第45話 私、姉様とは違って王様の婚約者じゃな……いや、そもそも姉様だって婚約者じゃないんですっ!
ときは少し遡って──。
ガルテム国王ダイカルと面談をした翌日、アイザルさんは近くの森の中で待機していた大鷲エトンのピューラと念話で連絡を取り帰って行き、私は王都で自分の能力の手掛かりを探すことにしたのだけれど。
アスリーさんの王都への帰還は、それはもう大騒ぎだった。
結婚式の夜に魔族に幽体を掠われて行方不明になっていた花嫁が、それを探しに行った王太后様とともに戻ってくるという知らせは、ダイカル王自らの発表により全国民に周知されていたらしい。
ガルテム王国と獣人国アスモダが共同してシューバを討伐したこととその経緯はすでに公表されていて、国民はシューバに止めを刺した王妃候補セイラ姉様も一緒に戻ってくると期待していた。
しかし姉様は、討伐したよりもいっそう強大な敵シューダを討伐する準備のために現地に残って準備中であると発表されて、凱旋する一行に姉様という新たな英雄が同行していないことに国民たちは激しく落胆した、らしい。
らしい、というのは、そうでなければ考えられないような目に私が遭ったからだ。
姉様の代わりとして国民たちが注目したのは、王太后である母様とアスリーさんに同行していた私だった。
「ティルク様ー! 」
ダイカル王が用意した歓迎用の馬車に乗せられ、右側にアスリーさん、真ん中に母様が座り、左側に王族と並んで座らされた私が恐縮しながら母様の影に隠れようとしていたのだけれど、そんな私に向けて歓声が上がった。
はい?、と思ったけれど、せっかく声を掛けてくれたので、にっこりと微笑んで小さく手を振った。
そうしたら今度はその周り中からも声が上がり始めて、やがて母様とアスリーさんへの声援に交じって、大歓声が私に向けて飛び始めた。
「「「「「ティルク様ー! 」」」」」
浴びせるような大歓声に目を白黒させて、どうしようかと狼狽える私に、母様が念話を通してくる。
『ほら、観衆には笑顔で手を振るのよ。』
『だって、私、山出しの田舎娘ですよ!!
”様”付けなんかで呼ばれるの、おかしいし、それにこの声援は本当は全部姉様のものなのに! 』
私の命の恩人となった姉様の、あの戦いでの功績を全て私が横取りしているような罪悪感を感じながら言い募る私に、母様は観衆に手を振りながらちらりとこちらへ視線を向けた。
『セイラのことはみんな分かっていますよ。
ティルクだって、ちゃんと活躍したでしょう?
それから鬼人族のことは──
そうね、鬼人族は森で狩猟と採取でほぼ自給自足の生活をしていて、残念だけれど、粗野な種族とのイメージがあることは否定しないわ。
でも今のティルクの仕草は優雅で品がある上に、本人はピンクの髪がよく映える愛らしい美人だもの。
みんな、ティルクのことを敬愛すべき相手として受け容れているのよ。』
あり得ない母様の言葉に私が顔を赤くしていると、くすり、と笑い声が頭に響いて、それから付け加えられた。
『セイラのこともあるし、ひょっとしたらティルクも王妃候補の1人なのかもと、みんな思っているんじゃない?
