第18話 女の子は可愛いものが大好きです
翌朝、朝食の後に思いがけない打診が母様から俺とティルクにあった。
それは歌うときに踊るのは止めにしようという提案で、俺にとっては願ってもない話だったが、ティルクが、えーっ、と残念そうな声を上げる。
「母様、ただ歌うよりも踊った方が絶対に楽しいと思うのに、なぜですか。」
まあ、抗議するよね、ティルクは踊りたくてついでに歌ってるんだし。
母様は困った笑みを浮かべてティルクに説明をし始めた。
「王家の者は大勢の前に顔を出して話をしなければならないときがあってね。
セイラは度胸のある方だとは思うけれど、場数を踏まないと分からないこともあるから、セイラが歌うことで将来の経験の足しになるかなと思っていたのよ。」
「……母様。それって、花嫁修業ということでしょうか。」
俺が固い声を出すと、母様が申し訳なさそうに笑った。
「テルガの町でダイカルの婚約者と言われて出発した以上、噂は広がっているでしょうから、そのためというのが一番ね。
でも、それを抜きにしても、セイラは姓がガルテムになっているでしょ。
今はステータスの姓を誤魔化しているけれど、男に戻ったとしても、いずれ公の場で話さなければならないときがくるかもしれない。
だから、そのときのためにも、ね。」
俺の姓がガルテムだと知ってティルクが目を丸くし、母様は、だからしようがないでしょ、と首を振りながら、どこか嬉しそうだ。
むー、納得がいかない。
「で、そのことと踊りを止めることにどんな関係があるんですか。」
俺は母様がまだ踊るのを止めた理由を説明していないことを指摘すると、母様は躊躇いながら説明した。
「幾分か直感的な話になるけれど、昨日のステージは観客が求めているものを提供して興奮を煽っているだけのような気がするの。
観衆を熱狂させて一方向に感情を煽るのは危険、そう思ったからよ。」
ああ、そういう……
ティルクの方を見ると、さっきまでの俺と同様に頬をぶくりと膨らませて納得していないようだ。
「何となく分かりました。
踊りと歌で観客の思いをコントロールするように考えてみます。」
俺は母様にそう言うとティルクを引っ張っていき、相談を始めた。
俺は踊らない方が嬉しいし、難しそうと思ったけれど、何とかティルクも母様も喜ぶようにしてあげたかったのだ。
◇◆◇◆
魔獣の討伐は問題なく進んでいた。
みんなのレベル上げも順調で、ときおり空を飛んで確認したところでは、もう3日くらいで森を抜けて草原へとでるはずで、たぶんそれから2日ほどでハーグルさん一家がやって来たカエンチャの町に到着すると思われた。
俺たちはレベル上げのために敢えて森の中を、付近にいる魔獣を掃討しながら進んで来たが、馬車で普通に道を行けばカエンチャからテルモの町までは4日ほどの距離になるらしく、途中に旅人が宿泊していた村々は防御力を集約するために放棄されたとハーグルさんから聞いていた。
穀物の生産拠点が放棄されているわけで、アスモダの食糧事情は悪い。
アスモダの食糧事情はテルガにいるときにすでに予想されていたので、俺たちは収納空間に自分たちが数ヶ月自給できるだけの食糧─主に穀物類─を持参している。
その食糧も、アスモダの状況によっては多少の融通をすることを視野に入れて、肉類や山菜、果実、ハーブなどの森で調達できる食料はできる限り調達しているわけだ。
魔獣が争っているのを俺が見つけたのは、魔獣狩りに一段落が付いて、リルとフェンを連れてハーブの群生地で採取をしているときだった。
狼型の魔獣が15頭以上が群れをなして走って行くのが見えた。
この走り方は何かを追いかけている。
こちらは風下になることを確認して、魔獣たちの行く先を見ていると、人の叫び声のようなものが聞こえ、俺はリルとフェンに行けるか確認した。
見たところ魔獣は各個体がレベル2,000をかなり上回っていてたぶん2,500に近く、レベル4,200の俺1人では危ないが、リルは俺たちの魔獣狩りに参加してレベルが5,000近くになっていて、フェンも2,500を超えて大体魔獣たちと同じくらいになっている。
リルが一般的な魔物のレベル4,000を超えているのは、元から4,000ほどあったのに加えてミッシュがリルにも師匠的なことをやっているのが原因らしいのだが、戦力値が高いのは助かる。
土柱を100ほども作って風魔法で打ち込もうとしたが、魔獣たちに魔力を察知された。
撃ち込んだ土柱は5、6頭を倒したが、10数頭が水魔法で盾を作っていて土柱が通らなかった。
