第61話 とんぼ返りでトルキア領ジアックへ
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
翌朝、朝食を終えて私たちはガズルさん夫妻と共に鬼人族の集落から旅立つ準備をしていた。
ガズルさんたち二人は集落の幹部たちに自分たちがいない間の打ち合わせをしていて、もうすぐ会議を終えて出てくるはずだ。
私たちが来ることは、実はミッシュに4日前に連絡されていて、大急ぎで日程を空けたのが昨日で、だから私たちも”明後日に出発”なんてちょっと間の開いた通知を受けたわけだった。
鬼人族の集落と言っても、鬼人族は楽園に少なくとも500年前から定住していて、規模が100人単位の集落が百以上もある統括集落で事実上は鬼人国の首都に当たっている。
もちろん鬼人族の族長は国王に相当していて、国王と王妃に”ちょっと付き合え”って、ミッシュは相当無茶を言っている。
直接に恩がある元男神と現役女神に呼び出されたら、そりゃ国王だって逆らえないだろうけれどさ。
鬼人族が大きな集落を作ることを好まないためにこじんまりと見えるけれど、ガズルさんたちの住む集落だけは5,000人規模になることが避けられずに、ちょっとした街になっていた。
扉が開いて会議室から出てきた面々がみんな貫禄と風格があるように見えるのは、だから気のせいじゃないはずで、そんな人たちが私のことを魔人属の国王の后、つまり正式な国の代表とみて恭しく頭を下げて挨拶をしてくれるのを感じると厭な汗が滲んでくる。
(違うんです。私は魔王妃(仮)だからっ。)
心の中で弁明したけれど、隣で(元)神2柱が私たちと並んでいては絵面的に説得力が無いのは自分でも感じてしまっているから、もうここは諦めるしかない。
私と同じ魔王妃を持っている兄さんが触れ込みの額面どおりに私の兄の扱いを受けていて、理不尽に口を尖らせていると後から肩を両手で押さえてきたフェリアスさんにそっと慰められた。
「あなたたちの真実を公表するわけにはいかないんでしょう?
こればかりは仕方ないわ。」
王妃なのに気遣いのできる素敵な人だなあと感じて頷くと、さあもう出発よと励まされた。
私たちは集まった鬼人族の人たちに挨拶をしながら出発をして、私たちはまた空を飛ぼうとしたのだけれど、トルキア伯爵やフェリアスさん夫妻を置いてミッシュが私たちに合流してきた。
なんだろうと思っていたら、飛びながらミッシュが私たち3人を呼び寄せた。
「ここなら周囲10キロの範囲にほかの生き物はいないから、気兼ねなく話ができる。
これからのことを少し説明しよう。」
(え!? )
言われて周りを探って初めて気が付いた。確かに周囲には生き物の気配がない。きっと楽園を守るためにわざとそういう環境を作っているんだろうな。
「セイラたちへの魔法の指導は俺たちが直接できないんだ。
だからフェリアスたちに指導を頼んだんだよ。」
「え? だってミッシュは私に魔方陣を教えてくれたじゃない。」
ミッシュと契約するときに魔方陣を確かに教わったし、アスリーさんが開発したというミッシュに魔法を送る簡易魔方陣は毎日使っているけれど、それだけだった。
実のところ、使いどころがよく分からなくてそれ以外には使っていない。
「常識に属する基本的な知識なら問題は無いんだ。
ただ、それを発展させるとか応用するとかになると制約に引っかかる。」
(ああ、そういうこと。
でも、考えてみたら魔方陣を使っている人なんか、見たことがないけれど。)
「魔方陣の文字は意味が繋がっていればちゃんと動作するんだが、普及した時点で使われていた文字が滅んだ国の言葉でな、それを教会が神聖な言葉と思い込んで文字ごと技術を囲い込んで秘密にした。
そのために魔方陣を使い熟せる人間がほとんどいなくなっているんだ。
だが楽園の人間は外の世界での数百年に相当する時間を生きているから、魔方陣に書かれた言葉が使えるし魔方陣をどう使うかも知っている。
魔方陣が使えれば戦闘に厚みが出るから、習っておくと良いぞ。」
良いことを聞いたと思った後で、ふと気が付いた。
使徒の体を使っているせいで神格の高い女性が神聖と思われてる魔方陣なんかを使っていたら……
「見つかったら聖女認定は間違いないな。
教会からは隠れていろ。」
(無茶を言ってる! )
まだその覚悟はできてないけど、私だって一応結婚はしてみたいんですからね。
「それからシューダ討伐の作戦は、俺も詳しいことは知らん。
セルジュが中心になって獣人国や冒険者、魔物たちと協力しているアイザルたちを纏めている。」
「アイザルさん? 商人の?」
(何でアイザルさんの名前が魔物と一緒に出てくるんだろう。
しかもシューダ討伐戦の準備で。)
商人に似合いの柔和な笑みを浮かべるアイザルさんの姿が思い浮かぶ。
「……ティルクから聞いていないか?
