第24話 抱き付いたり抱き付かれたり
食事が終わってそれぞれのテントへと引き上げて、俺はミッシュにMPを送った後でテントへと入り、母様に気になっていたことを相談した。
「魔王の加護の発動条件?
ああ、そうだ。セイラには言ってなかったわね。
魔王の加護は、敵から直接の害意を以て攻撃を受けたときに発動するの。
ゲイルボアの最初の攻撃のとき、セイラは木の後ろに隠れていて、ゲイルボアの突撃で撓んだ木が当たってダメージを受けたでしょう?
ゲイルボアが攻撃をしたのは木で、木はゲイルボアのぶつかった衝撃で結果的にセイラに当たっただけ。
ゲイルボアの直接的な攻撃ではなかったから、魔王の加護が発動しなかったのよ。
だから、セイラ、くれぐれも周囲の様子には気をつけるのよ。
騒乱などで魔王妃が死亡した一番多い原因は、流れ矢などの偶発的な事故によるものなんだから。」
周囲に聞こえないよう、俺の耳元で母様が説明をしてくれ、俺は、ああ、そういうことかと納得しながら、母様の方を見ていた。
たき火のほのかな光がターフ越しに射して、母様の頭から肩へかけてのシルエットが浮かび上がっている。
男のときだったら、女性とこんな距離で2人で寝ることなんかできなかっただろうが、もう慣れてしまっているのが……止めよう、ため息が出る。
「それで、何だか最近、セイラに直向きさがなくなってきているような気がするのは私の考えすぎかしら。」
直向き──。ああ、そういう言い方をするなら思い当たることがある。俺は母様の耳元で囁いた。
「私、ダイカルさんとの約束で、アスリーさんが元に戻れるよう協力をする代わりに、私が新しい男の体に移れるように協力してくれる約束だったんです。
でも、ダイカルさんは私を捕まえて、アスリーさんを亡くなったことにして、約束が全部台無しですよね。
ダイカルさんからこうやって逃げていて、先の展望が無くなって、どうして良いか分からなくなっちゃったんです。」
母様は俺の話を聞いて、軽く息を吐くと問うように囁く。
「そう。それで、私に鍛えられて強くなっても意味がないんじゃないかって、そんな風に思った?
それとも自分がどうして良いか分からないから、取りあえず私の訓練に付き合っているの? 」
母様の言葉が刺さる。たぶん両方当たっている。
「そう、そんなことで悩んでいたの。」
俯いた俺に、母様の柔らかい声が暗闇の中で響く。
「セイラ、あなたの一番の目的はなに?
アスリーさんが戻ってきたらあなたの霊体が消滅してしまう可能性や、偶然付いてしまった魔王妃の称号から自由になって、自分の意思と力で生きていけるようになることでしょう? そして、男に戻りたい。
その目的を達成するために、できることを考えなくてはダメよ。」
母様は俺の頭を撫でながら、さらに続けた。
「私が自分の国のためにセイラに期待しているのは本当よ。
でも、それがセイラの目的のためにならないと考えたなら、私を説得するなり、逃げるなり、自分の心が許す範囲のことをして、自分の目的を追いなさい。
そして、私の目的と協力できる部分があると考えるなら、セイラはその限りにおいて私に協力をする、そういうスタンスを基本に考えるべきなの。
自分の目的を犠牲にしないよう冷静に判断して見極めて、できる部分で最大限の協力をしてくれるのなら、私はそれで充分満足よ。良い? 」
自分の娘に言い聞かせるような態度と言葉だった。
俺は黙って聞いていた。
「私が当面、セイラの役に立ちそうだと考えていることは三つ。
一つは魔王の加護はガルテム王国で高位の立場にあることを証明して、いろいろな情報や協力が得やすくなる。でも、普段は他人に利用されないように魔王の加護を見せないよう注意しないといけない。
もう一つはジャガルのいるエルフの国サーフディアに行けば、魔法に関しては最高の知識が手に入る。
セイラの幽体をアスリーさんから他の体へと移る方法や他の体をどうやって見つければ良いかが分かるかもしれないわ。
三つ目は、獣人の国アスモダでアスリーさんの幽体を離脱させて掠った方法を調べれば、サーフディアまで行かなくてもセイラが他の体に戻る方法が分かるかもしれないし、敵がどうやってセイラをアスリーさんの体へと誘導したのか、アスリーさんがどこにどう囚われているのかも分かるかもしれない。
そうした情報を、私に協力しながら集めるのは、私にとっても、セイラにとっても、損にならないはずよ。
どう? 自分のするべきことや先の展望が、見えてこない? 」
母様は自分の目的だけでなく俺のことも考えて、双方が利益になるように配慮してくれている。
しかも、自分の利益を優先しろとまで言ってくれている。
母様こそ、自分のしたいことを少しずつ削って、俺のために良くしてくれているくせに。
──母様、本当に自分の娘に対するように接してくれているんだな。
「うん、分かった。ありがとう、母様。」
それから、母様にきゅっと抱き付いて、母様の胸に顔を埋める。
