第58話 男には負けてはならない戦いがある
ガズルさんが刀の制作を工房の人たちと進める約束をしてくれた後で、コールズともう一回訓練をするうちに夕方となり、その日は食事をして部屋へと下がった。
すでに入浴も終え、私の部屋にはティルクと兄さんがいて、兄さんがティルクの側に座った瞬間に、ティルクはテーブルの物を取りながら腰を浮かせてさりげなく少し距離を置いて座り直し、兄さんは正面から注意して見ないと分からないほど微かな溜め息を漏らしている。
私は2人の様子には気付かないふりをして、朝方保留になった魔王妃のことを話題にした。
「ねえ、そろそろ良い時間でしょ。
魔王配が起動できるか試して見せて。」
気を取り直した兄さんが、そうだな、と頷いてステータス表の魔王配の表記の横のあるスイッチをオンにした。
◇◆◇◆
夕食後の団らんを終えて、リビングから自室へ下がろうと階段を上がっていたダイカルの方からガツンッという大きな音が響き、けたたましい叫び声とともにダイカルが転げ落ちてきた。
ダイカルは階段の蹴込みを思い切り蹴ってしまった足の指を抱え込んで転げ回っていたけれど、ダイカルの呻き声があり得ないほど甲高いのに私が気が付いたのと同時、ダイカルのローブを割って白い太股が目に飛び込んできた。
「何だっ? 急に階段の高さが変わったぞ! 」
ダイカルはそう声を上げるなり動きをぴたりと止めた。
私はダイカルに何が起こったかが閃いて、そっとダイカルの側に近寄って覗き込んでみる。
ダイカルの体はいつもより3回りほども小さくなってダボダボのローブに包まれていて、私は予想どおり、髪の色は違うけれど自分の若い頃によく似た娘が涙目のまま苦悶と驚愕の表情を貼り付けているのを発見した。
ダイカルは急に身長が縮んでサイズが合わなくなったためにローブが乱れてあられもない格好を晒していて、涙を湛えて不幸な表情を浮かべて横たわっていることと相俟って悲惨な感じになってしまっていることに私は思わず溜め息が漏れた。
「ダイカル。はしたないわよ。」
私が声を掛けると、寝転がっていたダイカルはそうっとローブ越しに覗く自分の胸元に視線を向けて、そこに見える豊かなものにごくりと唾を飲んだ。
「あいつの幽体が一度消えた時点で、私とは縁が切れていることを期待していたんだが、そうはならなかったんだな。」
それからのそりと体を起こし、ああ畜生、とか細い声で悪態を吐いてから絨毯の上で胡座を掻こうとして、年頃の乙女としてあんまりな絵面の自分の姿に気が付いて慌てて立ち上がり、佇まいを正そうと紐を解いてローブを開いたところへアスリーが駆け込んできた。
リビングで何かが起こったことに気付いて部屋へと駆け込んできたアスリーは、いきなり若い娘の裸体を真正面から目撃して目を点にして固まった。
娘が体の向きを変えて体をアスリーから隠し、大きなローブを一生懸命に引っ張ってサイズを合わせて着ようとする様をアスリーはしばらく見詰めていたけれど、ローブが誰の物かに気が付いて目の前にいるのが誰かようやく思い至ったらしい。
「我が君。」
アスリーに声を掛けられて、ダイカルは真っ赤な顔を背けた。
(あの子が還ってきたんだ! )
私はその光景に、口角が上がってゆくのを押さえることができなかった。
◇◆◇◆
兄さんの魔力が一息の間に膨らみ、現れたベージュの生地に黒の縁取りと赤いラインの入った男性用の装備が、色は違うけれどダイカルが式典のときに着ていた服と同じデザインなのを確認する。
兄さんが感じたとおりなら、今頃ダイカルは女の子になっているはずで、大騒ぎになっていなければ良いけれどと、私は心の中でダイカルに詫びた。
婚約者と公表されたせいでいろいろな目にも遭ったので、幾分かでも意趣返しをしたい気持ちはあるけれど、それはそれ。