雷魔法を3つほど起動して魔獣が集まっているところへ撃ち込んで5,6頭にダメージを与えながら前へ出て風魔法を纏う。
先頭の2匹が撃ってきた水弾を躱しながら距離を詰めて1頭を斬り、後からリルが2頭目へと向かっているのを感じて3頭が固まっている次の目標へと向かう。
土柱を10ほど作って撃ち込むと同時、斜め後からリルの小ぶりな風弾が打ち撒けるように飛んできて、土柱と風弾で前の魔獣3頭とその後の2頭を倒し、フェンが斜め前を掛けていて、何かを追いかけている集団に追い縋ろうとしている。
戦闘は魔獣たちを圧倒して進み、ものの数分で最後の一頭を斬り伏せた。
魔獣に追い詰められて木の洞の中、上の方でぐったりとしていたのは、身長70センチくらいの緑色の小さな猿のような、恐らくは魔物、だった。
洞から魔物をそっと取り出して苔の生えた地面の上に置いて日の下で見ると、体中が傷だらけで弱っていたがまだ五体満足で生きていて、微かに漏れる鳴き声が人の悲鳴に似ている。
(元気になったら襲ってきたりしないかな。)
相手は魔物だが、小さな可愛らしげな姿とヒィヒィという人の悲鳴に似た声に俺はそのまま放っておく気になれずに光魔法で治療を始め、やがて顔の大半を占めるのではないかと思うような大きなブルーの目が開くと、俺はそのキュートさに心を鷲掴みにされた。
「か、可愛い! 」
どこかピグミーマーモセットに似たその魔物を夢中になってみていると、魔物もこちらをじっと見ていて、涙が溢れたかと思うと起き上がって俺の膝にしっかりと抱き付いてきた。
特に攻撃をしてくる様子もないので抱き上げるとしっかりとしがみ付いてきて、胸に柔らかい毛に包まれた頭を擦りつけてきて、キュウキュウと鳴く。
(うわあ、この子、最高! 可愛い、可愛い、絶対に可愛い! )
俺は頬が緩んで顔の筋肉が崩れ落ちるかというくらいの上機嫌になって魔物を抱き上げると、リルが短パンを銜えて引っ張っていくまで採取したハーブのことも忘れていたくらい、魔物のことしか考えていなかった。
(この子、なんていう魔物なのかな。
母様に言って飼う許可をもらって、あ、ティルクに見せたら欲しいっていうかな。
いや、絶対にあげないし……)
帰り道の間、魔獣が現れたことも、リルとフェンが頑張って討伐してくれたことも、皆のいるところを通り過ぎそうになっていたことも全て上の空で、俺は腕の中にいるマーモちゃん(雌だった)の温もりと可愛らしい仕草に夢中になっていた。
『せ・ら、けーな、こっち! 』
ついにはミッシュに特訓を受けていたらしいリルが、ふらふらしている俺に業を煮やして念話を初めて発動して俺に注意をしてくれたのだが、俺はリルが念話を使ったことにも気が付かない有様だった。
◇◆◇◆
俺がマーモちゃんを抱いて皆のところへ戻ると、冒険者たちが騒然となった。
俺はマーモちゃんが可愛いからくらいにしか思わなかったのだが、マーモちゃんはフェアリィデビルという名の魔物で、見た目の可愛さに反して強力な空間魔法と風魔法で生き物を襲い、楽しみのためだけに殺すような残虐行為をするのでこの辺りでは有名だったのだ。
「セイラさん! そいつは危険だから!
何をするか分からないから、地面に置いて、そっと離れて! 」
キューダさんが俺に抑えた声で必死に注意してくれたが、俺は腕の中でしがみ付いてくるマーモちゃんを見せて、無害なことを訴えた。
「ほら、マーモちゃんは悪いことはしないし、こんなに可愛いよ。」
冒険者たちが遠巻きに俺を囲んで、お互いを説得し合っていると、ミッシュがミシュルの姿でやってきて仲裁をしてくれた。
「この魔物は確かにフェアリィデビルですが、中に違う存在の気配がします。
詳しくは調べないと分かりませんが、たぶん大丈夫ですよ。」
それでマーモちゃんを巡る悶着は決着して、俺はミシュルと一緒に母様のところへ行き、経過を説明して母様の了承をもらった。
マーモちゃんは大人しくて俺から離れようとはせず、料理などをしていても近くでじっとこちらを見ている。
行動を見るに、相当に知性が高いことが窺われたが、ミッシュによるとレベルが数百しかなくて、通常のフェアリィデビルの数分の一の力しか持っていないそうで、それも中の違う存在を入れるために何かされたことが原因ではないかと推測していた。
ティルクはマーモちゃんにやっぱり夢中になって、俺にべったりで離れようとしないことに少し焼き餅を焼かれながら、夜には2人の間にマーモちゃんを寝かせて、2人で撫でながら満足して眠った。




