第7話 恋に生きる歌姫誕生。え、何の話ですか
ハーグルさん一家を避難民のところへと送り届けて、俺はリルに乗って、ミッシュとフェンリルたちとともに帰っていたのだが、いくらも行かないうちにフェンが立ち止まると、きゅうん、とひと鳴きした。
もう陽は落ちて辺りは暗く、光魔法で明かりを浮かべないと俺には周りの様子が分からない。
『セイラ、フェンが腹が減って疲れてしまったようだ。
この先にちょうど良い空地があったと思うんで、今夜はそこで野営しないか。』
それなら先ほどの避難民の人たちと一緒に一夜を過ごしても良かったんじゃ、と俺は思ったが、その場合、先ほどの様子から、王家の紋章を出してしまった俺のことについてすぐに質問攻めに遭うだろうと気が付いて、王家の紋章の大変さを改めて感じたところだった。
空地に着くとミッシュが収納空間から食材と夜具を出してくれて、ミッシュとリルとフェンには生肉を切り分けて与え、自分の分の食事を簡単に作ろうとしたのだが、ミッシュがミシュルを取りだしてきて、俺が土魔法で竈を2つ作って2人で分担して食事を作ることになった。
「生肉は生肉で美味しいのだけれど、人型の舌で味わう食べ物もなかなか良いものですよ。」
ミシュルの焼いた肉は香草を組み合わせた下味の付けかたが絶品で、ミシュルに下味のレシピとどこで料理を覚えたのかを聞いたのだが、内緒です、と教えてはくれなかった。
食後、残りを収納空間へと保管して調理器具や食器類を片付けていると、周囲の静けさの中から虫の音が聞こえ始めていて、やがて来る秋の兆しが少し枯れた匂いがし始めた草からも感じられて、俺はいつしか小さな声で鼻歌を歌っていた。
この世界に来てから自分の歌を意識したのは初めてだったが、女の声で歌う歌は甘く優しく響いて、最初は地球で聞いていた女性ヴォーカリストのJ-POPを口ずさんでいたのだが、周囲の静かさにはゆったりとした曲の方が合うような気がして、少し古い歌を選んで、歌詞のよく分からないところは、ラララ、フフフ、などと誤魔化しながら、後片付けが終わった後も口ずさんでいた。
いつの間にかミシュルはいなくなっていて、たき火から少し離れて敷物を敷いて座った俺の側にはミッシュが黒猫の姿で寝そべり、俺はリルの腹にもたれて左脇にフェンに手を掛けミッシュを抱き上げて、それぞれの手触りの異なる毛並みを楽しみながら鼻歌を続けていた。
そしてしばらくして、俺はミッシュを側に置いて、そろりと火の側を離れる。
(あっつう。)
真夏に天然の毛布にくるまってたき火に当たっている状態で、汗が流れ喉が渇いてしようがない。
水魔法でコップに水を出しながら、少し先に見えていた川縁まで出て水を含んだ風に当たっていたときだった。
『娘さん。歌を続けてくれないか。』
いきなり脳裏に知らない思念が飛び込んできて、俺はぎくりとした。
『ああ。危害を加えるつもりはないから、そんなに緊張しないでくれ。
儂も昔は人と暮らしていたんで人の歌声が懐かしくてな、つい声を掛けたんだ。
あんたはこんな夜更けにあんなすごい奴らと1人で一緒にいて平気なくらい肝の据わった娘さんのようだから、少しくらいなら大丈夫かと思ってな。』
見知らぬ相手の思念はそう話を続けてきて、俺は好奇心をそそられて話し掛けようとしたのだが、その前にミッシュが会話に割り込んできた。
『おや、テュールじゃないか。久しぶりだな。』
『ミシュガルドの旦那、儂を覚えておったか。今はこの娘さんと契約しているのか。』
ミッシュとテュールと呼ばれた相手とは旧知の仲のようなのだが、ミシュガルド?、と俺は首を捻った。
大昔に名乗っていた名前だよ、とミッシュが教えてくれて、テュールについても説明してくれた。
『テュールはアウルベアという魔物なんだが、小さい頃に人間に拾われて育ったから人間に親近感を持っていてな、飼い主が死んでからは人に怖がられないように、めったに人前に姿を現すことはないんだ。
もう数百年を生きている大物だよ。』
『そうだなあ。今回も、ミシュガルドの旦那が一緒でなければ声は掛けなかったし、儂は随分長い間を1人で過ごす間に、人間の言い方で言うと、人見知りするようになったらしい。』
ふうん、と俺が思う間に、娘さん、歌を、とまたお願いをされて、疑問や質問を置いて歌うことにした。
何の歌が良いかなと考えたが、俺はこの世界の歌はほぼ知らない。
何となく、アニソンの中から女の子が共に戦う恋人に語りかける優しい曲調のものを選んで歌うことにした。
静けさの中に溶け込むように歌い始め、だんだんと声量を増して、恋に落ちた楽しい日々を胸に、いまは困難でも勇気を出して、愛するあなたとの未来を夢見てともに戦い、やがて来る新しい日のために生きていきたいと語りかける。
日本語との言葉の違いは適切な言葉に自然に置き換えられて、ほぼ意味が変わることはなかったはずだ。
その後も強請られるままに何曲かを歌って、最後に温かみのある静かな曲を選んで歌う。
全体を通して、夜の雰囲気を壊すようなリズムの速い曲は選ばなかった。
『娘さん、歌い手で食っていけるな。いや、堪能したよ。素晴らしい夜だった。』
『そうだな。珍しい歌をたくさん知っているようだし、歌姫でいけるかもしれん。』
テュールとミッシュがそう言うのを少し恥ずかしく聞きながら、俺は、お粗末様でした、と謙遜した。
『ところで、テュール。俺たちはこれからアスモダへ向けて魔獣の移動の原因を調べに行くんだが、良ければ一緒に来ないか。』
思いがけずミッシュがテュールをスカウトし始めて、ミッシュがそう声をかけるほどの強い魔物なら助かると俺は期待を寄せたのだが、テュールは同意しなかった。
『行ってもいいんだが、今、2,000人以上の人間が北を目指して移動しているだろう?
