第8話 感動したり震撼したり
「ほら、セイラ、縫い目が粗い。それじゃカクカクして模様に見えないでしょ。」
お母様の注意が飛ぶ。刺繍枠の中をじっと見詰めて布の横糸の一つ隣に針を「セイラ、縦がズレてる。」、あ、はい、針を抜いてもう一度刺し直し「横」、もう一度「……」刺す。
刺繍枠の中に魂を突っ込むような気持ちでやっと一針。布をテーブルに置いて眉間を揉み解す。
「器用さ3だから、酷いとは思ってたけれど、想像以上ね。」
お母様が溜め息を吐く。
軽い気持ちで花嫁修業と言ってみたが、お母様はどうもガチだ。
さっき、ケイアナさんが”私の娘”と言ってくれた様子から、俺も頭でお母様と呼んでしまっても気にしないことにしたんだけど、お母様、もしや自分の持っている技術を全て俺に教え込むつもりだろうか。
「疲れたみたいだから、お茶を飲みながらお勉強しましょうか。」
「はい、お母様。用意ができるまでの間、ちょっと体を解してますね。」
俺は絨毯の敷かれたフロアに出ると、柔軟体操を始めるのをお母様が見ている。
「アスリーさんの体、本当に柔らかいわね。でも、柔らかすぎると力が逃げることもあるから、強さの低いセイラにはどうなのかしらね。」
ぎくりとする。んー、と顎に指を当ててお母様は考えていたが、まあそこまで考えなくても良いか、と笑う。
◇◆◇◆
お母様付きのメイドさんにお茶を出してもらい、カップを口に当てながらお母様の講義を聴く。
「セイラはこの世界の常識が分かっていないだろうから、そこからいくわね。
この世界に住む人は、私達魔人族、獣人族、エルフ族、人族の4種族を主要4種族としているのだけれど、大事なことは魔人族と人族以外との異種婚は子孫ができる確率が低いことなの。
異種婚で生まれた子どもは混血よ、どちらかの形質を強く受け継いで異種婚で子孫ができる確率は少し高くなるけど、その形質が安定して子孫に引き継がれる訳ではないわ。
そして、異種婚が積み重なった結果として魔人族が生まれた。元々魔人族はいなかったし、異種婚が進むと魔人族が増えることになる。
対して、人族は異種婚が進むと種族が存亡の危機に直面するから純血主義が根強い。
人族が魔人族を敵視するのはこの辺に根っこがあるわ。
それから、人族は犬、猫といった動物と相性が良いけれど、魔人族は魔犬、魔猫といった魔獣と相性が良い。
魔獣や魔物は世界中にいるのだけれど、人族は魔獣も魔物もごっちゃにして、被害の大きいものは全て魔人族が魔獣や魔物に指示した侵略行為の結果だとしているわ。
だから、人族は勇者を育てて魔人族を滅ぼそうとする。
これが魔王と勇者が対立する原因よ。」
俺はあっけにとられた。
魔王と勇者という聞き慣れた組み合わせだから、最初は魔王が悪いことをしていると思ったが、魔王が勇者であるアスリーさんを大事にしている態度を見て、どうも違うかなと感じてはいた。
でも原因が人族の被害妄想だとは思わなかった。
まあ、魔王側の言い分だから本当のところはまだ分からないんだけど、少なくとも勇者が魔王との結婚を選び、人族の王が次の勇者と俺を殺して新しい勇者を作ろうとしたという女神様からの情報や俺がアトルガイア王国の国王を見た印象と矛盾はしない。
その結果として今の自分の身の上に起こったことを考える。
女神様も人がやることに干渉できないとか言う前に、直接神様がサポートしなけりゃならないような領分に人が干渉できないようにしておくべきじゃないんだろうか。
考え込んでいるとお母様が、セイラ、お昼のジョギングの時間、と教えてくれたので、すぐに出かける。
よし、今度は5分持ったぞ。ギリギリだけど。
◇◆◇◆
食堂にはまた魔王がいなかった。3人で昼食を取る。
ジャガル君は、午前中は教師が付いて武術と座学の勉強をしていたようだ。
「姉様が早くレベルを上げてくれたら、一緒に武術の訓練ができるのに。」
お母様が俺に付きっきりだから寂しいのかもしれないな。
「そういえばジャガル君、いまおいくつ? 」
「8歳になりました。あと2年したら学校に通います。」
ん? お母様は魔王と同じ銀髪で年寄り風の地味な服装をしているから年配の人と思っていたけれど、いくつなんだろう。
魔王は20歳台前半に見えるし、結婚が10歳台だったら、本当はけっこう若い?
