第4話 最近、舞姫さんが冷たいと不評だった理由というか、真相がこれ
俺は髪の毛から体から服からフェンリルの涎でドロドロにされて、肩は服が引っ張られてずり落ちて、捲れ上がったスカートを戻しながら座り込んでいた。
夏の薄着の服は透けて太股辺りは涎でてらてらと光っている。
「うわ、エッロ…… 」
声が聞こえた方を涙目で睨み付けて、語気を荒げて説教する。
「そう思う前に、止めに入るか見ないようにするのが紳士でしょうっ!
全員、晩ご飯抜きですっ!! 」
男どもが慌てて後ろを向くが、俺はこいつらの無遠慮な視線に怒っていた。
全員が全員、遠慮も嗜みも忘れて目を皿のようにして、”只今最高精密解像度で録画中”と顔に書いてやがった。
記憶した映像データが飛ぶくらいの目に遭わせた後で、悪いことをする元気を削ぐために、ご飯は必ず抜いてやる。
光魔法で浄化をかけて、火魔法と風魔法で温風を全身に循環させながら、俺はフェンリルの方へと向き直った。
「このおバカ! 程度を考えなさいっ! 」
フェンリルの鼻をべしべしと叩くと、フェンリルは少し鼻をずらすように頭を下げて、きゅうん、と鳴く。
俺は同化を発動して上半身をフェンリルと重ねて、フェンリルに女性に手荒な行動をしてはいけないことを教え込むと、フェンリルから理解の同意が返ってきた。
俺が同化を解くと、きゃふ、と鳴き声を上げて詫びるような眼差しを送ってくるフェンリルに、許してあげる、もうしないでね、と言いながら長い鼻面を優しく撫でてやった。
「あ、あの、姉様。フェンリルをそんなに叩いて、大丈夫なんでしょうか。」
俺は恐々と声を掛けてくるティルクの方へと笑顔を向けると、安心させてあげた。
「大丈夫よ。治療のときに同化を通じてこの子と思念の遣り取りをしてね、自分の命を助けた私のことを信頼してくれたし、それに皆のことだって、子どもを連れてきてくれた私の仲間だって分かってくれている。
この子は私たちと一緒にいてくれるわ。」
俺の説明を聞いて、ティルクが目を丸くし、ジューダ君がフェンの首を抱いて嬉しそうにしている。
フェンリルは魔獣の群れと戦って怪我をしたのに、フェンの後を追うために戦闘で負った怪我に対する身繕いもろくにせず、食事も最低限で無理にフェンの後を追ったために体の抵抗力が低下して、後ろ足の傷口が化膿して細胞が壊死し始め、気が付けば狩りをすることもできなくなって、ここで力尽きようとしていたらしい。
俺はミッシュに頼んで肉を2キロほど出してもらい、フェンリルに待てを命じて手早く肉を結界内に風魔法で真空を発動させてミンチを作り、ミンチに水と野菜を足して結界魔法と空間魔法で圧力鍋状態にしながら火を通す。
できあがったものを大きな皿に入れてフェンリルに出してやる。
しばらく食事をしていないし、体力が落ちているはずだから、少しでも消化が良い物を、と思ったのだが、これで大丈夫だったようだ。
もっとも、フェンリルは最初のうちはガツガツと食べていたが、できない動物もいるらしいが体の状態と相談ができるのだろう、途中からゆっくりとしたペースになって、無理のない範囲で食べているようだった。
フェンリルはフェンの方を見て、自分だけが食べているのを気にしているようだったので、隣にフェン用にこちらは生肉を出してやると、フェンリルは安心したようだった。
食べ終わると腹ばいになって目を瞑り、その横にフェンがごろんと寄り添う。
(まだ体力が回復していないから、動きたくないんだろうな。)
「やれやれ。今日はここで一泊になっちゃうわね。」
これまで黙ってフェンリル親子の様子を見ていた母様が口を挟んできた。
「それにしても、肉体の欠損は回復できないというのが常識なんだけれど、セイラはどうやって壊死した部分を回復したのかしら。」
(やっぱりそうなのか。
んー、遺伝子情報という言葉は、母様には分からないだろうなあ。)
「光魔法は生き物や物をできる範囲で元の状態へと復元するものですよね。だから、怪我の回復や衣類の浄化はできるけれど、壊死した部分は回復ができない。
だけど、神聖魔法と複合すると、自分は本来こういう姿だという生き物の記憶を使って、光魔法で体を復元することができるんです。」
母様は、へえ、と感心した顔をしたが、ふと、険しい顔をしてミッシュに尋ねた。
「神聖魔法は使えるものが少ない魔法だけれど、魔族は皆、神聖魔法が使えるのかしらね。
もし、魔族は誰もが欠損を簡単に回復できるということならば、これからの戦いは険しくなるわ。」