もしそれが実現したときに、ダイカルは女癖が悪い王様という評判が付きそうなのは問題だけれどね。』
『母様、私は姉様一筋なんだから、それは困ります! 』
私の言い分なんか聞き流した母様に、ほら、と促されて、私は表面は笑顔を保って観衆へと手を振りながら、もし姉様が誤解したらどうしよう、私は姉様一筋、信頼してもらえているよね、とそんなことをぐるぐると考えながら王都へと入った。
それからの5日間は翌日の謁見に始まって、あちこちの会合に母様やアスリーさんとともに引っ張り出されては笑顔で挨拶をして、3食ごとにパーティに参加して、夕食は決まって宴席だった。
宴席では毎回10人ほどからダンスのお相手を申し込まれたのだけれど、私は母様と相談をして左手の薬指に赤い指輪をして、最初の日に一度だけダイカル王と踊った後はすべてお断りをした。
赤い指輪というのは、姉様がこの世界に来てすぐに体が爆散したのを蘇生してくれた国宝の指輪のレプリカで、姉様も同じレプリカの指輪を持っているのを見せてもらったことがある。
姉様のいた世界では左の薬指に指輪をするのは婚約している証だと聞いたことがあったので、複数あった国宝のレプリカのひとつを母様からお借りしたのだ。
「この世界には左の薬指に指輪をすることに重要な意味はないから、ティルクの想いは誰にも伝わらないだろうね。
でも、その指輪は国宝のレプリカだ。
王家に何か考えがある、そのことが宴席に出席した貴族たちに伝わるだけで取り敢えずは充分だろうよ。」
母様の言葉の裏には、私がダイカル王に嫁ぐ可能性を貴族たちが取り沙汰することもきっと含まれている。
でも、私はそんなことは気にしない。
私は姉様──というか姉様の男性の人格であるセラム──と、絶対に結ばれるんだから。
そんな決意を胸に過ごした5日間は、これらの行事への参加と次の会場への移動と着替えの時間でほとんど全てが塗りつぶされた。
◇◆◇◆
「ティルク、ご先祖様のことを全然知らないのなら、司書に連絡をしておくから、まずは図書館で魔王フェリアスの伝説の類いを調べてみると良いわ。
その間に王城の役人に話をして古書から関係をありそうな文献を当たらせておいてあげる。」
6日目になって、母様にようやくそう言われて、私は毎日王家からお城の傍にある図書館へと通うことを許された。
この5日間で私の顔はすっかり王都では有名になってしまったので、そのまま出掛けて行ったらすぐに大勢に取り囲まれてしまうだろう。
なので母様が私に変身魔法を掛けてくれて、私は黄色い髪から白い猫耳が生えて、虹彩が大きい猫のような目の獣人寄りの姿になった。
魔人族は角が2本生えた人が多いけれど、各種族の混血種族なのでほかの種族の特徴が強く出る人もけっこう多い。
もっとも私自身、先祖に魔人族の血が入っているから、正確には鬼人族寄りの魔人族なんだけれど。
母様が変えてくれた以外の部分は元の姿形のままなのだけれど、これだけ身体的な特徴が変わると、誰も私があのティルクだとは気が付かない。
護衛の人は一応こっそりと付いているようだけれど、これで私は自由に町を歩けるようになった。
気分転換に少しだけ町の散策もしたけれど、毎日朝から図書館に籠もって3日間、私は大した成果を上げることができずにいた。
図書館で参考になりそうなものはほぼ8割方は漁り尽くしたと感じていて、今日帰って母様に王家の古書の調査がどんな具合かを確認してみて、明日、図書館の残りの書架を漁って何も出てこなければ、王家の古書を当たろうか──
そんなことを考えながら王家の近くまで帰ってきたら、うろうろと行きつ戻りつしている女の人がよく知っている人なのに気が付いた。
「お母さん! 」
お母さんは最初、きょとんと私を見ていたけれど、お母さんどうしたの、と言う私の声に気が付いて、じっと私を凝視していたと思ったら、不意に笑い出した。
「きゃはははっ。ティルク、その格好っ。
うふふふっ、いや、似合ってるけど、あはははっ…… 」
お母さんは発作的な笑いが止まらないみたいで、お腹を抱えてだんだんと体を折り曲げて、やがて両手を地面につきながらしゃがみ込んで、息が詰まって顔色が変わりそうなくらいまでひいひいと笑った後で、心配になってお母さんの横にしゃがんだ私に抱き付いてきた。
「元気そうで、良かった。」
そう呟いて、静かに泣き出したお母さんを抱き抱えながら、うん、と私も呟き返した。
顔を上げて私を見て、笑顔を作ろうとしながらまた泣き始めるお母さんに、私は何かお母さんの慰めになることを言わなくちゃ、と口を開いたら、その言葉が不意に飛び出した。
「お母さん。私ね、好きな人ができたの。」
しまった、と思ったときにはお母さんは目に涙を溜めたまま私に視線を向けていて、それは王様のことかい、と聞いてきた。
(なんで王様? 私、まだ数日しか会ってないよ。)
そう戸惑いながら私は首を横に振り、姉様のことをどう伝えようかと考え込んでいると、お母さんは私の様子を涙の止まった目で凝視していた。
「ねえ、ティルク、正直に答えて。
相手は男の人だった? それとも女の人だった? 」
(え? )
動揺する私の姿を見て、お母さんは唇を噛んだ。