優しくて、甘えたい匂い。
俺はそれを誤魔化すように顔を上げて母様を見詰めると、微笑んで揶揄った。
「母様。早くザカールさんが見つかって、今度は本当に可愛い娘さんを授かるといいですね。」
母様は少し上半身を引いてぺしりと俺の頭を軽く叩き、一呼吸置いて俺に告げる。
「まあ、今はこの大きな娘で我慢しておくわ。
でもいい? 行き詰まって不貞腐れて料理の中に虫なんか入れたら、今度は許さないから。」
そう言って、母様は俺の体を優しく抱きしめる。
うん、ご免なさい、と謝って母様の胸に頭を預けて、俺と母様は眠りに就いた。
◇◆◇◆
夜半、胸の圧迫感と腰の束縛する感じで目が覚めた。
目を開けると暗闇に母様の顔の輪郭が浮かび上がり、何の違和感もなくやっていた寝る前の遣り取りを思い出して、恥ずかしさがこみ上げてくる。
母様の顔から少し距離を離すために寝返ろうとして何かが支えてできなくて、胸元を確かめて驚いた。
誰かが俺の胸に顔を埋めて腰に抱き付いて寝ている。
左側の胸の上にティルクの白っぽい髪と角が見えている。俺の胸を枕にして、馴染むのか、気持ち良さそうな寝息を立てている。
自分の体の一部なのに自分では味わえない感触を味わっているティルクを少し羨ましく思いながらティルクの背中に手を回したら、う…ん、母さん、というティルクの寝言が聞こえて、俺はそっと添えた手で背中を撫でる。
昨日は家族と別れてきたんだものな、まあいいか、そう考えると、ティルクの背中に添えた手をだらりと垂らし、腕をティルクの体に沿わせてまた眠ることにした。
◇◆◇◆
薄明かりの中で、腕の中で小刻みに押してくる動きで目が覚めた。
何をしているのかな、と見ると、ティルクは片肘と片膝をを床に踏ん張るように突っ張っていて、俺に抱き抱えられた体勢が崩れて俺の下敷きにならないように、不安定な姿勢で頑張っているんだと分かった。
「あ、おはよう。」
俺が朝の挨拶をすると、ティルクは、顔を真っ赤にして固まり、ギクシャクと弁解を始めた。
「あ、あの、昨夜、私だけテントで1人なので、心細くてこちらのテントまで来てみたら、その、ケイアナさんと姉様が抱き合って眠っていたのが見えたんです。
あの、それで、その、何か羨ましくて、テントの隅で寝かせてもらおうって潜り込んだんですけど……。
そのっ、なんで私、寝てたのと反対側で、姉様に抱き締められてるんでしょうかっ。」
俺は微笑んでティルクに教えてあげた。
「明け方に目が覚めたらね、母様との間にティルクか割り込んで、私の胸を枕にして腰に抱き付いて寝ていたの。」
「ま、ま、枕っ! 」
ティルクが俺の胸を凝視しながら焦って声を張り上げると、母様が目を覚ました。
「おや、ティルク。まだ少し早いから、こっちにおいで。」
寝ぼけているのか、意図しているのか、母様がティルクへ向けて体に掛けていた厚めの布を持ち上げてティルクを呼び込む。
ティルクは俺の顔と母様の布の下に広がる空間とを見比べていて、俺がティルクに回していた手を離すと、母様の布の中へと潜り込んで行った。
(日本でなら、中学に上がったばかりくらいかな。
それでいきなり家族と別れて森の中で独り寝は寂しかったか。
ティルク、あまり寝てないのかもしれないな。)
やがて聞こえてきた二つの寝息を後に、俺はテントから出ると体を解して顔を洗って身だしなみを整えてから、朝食の準備を始める。
それを見て、結界を張って夜通し番をしてくれていたミッシュは、肉を取り出して置くとどこかへと消えていった。
主食となる最後のアグチを茹でて潰して団子状にして鍋に入れ、肉と草を入れて味を調えていると、リーラがバタバタとやってきて、1人に食事の準備をさせてご免なさい、と謝ってきた。
先に目が覚めただけだから気にしないように、と言って、リーラが追加の一皿を作ろうとするので任せていると、母様とティルクがテントから出てきた。
ティルクが俺たちに朝食を作らせたことに気が付いて愕然としているが、気にすることはないと言って身支度をさせ、ティルクと母様が来て配膳の準備をし始めると、リーラさんが声を掛ける。
「ティルクちゃん、ケイアナさんたちと一緒に寝たんだ。
いいなあ、私はいつもどおり、パーティの4人で寝ちゃったけど、私もそちらに加わりたいくらい。」
パーティを組んで行動をするのに、女だからと1人だけ別のテントにすると無防備になるし見張りなどが非効率で、最低限のプライバシーは尊重しつつ、同じテントで一緒に過ごすものらしい。
俺たちのテントはターフを使った急ごしらえで、3人で限界だろうというのがリーラも分かっている。テントを二つに分けましょうかと提案したがリーラが遠慮した。
「正直、昨日は疲れちゃって、4人とも泥のように寝てたの。別のテントに移っても、大きな荷物が転がっているようなもので、邪魔にしかならないわ。」
ああ、なるほど。それはご愁傷様です。
そんなことを話し合っていると、やがて男性3人が起きてきて、朝食が始まった。