ダイカルに迷惑をかけるのは本意じゃないのだけれど、シューダと戦うためには私たちも最低限の能力やできることは把握しておかなければならないので、今回は諦めてもらおう。
魔王配の力がどの程度のものか、せめて半日は時間をかけて確かめてみたいけど、それは今回私たちも諦めているわけだし。
でも、まずは兄さんの魔王配の能力と私も同時に魔王妃になれるのかだけでも確認しておかなくちゃいけない。
ステータス表の魔王妃の表記が灰色に変わっているのを見て予想したとおり、起動を試みても、兄さんが魔王配のままでは私は魔王妃にはなれなかった。
(まあ、私の名前が灰色になっているんだから、そうよね。
同時には無理でも、2人とも魔王妃・魔王配になれるんだから、贅沢は言えないか。)
そう思ったときに、兄さんの体が変化した。
◇◆◇◆
”真魔王配 セラム ガルテム”
アスリーがメイドに命じて持ってこさせたアスリーのローブを纏った後で、私はステータス表を記載された名前を睨んだ。
このセラムという名前は、セイラが男と女の人格に別れたときに男の人格が名乗り始めたものだと母上とアスリーから聞いた。
そして先日、彼の幽体は消えてしまったが夏には復活すると聞いて、私がいきなり女の姿になった原因に違いないセラムが当面はいないのだという安心と神の導きで復活する夏にはどうあってもセラムと話を付けねばならないと思っていた。
だが、セラムは夏を待たずに復活したのだ。
私は国王として公の立場にある。国王が公衆の面前でいきなり女に変化してしまったら、どんな混乱が巻き起こることか。
すぐにセラムと話をして何か対策を講じなければと、私はすぐにも彼と会う決意をしたのだが、問題はセラムがどこにいるか分からないことだ。
「セイラは愛血族の国ブラディアに向かったのを見た人がいるという報告があるわ。セイラと連絡を取ってみたら、何か分かるかもしれないよ。」
母上の提案をなるほどと聞きながらステータス表の”真魔王配”という称号を調べていると、称号の枠の右端の出っ張りに気が付いた。
指で引っ張ると簡単にスライドして、”真魔王配”の称号が”真魔王妃”の称号に変更されて元の姿に戻り、今度はアスリーの女物のローブが体に食い込んでくる。
(こんなに簡単に済むことなんだ? )
拍子抜けしながら、体に食い込んで指が入らなくなったローブの紐をアスリーに解いてもらっていると、私の体がまた一瞬で女へと戻り、急なバランスの変化に思わず体がよろけた。
アスリーがすぐ側で驚いた顔で私を包み込むように抱きしめて、それから顔を上げると私を安心させようと笑顔を向けてくる。
「ア、アスリー。私は、その…… 」
女の体の方が感情が表に出やすいらしい。
今や私より大柄になってしまったアスリーに包み込まれて鼻腔に満ちるアスリーの甘い匂いに真っ赤になっていると、アスリーに重なって表示されているステータス表からセラムの称号が真魔王配に戻っているのが見えた。
(またこいつのせいか! )
苛立ってアスリーを退かそうとする私の耳元でアスリーの囁き声が聞こえる。
「我が君、一時的なものです。何も心配はいりませんよ。」
あやすようなアスリーの言葉に私が抗議しようとするのを押しとどめて、慈しむような笑顔と視線でアスリーが私に提案をする。
「我が君、女同士ならば臥所をともにしても勇者の称号が消える心配はありませんわ。
どうでしょう、今晩は私と一緒にお休みになりませんか。」
アスリーの魅力的な提案に思わず私は頷きそうになったが、私より大きいアスリーと眠るところ──アスリーの腕の中で眠る自分──を想像して、なぜかぞくりと背中が泡立った。
すごく残念な気がしたが、本能の警告に従って感謝の言葉とともに断りを入れるのには思いのほか気力が必要だった。
それからしばらくして真魔王配の表示は灰色に戻り、私の姿も元に戻ったのだった。




