっ。」
衝動的に怪しい笑いも出て、何だか嫁と姑の戦いみたいになってしまった。
その日の夕食後にミッシュから相談があると言われ、マーモちゃんをティルクに預けて森の空地に移動した後で、俺が男に戻ると言う決意の固さについてミシュルから再度確認されることになった。
◇◆◇◆
『セイラ、お前の男の意識だが、今どんな状況になっているか確認しているか。』
ミッシュの問いかけに俺は首を横に振った。
減っているだろう自覚はあるが、怖くて確認ができないでいる。
ミッシュは俺の心中を察して、そうか、と呟いた。
『セイラの男の意識はもうすぐ2割を切る。
そうなれば女の意識の波に揉まれ、男の意識は細分化されて消滅の速度を速めるだろう。
それで、賭けにもなるんだが、セイラに提案を持ってきた。』
「まだ打つ手があるの? 」
ミッシュは以前に俺が男に戻れるかは努力と運だと言っていたことを思い出して、ミッシュの申し出に期待して提案を待つ。
『まず、これ以上男の意識が減らさないために男の意識を結晶化してしまうことが必要だと思っている。
ただ、それをやると結晶は意識に影響を与えないから、セイラの意識は女だけになる。
女の意識100パーセントのセイラが男に戻らなくて良いと思った時点で、この作戦は失敗する。』
(ちょっと待って。
前に、男の意識をなくしてしまったら、俺はもう二度と男に戻りたいとは思わないって言わなかった? )
湧き上がった俺の疑問に、ミッシュは頷いた。
『男の意識を消してしまったら、男に戻りたいという思いはいずれ薄まって消えてしまうだろう。
だから賭けだと言った。
男の神使を使ったときにだけセイラの男の意識の結晶を戻して、セイラの男の意識を増加させまた結晶化する、その繰り返しで男の意識量を増やすことを狙う。
ただ、そのためには次の1か月までの間、女の意識だけになったセイラが男に戻りたいという目的意識を持ち続けることが前提条件となる。
セイラがもういいと思った時点でゲームオーバーだ。』
「長期間女でいたら、間違いなく負けるんだよね。」
ミッシュが頷く。
男でいたい、戻りたいと思う気持ちを俺は維持できるだろうか。
女の体にも行動様式も馴染んでしまっている今、不安はある。
だけどほかに道はないのだ。
俺はミッシュに頷いて決心を告げた。
『では、意識の結晶化のやり方を教えるぞ。
最初に前のようにフィルターを掛けてまずは男の意識が確認できるようにして── 』
男の意識は2割とミッシュに事前に教えられていたから何とか確認することができたが、知らないで見たならば動揺してどうしていいか分からなくなってしまっていただろう。
領域の中で四隅にこびり付くように残っている黒いそれは、もう今にも消えてしまいそうに見えた。
それをミッシュの指示に従って結晶体へと変えていく。
男の意識は俺の感覚では指先ほどの大きさの無数の黒光りする小さな多面体に変化して、領域の床に散らばった。
『どうしても男の意識を必要とするときには、結晶を爆散させて男の意識を領域に満たして元の男のときに近い状態まで引き戻すことができる。
ただ、男の意識に十分な量がない場合、爆散させれば男の意識は急速に消滅する。
5割、いやせめて4割に戻るまでにそれをやれば、男の意識は消滅する可能性が高いと思っていてくれ。』
どんな場面かは分からないが、俺が男の意識を必要とするなんてときが来なければいいと、俺は喉を鳴らして祈った。
俺?
もう男の意識はすべて結晶化してしまったのに、自分のことを”俺”と言い続けることに何か意味があるのだろうか──
俺、いや、私?、が自分のあり方について考えを巡らせようとし始めたところで、ミッシュが話題を変えた。
『それで、マーモのことだが、あれには人間の幽体の一部が入っていると推測している。
フェアリィデビルの幽体の格納領域は小さくて、とても人間の幽体全部が入る大きさはないんだよ。
つまり、あれに入れられている人間は幽体を強制的に幾つかに分割されていて、フェアリィデビルのほうも人間の幽体を入れるスペースを作るために改造されている。
だから本来の習性が抑制されて反応が人間くさいのに、きっと自分が誰だったかも分からなくなっているから、自分が特定の誰かだと主張することもない。』
人間の意識を分割してほかの生き物に入れているというミッシュの説明に、俺?、私?はショックを受けた。
男か女かなんてレベルの話じゃない。自分が誰なのか分からないだけじゃなくて、人間なのか魔物なのか、それすら分からないなんて酷すぎる。
『だが、俺たちは幽体が掠われた人間を1人だけ知っている。
マーモはセイラに泣きながら抱き付いてきたんだろう?
それは自分の本来の体を本能的に求めて逃げてきた幽体が、自分の体に出会ったからなんじゃないか。』
ミッシュにしては珍しく動揺の感じられる思念だった。
『俺は、あれはアスリーの幽体の一部なんじゃないかと思っている。
たまたま、マーモはまだミシュルの姿の俺にしか会っていないが、俺が本来の姿で会えばマーモは反応するんじゃないかと思う。
そして、もしそうだったら、俺はケイアナに話を通して分割されたアスリーの幽体を集めて元の幽体へ復元して、元の体へと返してやらなければならん。
セイラ、協力してくれるか。』
酷い話だった。
俺は強い怒りを覚えたし、アスリーさんを助けてあげたいと思った。
私の体はミッシュがミシュルを用意してくれている。
俺、えっと私……ああ、もうその問題は後っ。
ミッシュに頷いて賛成の意思を示した。
「ミッシュ、できる限り協力します。何でも言ってください。」
人の意識を弄ぶ奴を私は絶対に許さない。
女神リーアも、聞いてますか?




