第6話 ガールズトークは恐ろしい
動きやすい服装になって軽くストレッチをしている間に昼食の時間になり、俺は上からドレスを着て何とか体裁を整えて食堂へ急ぐ。
魔王がまた肘を出してきたが、間違えて魔王の肘が突き当たっただけで俺が死んでしまう可能性があることが分かった以上、近寄るのは怖い。距離を取って並んで食堂に入ると、すでに他の人達は着席していた。
軽く挨拶をして着席すると、ケイアナさんから労いの言葉があった。
「話は聞きました。危ない目に遭わせてしまってご免なさいね。命の危険を回避できて何よりでした。セイラさん、ありがとう。」
「いいえ、お母様。アスリーさんの使い魔のミッシュが助けてくれましたので、本当に助かりました。」
ここは愛想が大事とケイアナさんに笑顔で応えると、ケイアナさんが優しい顔を俺に向ける。
「セイラさん、あなたは魔王妃の称号を得た上で国民の前で魔王妃の儀式を誰にもできないほど立派にこなしてくれました。
このままダイカルの妻となってくれて、何の問題もないのですよ。」
(嫌です。問題が大ありです! )
俺は微笑んだままケイアナさんへ首を横に振ってみせる。
こういうところ、オートモードセーブは本当に上手く処理してくれる。
「お母様。私の望みは自由に生きることだけですわ。」
「そう、ならば、その相談をいたしましょう。昼食後、私の部屋へおいでなさい。」
ケイアナさんが溜め息を吐きながら提案をし、俺は、はいと答えざるを得なかった。
◇◆◇◆
「お母様、失礼します。」
俺は重厚なドアをノックすると、許しを得て王太后の部屋へと入った。
入口にはふかふかの絨毯が敷かれ、奥に応接セットがあり、そこにケイアナさんがいた。
「いらっしゃい、セイラさん。こちらへお掛けになって。」
俺はケイアナさんのところへ行き、会釈をして椅子に座る様子をケイアナさんがじっと見詰めながらぽつりと呟いた。
「セイラさんは好奇心旺盛で物怖じしない方ね。」
あ、拙かったかな、と思ったのが顔に出ていたのだろう。ケイアナさんがくすりと笑う。
「別に失礼とか、そういう意味ではないの。
今朝はお母様と呼ばれて嬉しかったわ。私には男の子しかできなかったから。」
俺も男です、と心の中でぽつりと呟く。
「でも、アスリーさんがいらっしゃるでしょう。」
俺がアスリーさんのことに触れると、ケイアナさんは首を振った。
「アスリーさんは勇者をやってらしたでしょ。同程度の強さを得るに至った対等な視界を共有できるところが、息子とお互いに惹かれた理由のようでね。
立派すぎるくらいに自立していて、私に対しても娘らしい可愛げを示してくれないのよ。私を呼ぶのも、”ご母堂”だもの。」
口を尖らせるケイアナさんに俺が、はあ、と返事をすると、ケイアナさんがにこにこと笑って言った。
「その点、セイラさんは”お母様”ですもの、もう嬉しくて。
それに、私はザカールのことを”愛しい人”と呼んでいたけれど、考えてみればこの呼び方、信じてはいても、実は対等なのよね。
それに比べると”我が君”って、ダイカルを頼りながらも支えてくれる感じがしてすごく可愛い。ダイカルも真っ赤になっていたもの。」
あー。今朝、変な空気を感じたのはそれだったのか。
何だかやっちゃった感で両肩がずしりと重くなる。
「私の国の呼び方なんです。私、国ではまだ子どもだから、あんまり意味が分かって使った訳ではありません。」
「子ども? ……セイラさん、おいくつなの。」
ケイアナさんに、16歳、と答えると、不思議な顔をされた。
「16歳はもう子どもではないわ。アスリーさんも17歳よ。」
この国では15歳からは大人と見做されるそうだ。
俺は、自分がいた国では20歳で成人すること、20歳を超えても勉強をしている間は子ども扱いされることが多いことなどを説明した。
「へーえ。セイラさんがいた国は随分と平和で寛容なところなのねえ。」
俺が、はい、と答えると、ケイアナさんは感心したように俺を見る。
「それなら、今日のセイラさんはなおさら立派だったわ。
それで、セイラさん、今後の事について、相談する約束でしたね。」
俺が再び、はい、と答えると、ケイアナさんは、姿勢を正して俺に説明をした。
「セイラさん、あなたは魔王妃の称号を得た。それは事故と呼ぶような一瞬のことだったかもしれないけれど、称号が得られたことは事実なの。
だったら、妊娠の可能性を考えないといけないわ。」
「……」
俺はケイアナさんが何を言っているのか分からなかった。
にんしん? にんしんって何ですか。
しばらく考えて、”妊娠”の漢字が思い浮かぶ。
(嘘だあ。……可能性としてはあるかもしれないけど……この人、俺を苛める。)
不意にぽろぽろと涙が零れてきて、俺は慌てた。
ぐすぐすと鼻をぐずらせながら、あ、あれ、と狼狽える俺にケイアナさんは椅子を寄せると俺の頭をそっと抱きかかえて自分の胸の方へと引き寄せる。
「まだ子どもなんだったら、びっくりするし、怖いわよね。でも、可能性があるなら、女性はそのことを考えておかないといけないの。」
ケイアナさんの声の穏やかな優しさとゆっくりと撫でられる背中の安心する感触に、転移して以来の鬱憤が爆発して、俺はケイアナさんに抱き付いたまま号泣した。
◇◆◇◆
しばらくして気持ちが落ち着いて、俺は猛烈に居心地が悪かった。
男なのに気遣いをしてくれた年配の女性に抱き付いて、経験したことがないほど大泣きしてしまった。
今朝から気が動転して2度も泣いてしまったのは、慣れない女の体に転移したばかりなことが影響しているのかもしれないと思った。
ケイアナさんから視線を逸らしながら赤い顔をして、しどろもどろに、あの、その、と呟いていると、ケイアナさんは俺の両手を握って、優しい笑みを浮かべた。
「落ち着いたかしら。突然だものね、辛いことを言ってご免なさいね。
でも、妊娠していないことが分かるまでは体を労らないとダメ。
分かってくれたかしら。」
(あー、これ、ダメなルートだ。)
フラグになって実現しちゃうんじゃないだろうか、そう思いながらも、流れを止める切っ掛けが見つけられない俺は、ケイアナさんの問いかけに乗ってしまう。
「ご心配いただいて、ありがとうございます。それで、もしもの場合、私のHPは4なのですが、その、出産とか、大丈夫なんでしょうか。」
それを聞いたケイアナさんの顔色が変わった。
「そうだったわ! 強さも……え、1? 大変!!