お母様の顔をそっと覗き込んでいたら、何?、と気付かれた。
「えっと、すみません。失礼ですがお母様、ひょっとして30歳台ですか。」
「気付かれちゃったわね。38歳よ。」
まさかの38歳。俺が驚いていると、溜め息とともにお母様が説明をしてくれた。
「夫のザカールが先代の勇者に襲われて死んだのが5年前でね、ちょうど成人したばかりだったダイカルが魔王を継いだの。
私は後添いの話なんかが出てザカールの邪魔にならないように、人前に出ずに大人しくしているのよ。」
言い辛いことを聞いてしまって恐縮していると、お母様はいいのよ、と言ってザカールさんが亡くなった時のことを教えてくれた。
「地方へ巡行に出ていたときでね、峠で休憩のためにザカールが走竜から降りて振り返ったところを木陰に潜んでいた勇者に不意打ちされたの。
私達もいて襲われそうになったのだけど、ザカールの胸に剣が柄まで埋まって、こちらへ斬りかかるために剣を胸から引き抜こうとしている勇者を、ザカールが抱き抱えて谷へ身を投げたお陰で私達は助かったのよ。」
前の世界で時々言われてたけれど、勇者って暗殺者だな。酷い。
「それで、戦争にならなかったんですか。」
「ダイカルは戦争をするって言い張っていたわ。だけどアトルガイア王国は大陸の真反対にあってね、他の国全部を巻き込むことになる。
アトルガイア王国は魔人族以外とはまともな外交をしているから、大義名分はあってもできなかったの。
アトルガイア王国は首謀者を処分したと言って、王子だという首を1つ送ってきて、それきりよ。
当時、国王になったばかりのダイカルは、自分に政治力が無いことを泣いて悔しがっていたわ。」
俺はそれを聞いてアスリーさんのことを思い、魔王をすごいと思った。
「ダイカルさんは勇者に父親を殺されてそんなに悔しい思いをしたのに、ご自分は次の勇者のアスリーさんと結婚したんですね。
先入観に囚われずにちゃんと人を見極めているからできるんだろうけれど、自分を殺しに来た人と分かり合ってしがらみを振り切って結婚するって、すごい勇気だと思います。
それに、魔王妃の儀式で感じましたが、国民の皆さんはアスリーさんとダイカルさんとの結婚を喜んでくれていました。
国民の皆さんも先代国王のことで辛い思いをしたと思うのに、わだかまりを持たずにあれほど喜んで受け容れているのはすごいと思います。
私、ダイカルさんとガルテム王国の国民の皆さんのことを尊敬します。」
そう話して顔を上げたら、お母様とジャガル君が眼をキラキラさせてこちらを見詰めていた。
あ、しまった。
少し好きになったとかじゃないですからね。俺、男なんだし。
◇◆◇◆
昼食後、午前中で1つしかレベルアップしていなかったので、腹ごなしも兼ねてジョギングをすることにした。
2か月でレベルを80まで上げるなら、レベル20までは毎日レベルを3つ上げるのがノルマだと言われているので、このペースだと少し足りないからだ。
で、お母様の年を聞いてしまったので、一緒に走らないか誘ってみた。
「いや、私はもう随分と体を動かしていないから鈍っているし……」
ならばレベル4の私と走るのはちょうど良いんじゃ、と粘ったら、渋々と承諾してくれた。
「これ、内緒だからね。」
そう言うとお母様の顔が輪郭から少しずつ変わり始め、銀髪は赤毛に、顔の横に可愛らしく生えていた角の代わりに獣耳になって、年の頃20歳くらいの別人になった。見ると尻尾も生えている。
「私の変身魔法よ。セイラも自分を鏡で見てごらん。」
鏡を見ると、茶色い髪で角が生えた別人になっている。
「素のセイラと一緒だと、年配の城勤めにはバレるからね。やるなら2人ともやらないと。」
「……お母様。ザカール様とお2人で抜け出して随分とサボったでしょ。」
お母様は頷いて笑う。
その笑顔は懐かしいことを思い出したのか、少し寂しそうだった。
◇◆◇◆
「お、お母様、ちょっと待って。もう無理。」
「何言ってんの。ここまで来たんだから当然帰りも走るでしょ。ほら、這ってでも走る! 」
お母様に乗せられて1キロ走って潰れた。
でも潰れても許してくれない。お母様の運動着の裾を持って意識が朦朧としながら引っ張られて走り、手が離れて倒れたら活を入れられた。
地面を掻き毟って起き上がろうと足掻いていたら、つい、鬼婆、とポロリと口に出た。
「すみませんでした! ごめんなさい、もう絶対言いません!! 」
お母様の鬼気迫る笑顔に米搗きバッタのように土下座して、すぐに走り出す。
だって、同じ表情で併走してこちらを覗き込んでくるんだもん。止まったら殺される。
お母様の居室にボロボロで到着して、苦しくて息もできないけどまた土下座して、
「ご、ごべ……な…しゃ…」
と繰り返し謝っていたら、迫力のある笑顔で、
「1回だけ許す。」
と言ってくれた。
息が整ってからステータスを見たら、レベルが4も上がっていた。