第68話 雌と雄
右足を引き突進してくるゲイルボアを最小限で躱す動きを開始すると同時に身体に火魔法を巡らせて大きく開いた指を振り抜く。
ゲイルボアは私から1メートル以上離れていたが頭部が炎に包まれ両目が抉られて転がった。
心が落ち着き動きが馴染むにつれて、私は元の体躯と認識する位置に属性魔法で以前と同様の効果のある攻撃ができることに気が付いて、そして何度も試して攻撃の属性が自由に変えられるだけでなく防御にも使えること、攻防を行う距離は意識によって調節できることが分かった。
まだ十分ではないけれど、それらを少しずつ自分の攻撃スタイルとして馴染ませることで、私の攻撃は以前と同じ鋭さと強さを徐々に取り戻しつつある。
ただフェンの方はどうしていいか分からないようで、ゲイルボアの暑い頭骨を素手で殴っては手を痛めてなす術がないようだった。
そんなフェンが重傷を負ったりしないよう、傍らのジュアナは息を荒げながらフェンへの攻撃の防御で手一杯の様子になっている。
(あそこまで庇護されて情けない、根性が足りないわね。)
ただよく見ているとジュアナの庇護が過剰で、その防御がフェンの邪魔にもなっている。フェンはそれに苛つきながらも自分のペースで戦おうとして、それがジュアナの保護でしばしば妨げられている。
(あらまあ、ジュアナは子離れを私の代わりにやってくれているのね。)
2人の関係に私は思わずくすりとした。
「フェン、落ち着いて。」
呼びかけに振り向いたフェンの目付きには諦めの色が灯っている。
「よく見て。」
私が新たに見つけた戦いをして見せるとフェンの顔に驚きが走った。
まだ万全にはほど遠いとはいえ、私が以前の体躯の大きさを基本とした攻撃を魔法で行いながら体術を使い分けているところを見せて、あとはフェンの工夫に任せる。
今は会話で意思疎通も出来るのだけれど、言葉で細かいことは伝わらない。やはりこういうことはもどかしい言葉に頼るよりも行動で示す方が早い。
フェンは私の戦い方を真似ながらゲイルボアに挑み、最初は失敗して何度も攻撃をもらっていたけれど食らっていたけれど、ジュアナが体勢も整わないまま飛び出して来るのを抱き留めて敢えてゲイルボアの攻撃受けて見せた。
「大丈夫だから。」
フェンがジュアナにそう言うと、フェンは自分の魔力を探し始める。
やがてフェンは徐々に魔法を使いこなし始めて戦うスタイルを変化させていく。
よし、やはり飲み込みが早い。以前からフェンは私以上の戦闘の才能があると思っていた。
ジュアナはフェンの変化に嬉しそうに顔を紅潮させると私に満面の笑みを見せた。
(可愛い娘。)
私は2人の組み合わせを面白く思いながら戦闘を続けた。
さて、一方の私はというと、シュザルグは相変わらず私が戦いやすいように魔獣を誘導している。
人間の表情はまだよく分かっていないけれど、こちらの安全を気遣いながら魔獣を誘導してくれてる最中にちらちらとこちらの胸や腰の辺りを彷徨っているのを感じるときがある。
(ああ、彼も私が雌だという意識から離れられないのね。)
そう気が付いてシュザルグを見つめると、シュザルグは顔を赤らめて魔獣へと視線を逸らす。
(私が雌だという意識は感じるけれど、フェンリルの発情期のように何が何でも雌の側に寄りたいという圧はない。)
それに発情期が過ぎると急に雌に関心がなくなって、育児はは雌に任せたままいなくなるフェンリルと違って、人間は一生連れ添おうとする番が多いらしい。
それに、とリルはシュザルグをちらりと見た。
シュザルグは妻に先立たれて新たな妻を迎えることもなく娘を1人で育ててきたそうだ。
(発情期が永続的なものになることで、一時期だけでない新しい関係が生まれているということなのかしら。)
その答えとして白蛇ヒスムの言葉が思い浮かんだ。
『魔獣は自分の強さに頼って個体として生きながらえるけれど、人間は誰かと連れ添って家族を作って力を合わせて生きる。
私たち魔獣は一定の強さを超えると覚醒して知能が上がり様々な力を得るわよね。
私は覚醒して長く独りで生きるうちにずっと考えて、身の振り方を決めたの。
私は孤独に生きて誰かの餌食となって死ぬのはいや。
覚醒した魔獣として得た力や寿命と引き換えにしても、私は連れ合いや家族と共に生きる生涯を選びたいの。』
一時的な人間への変身は獣人族の魔力で行えるが、人間であり続けることを選べば魔獣の魔法、魔力で魔獣から人間への変身が行えるようになる。ただその結果、魔獣として覚醒して得た寿命は人間並みになるとヒスムから聞いた。
(人間の生き方は確かに興味深い。
私はどうしようか。
それに── )
私は髪が禿げ上がり始めた中年男─シュザルグ─をちらりと見て、でもこの男を連れ合いとして選ぶ必要はないねと自問しながら、私は新たな選択肢をとりあえず心の片隅にしまい込んだ。
◇◆◇◆◇◆
ケイアナは王太后としての公務があり、毎回私たちの訓練に付き合ってくれるわけではない。
どうしても、というときはシュザルグとジュアナだけになるのだろうけれど、これまではケイアナの代わりに私たちを指導してくれる誰かが付いてくれている。
ただ、その誰かというのが国王ダイカルか王妃アスリーだというのがおかしいのは、人間の事情に疎い私でも何となく分かった。
アスリーはケイアナ同様、シューダの討伐に赴くための訓練の時間を作る口実に私たちを使っているらしいのだけれど、国王ダイカルは趣が違った。
セイラの呪い(本人談)によって、現在の最高戦力であるセイラの強さを維持するためには現状、自分が女の身体でいる必要があることを受け容れ、なおかつ自分もシューダとの戦いに参戦するために、慣れない女の身体に馴染もうとしているらしい。
慣れない体に馴染もうとしているという点では、言わば私たちと同じ立場だ。
2人の訓練をじっと見ていると、ケイアナが側に来て私を見る。
「何か? 」
「いい?
人間になったからって、息子を狙うんじゃないわよ。」
ケイアナの少し迫力の籠もった念押しを聞いて、私は思わず笑った。
「自分に尻尾を振っている雌をモノにし損なう未熟な雄に、興味なんかないわよ。」
「う……。」
ケイアナはしばらく黙り込んでいたけれど、やがてにんまりと笑った。
「息子への評価としては辛いところがあるけれど、確かにそうね。
ダイカルの腕が良ければ、今頃はセイラも側にいただろうに。」
少し意地の悪い視線をダイカルに向けるケイアナを見ながら、そうね、あまり若い雄は私の趣味ではないわね、と私は呟いた。
前2話で”王太后”の文字が違うのは、投稿時点で気が付いていましたが余裕がなくてそのままとなっています。それにルビも振ってないですね。
そのうちに直しますのでご容赦ください。