『魔族に神聖魔法を使える者が多いのは事実だと思うが、光魔法が同時に使える者がどれだけいるかは分からない。
現に、ジューダは光魔法が使えない訳だしな。
それに、ダゲルアに魔力を随分奪われた今でも人間の中ではトップレベルの魔力持ちのセイラが、フェンリルの壊死を治すのに魔力をほぼ使い切っているんだ。
魔族が使えるとしても、ごく一部の者が些細な欠損を治す程度がほとんどだと思うぞ。』
ミッシュの説明に、母様は浮かない顔をしながらも幾分か安心したようだった。
ティルクとジューダ君が自分たちの宿営の準備を終えてフェンリルのところへとやって来て、俺が大丈夫と太鼓判を押してあげて、2人がそろそろとフェンリルを撫でた。
回復を掛けたときにフェンリルの体の汚れも取れていて、夏毛の白い毛並みがツヤツヤと光ってさらさらと指の間を通って手に気持ちが良い。
「で、姉様。フェンのお母さんの名前は何にするの? 」
ティルクに聞かれて、あ、と思った。
そうだよね、名前を付けて上げなくちゃ。
だけれど、雌の名前というと、プリンとかマルとか、地球の小型犬のイメージしか思いつかない。
3メートル超えのフェンリルにマロンとかあずき…違う、絶対に違う。
うーん、とフェンリルを見ていて、ふとフェンに目が行った。
「フェン……リル。」
「わふ。」
「ん?……リル。」
「わふ。」
あ。
決まってしまった。
ティルクは、安易ー、とか言ってるけれど、もう本人が反応してるんだから仕方がない。
同化したときに思ったけれど、この子、かなり整理された論理と明確な意思を持っていて、人と接したことがないから人の言葉が分からないだけで、そのうちにいろいろと聞き分けてくれるんじゃないだろうか。
リルを構っているうちに大分遅い時間になっていて、今日の鍛錬はもうできそうにないことに気が付いて、俺は、しまった、と思った。
男どもの記憶を飛ばしてやるつもりだったのに、その時間がない。
仕方がないので、夕食を抜いてやろうとしたら、バカをしてるんじゃないわよ、と母様に叱られて、普通に出した。
消灯後に、宿営地からこっそりと抜け出ては戻ってくる幾つもの気配を感じてとって眠ることができないのは、知らなけりゃ幸せなのに、男のときの経験と知識が余計なことを入れ知恵してくるからだ。
気にせずに寝ようとするのだが、知らず知らず神経がそちらに集中してしまって、あいつらが思い浮かべているだろう内容とやっているだろう行為と、それを気にして探知を発動し続けている自分が恥ずかしくて身の置き所がない。
(畜生、明日には絶対にあいつらの記憶を飛ばしてやる。)
何度もそう唱えながら、その夜、俺はなかなか寝付けないでいた。
◇◆◇◆
翌朝、俺は少し自分を恥じていた。
結局、昨夜、野営地から出ていった男どもの数は6人ほどで、残りはテントから出ることはなかった。
俺の考えすぎだったのかもしれないし、考えすぎでなかったとしても、大半の男どもは昨夜に限っては紳士的だったわけだ。
それを俺は全員を疑っていた。
うん、この件は忘れよう、そうもやもやを打っ棄ろうとしていたのだが、翌朝の訓練で母様がリルと冒険者で鍛錬しろと命じたのを聞いて、風向きが変わった。
リルには同化して母様の指示を正確に伝えて、リルも仲間内の狩りの練習のためのじゃれ合いと理解してくれた。
冒険者は8人、8人、9人のグループに分けて、リルと冒険者の1グループずつが戦うことになった。
リルはレベル4,326で冒険者は平均が600前後と、よほど上手く戦わないとリルの方が有利という塩梅になっている。
「リルー、行けーっ! キューダさんたちをやっつけちゃえっ!! 」
冒険者が必死になってリルに戦いを挑み潰されていく様子を俺はご機嫌で応援していた。
冒険者たちも日々魔獣と戦って着実にレベルを上げているのだが、所詮は一頭レベル1,000以内の魔獣がほとんどで、レベル4,000などというのと戦ったことなどない。
体当たりや腕の一振りで弾き飛ばされ、圧倒的な戦力差を埋めるための工夫を見つけることができなくて、ほぼリルの蹂躙劇となった。
それが昨日からいろいろと考え込んでしまっていた俺の良い鬱憤晴らしになってしまって、俺はリルの応援に終始してしまっていたのだ。
鍛錬の後で、何だかセイラさんが冷たいと冒険者たちが拗ねているのを聞いて、さすがにちょっと露骨だったと反省をした俺だった。