護衛は100人ほどしかいなかったようだし、南から移動してきた魔獣たちがあれを見つけると厄介だと思ってな、移動してきたり引き寄せられてくる魔獣たちを狩っているところなんだ。
人間たちに儂が見つかると面倒なので、少し距離を置いて後を付いて行っているところなんだよ。
もし行くとしたら、彼らの無事を確認してからだな。』
避難民に思ってもいなかった護衛が付いていたことに俺は驚いたが、それと同時にテュールが人間に見つかった場合に、人間が彼を味方とは思わないだろうことが気に掛かった。
「テュール、と呼んで良いかな。あなたが人間に見つかったときに攻撃されないように、人に飼われている印を付けて上げたいんだけれど良い? 」
テュールの同意をもらって俺が収納空間に何かないか探していると、ミッシュが収納空間から革紐を出してきたが、大きな体に細い革紐だけではすぐに気が付かれないような気がする。
「テュール。姿を見せてもらえる? 」
俺の頼みに川側の茂みの後ろから姿を見せたのは、体高が3メートルを超える、頭部がフクロウに似た大きな熊で、立ち上がると5メートル近くはありそうだった。
フェンとリルがさっきまで感じなかった大きな魔物に驚いて毛を逆立てていたので、2頭に敵ではないことを伝えてからしみじみとテュールを見る。
(これは、姿を見せたら人間から間違いなく攻撃されるな。)
人間に飼われている魔物だと見せるだけでは不十分だと感じた俺は、どうしようかと考えて、ドルグさんからもらった光沢のある青のドレスを取り出して、広がった裾でテュールの頭部の周りに目立つ印を付けられないか採寸してみると、ドレスを加工すればいけそうだった。
ドレスを切って繋いで幅広の筒状にしたものをひたすら作って手繰って蛇腹にして外側を膨らませ、幅の真ん中を革紐がベルトになるように固定してテュールの首へと付けてみると、首の周りを青い布が襞状に覆って首元の飾りのようになって、特に首の動きを妨げる様子もない。
これで、人に慣れた魔物であることは分かるはずだ。
あとは……ミッシュに頼んで、大きめの魔石を出してもらうと、端に穴を空けてベルトに結わえ付けて、魔石に闇魔法を付加していく。
軽く思念を込めると、頭の横に俺の上半身が映像として現れた。
そして、さらに思念を込めると、俺の映像が話し始めた。
”私はセイラです。
このアウルベアは名前をテュールと言い、魔獣から人を護るために活動しています。攻撃しないでください。”
「テュール、あなたが魔石に念じると今の映像が流れるようにしたけれど、こんなところでどうかな。」
俺が闇魔法でテュールの姿を映しだしてみせると、テュールは魔石の様子を確認しながら感想を伝えてきた。
『うん、これならば人から攻撃されることは少なくなるだろうな。活動がしやすくなって助かるよ。』
縫い物に時間が掛かってもう夜中も大分過ぎていたのだが、テュールは満足げに言った後で、ふと思いついたように頼んできた。
『ただ、この映像だけというのは寂しいな。今夜、儂に歌ってくれた歌を歌うところを映像にしてくれたら、儂も無聊を慰めることができて随分と嬉しいのだが、頼めないだろうか。』
(ああ、ずっと長い間1人でいて、それでも人間のために尽くしてくれるテュールのために、それくらいのご褒美はあっても良いよね。)
そう思った俺は、ミッシュからもう一つ魔石をもらうと、もう一度最初に歌った歌を歌い、それを魔石に闇魔法で付加してテュールの首に結わえ付けた。
『ここで過ごしている間に大分時間が経って、また魔獣が北上している。
儂は急いで魔獣を狩ることにするよ。
避難民、だったか、彼らが安全になったらセイラに合流するためにアスモダへと向かうことにしよう。』
テュールは別れを告げると去って行って、俺たちは眠ることにした。
テュールはその後、避難民が無事にテルガの町に着くまで護衛をして、その後は危険な状況に行き会った人々を助けながらアスモダへと向かったのだが、俺がテュールの首に付けた印と録画したテュールの身元説明は出会った人たちに覿面な効果を発揮した。
また、テュールは暇な時間ができると俺の歌を再生しては楽しんだほかに、出会った人たちを落ち着かせるためにサービスとして歌を積極的に聞かせていたために、俺の姿と歌声もテュールを介して人々に知られるようになっていた。
そのため、俺の知らない間に、テュールは”魔王妃セイラが民を守護するために遣わした従魔”として認知され、俺が歌った歌は”国王様を慕うセイラの恋歌”として有名になって、民思いで健気な俺のキャラクターイメージが一人歩きし始めていたのだった。