動けなくなる前に、少なくともレベル50にはならないと母体が危ないわ! 」
どきりとする俺の肩を擦りながら、ケイアナさんは決意の籠もった笑みを浮かべる。
「大丈夫。私は息子を2人も産んだ経験があるし、相談できる家臣達もいる。
そうだ、セイラさんは自活したかったのよね。
職業は剣士だったし、なら、強さを第一に、速さと器用さも上げるようなレベルアップのスケジュールを相談して作っておくわ。
セイラ、あなたのお母様に任せなさい。
やっとできた可愛い娘ですもの、死なせたりするもんですか! 」
最後、呼び捨てだったことに戸惑いながら、お母様、ありがとうございます、と俺は頭を下げた。
──困った。
俺は、魔王の機嫌を損ねないよう時機を見て、出来るだけ早いうちに自分が男だと打ち明けて、魔王の家族内では男で通そうと思っていた。
なのに今は、俺を娘と言って可愛がってくれるこの人に、俺が男だと伝わるのがすごく辛い。
うん、男の体を用意してもらう必要があるし、アスリーさんが見つかるまでの間にタイミングを見て、魔王にだけ伝えることにしよう。
◇◆◇◆
居室に戻ると、ホーガーデンを中心にして、慌ただしく部屋の改装が行われていた。
どうしたのかホーガーデンに聞くと、温かい目で見詰められる。
「国王様とセイラ様が同じ場所でお過ごしになると、レベル差の関係でセイラ様の命が危のうございますが、対外的に国王夫妻が別居していると知られるのも問題がございますので、国王様のご命令で、部屋を間仕切りして国王様用とセイラ様用に分けているところなんです。
国王様はセイラ様のことも大事なのですよ。」
(むう、それはどうかな。アスリーさんの大事な体なんだし。)
魔王は執務中とのことなので、ホーガーデンには取りあえず礼を言って、自分の間仕切りの方へ行くと、ドレスを脱いで、元のレギンスにショートパンツで屈伸から体力作りを始める。
しばらくストレッチを繰り返して汗が浮かんできたところで、思いついてステータスを出すと、レベルが2に上がって、HPと強さが1ずつ、MPが15上がっているのを見て、思わずため息が出た。
──今日の魔王妃の儀式であんなにやり合ったのに、その結果はどこへ行った。期待してたのに。
◇◆◇◆
しばらくして夕食の時間となり、今日は魔王は誰かと会食とのことで、1人で食堂へと行くと、ケイアナさんとジャガル君が待っていた。
今日の魔王妃の儀式のことを話題にしながら食事をしていると、先ほどの魔王妃の儀式での経験値についての疑問をケイアナさんが答えてくれた。
「魔王の加護は魔王の強さと魔力を使うでしょ。だから経験値は全て魔王に入るの。ミッシュが使った魔法の経験値もミッシュとアスリーさんに全て入ったんだと思うわ。」
俺は怖い思いをしただけで、経験値としては全く関係なかった、その情報にがっくりきた。けっこう体を張ったのに。
「それで、セイラ。レベルアップのスケジュールを作ってきたわよ。」
ケイアナさんは俺のことはもう呼び捨てできる仲ということで決定らしい。言葉遣いも内向きになっている。なので、俺も少し言葉遣いを簡略化する。
「わあ、お母様。見せてください。」
見せてもらったスケジュール表には、こう書いてあった。
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体力作り(強さ、速さ)
最初は疲れるまでジョギングを朝、昼、晩。レベル10からは追加で社交ダンス。
器用さ
お裁縫とお料理。
休憩時間
お茶をしながら礼儀作法と一般教養。
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「お母様。これ、実は花嫁修業なのでは。」
「あら、違うわよ。貴族は自分でお料理なんかしないもの。
セイラが将来自活したいって言っていたから、特別に入れたんだからね。」
「──料理だけ特別に入れたということは、他は花嫁修業も入っているんですね。」
お母さ、えへんっ、ケイアナさんは良い笑顔でこくりと頷いた。