アイザルはセイラを追いかけて修行をしながらアスモダに来て、魔王の力に目覚めた。」
「「は? 」」
兄さんと声が重なった。
(私が目覚める前に、兄さんが確かに一度求婚はされてたけど、商人が修行をして魔王……意味が解らないよ。)
側で黙って話を聞いていた兄さんと2人でティルクを見遣ると、ティルクが視線を逸らした。
「ごめんなさい。アイザルさんのこと、忘れてた。」
その視線の逸らし方と上ずった声。
ティルク、わざと話さなかったな。
「魔法の開発をしているうちに恐らくケイアナとアスリーがトルキア城を尋ねてくるから、シューダ討伐のことはそのときに聞けば良い。」
(母様。アスリーさんと来てくれるんだ! )
もうずいぶん会っていない母様の話題が出て嬉しくなった私に、ミッシュがにやりと笑って付け加える。
「もう1人、来客があるはずだ。」
◇◆◇◆
目の前で私の指示に従って野菜を切るのに悪戦苦闘しているメイド服の女性を見る。
野菜の下ごしらえの知識がまるで無くて包丁を持つのも初めてだから、ぎこちないことこの上ないのだけど、そのギクシャクとした動作を初めて着る女性の衣装が足を引っ張る。
スカートをうまく捌けなくて、捩れた襞がダマになってつっかえて、胸の下がよく見えなくてひっくり返したトレイの中身がスカートに降り注ぐ。
「ダイカル、やはり基本の動作の練習から始めましょうか。」
女性の作法は知っているし身のこなしには自信があると言うから省略しても良いかと思ったけれど、自分の体型や女性特有の服に慣れないとやっぱり身動きができないわ。
「しかし、母上。」
「ああ、女性の間は”母上”は禁止よ。
メイド役で通してもらうんだから、”王太后様”。
公的な場でなければアスリーと同じに”母様”でもいいわ。」
ダイカルが不満げな表情をする。
(ホント若い頃の私によく似ているわ。遠縁の子では通らないかもねえ。)
女の私に隠し子なんかできるわけはないのだけれど、血の濃さは一目瞭然だった。
「ダイカルと呼ぶわけにもいかないから、新しい名前が必要ね。
ダイ…アナ。そう呼ぶことにしようか。」
私とは似ても似つかない弟ジアールの娘ジュアナのことを思い出しながら、ジアールの娘の1人ということにしておこうと私は思った。
必要なら、ジアールの隠し子ということにしても良い。
「私はこの年になってセイラと王都を出てから、もう1つの人生の経験を得たような思いだったよ。
私は領主の娘、それから王妃として過ごしてきて、人が生活することの何も解ってはいなかった。
料理をどうやって作るのか知らなかったし、火に掛けた鍋が熱いことさえ解らなかったんだ。
毎度の食事の材料の心配をし、食事を作り、その日安心して眠るところが確保できるかを心配し算段をする。
お金を稼ぐこと、農家と商家が食べ物や物を融通する仕組みや意味なんかの一切を報告書で頭で知っているだけで、体験としては何にも分かっていなかった。
セイラと旅した一年間はね、私にとって代えがたい宝物だったよ。」
ダイカルが何を言い出したのかという表情で私を見る。
「わずかな期間だけど、あなたにも経験して欲しいの。
一般庶民の生き方とそこで必要とされるあれこれのことを。
あなたがこれからより良い王になるために、きっと何より得がたい経験と知識になるわ。」
私は、ダイカルに私の経験したことを教えてあげたかった。




