第38話 ダンス ウィズ ウルフ(狼さんと踊る)
トルキア伯爵は近くでこそ肌の張りや消えた皺などで若返ったことが分かるけれど、たぶん遠目にはそんなに違って見えないだろう。
でも最初に会ったときよりは4,5歳は年上に見える。
このわずかな差で何か違うんだろうかと私は困惑した。
(ええっと、確か伯爵が何か言っていたよね。
”年齢を高くして愛血族の特徴を薄めて体質を人間に近づける”、そして”血の衝動を抑えて人間に近づけると、興味の対象が食い気から色気に変わる”だったっけ。
えっ、ひょっとして伯爵が頬を赤くして顔を背けているのは、私の血が臭いのではなくて…… )
伯爵の様子がおかしい原因に思い当たって、異世界に来る前の自分の知識を必死で検索して男の子の知識を仕入れる。
だってぼんやりとは分かっていても、これまでは詳しいことなんか知りたくもなかったし。
思わず伯爵の下半身に視線をやったけれど、それと分かる変化はない。
(大丈夫、なのかな。
あのエロ爺、若いほうの自分に何をさせたいんだか。)
何かあれば恥をかくのは自分なんだから、目的もなくこんなことしないと思うんだけど。
周りを見回しても、何か事情が分かる手掛かりになりそうな感じの人は……あ、あそこに心配そうにこっちを見ている女性がいるけど、代わりに踊ってくれるわけもないし、どうしようもないか。
(で、過剰な刺激はヤバいんだよね。
それなのに体を寄せてダンスをするの? 大丈夫? )
私の手を取ったまま伯爵が固まっているのは、何か理由を考えてダンスを取り止めようとしてくれているんじゃないかな、と私は期待した。
何しろ内輪のパーティなんだし、どうとでもできるんじゃ。
だけど伯爵は差し出した手に乗せられた私の手を引き寄せながら周囲に向けて笑顔を取り繕った。
(ダンス、やるのかー。
まさかこの人、ダンスを止めたら弱みを見せるとか思って、意固地になっているんじゃないよね。)
伯爵は私の手を掲げ持つと私の背中に手を回して背筋を伸ば……そうとして頭を下げて私の耳元で呟いた。
「すまない。大丈夫だと思ったんだが思ったよりキツい。」
(伯爵。逃げられなくなってからそれを言いますか! しかも乙女に! )
思わず逃げようかと思ったけれど、満座の中でそれは考えたくない。
「サポートしますので、できるだけ負担にならないように動いてください。」
私もぼしょりと囁いた。
微かに頷いた伯爵がことさらにすっと背筋を伸ばしたのは、私との距離を少しでも遠ざけるため?
ならばと私もすっと背を伸ばす。
いずれにしても伯爵がやる意思を示しちゃった以上、私としてはダンスに付き合うしかないんだから。
曲が始まって、笑顔で伯爵に視線を合わせて、伯爵のリードに従って1歩、2歩と左右に揺れながら後方に下がり、今度は1歩、2歩と前に出る。
次に下がろうとしたら伯爵が出てこずにそのまま1歩、2歩と下がっていく。
(わーっ、たったったったっ。)
慌ててつま先でつんのめっているのを周りに悟られないように右右でつつっ、また左左でつつっと小刻みに伯爵から離れないように前に出る。
この人、何を考えているの、と伯爵の目を覗き込むと笑顔が強ばっていて目の焦点がこちらを向いていない。
(え? どういうこと? )
伯爵との距離が縮まったタイミングで伯爵の耳に口を寄せて、伯爵?、と囁いたら微かに首振りの返事が返ってきた。
(え? もう拙いの? )
仰天している間もなく伯爵が足を斜めに出して前へと出ながら体を大きく開いて体を捻る。
当然私も斜めになって、普通ならば倒れる角度まできてそのまま横倒しになるところを、繋いだ手を離して伯爵の腰に両手を添えて転換方向にぶん投げられ気味についていって、手を元の位置に戻しながら左脚を大きく引いて堪えたけれど、間髪を入れず伯爵に反対側へと体を開かれた。
後ろに延びた左足の外側に力を掛けられては、私はもう体が残らない。
ままよ、と再び伯爵の腰に手を遣り振り回されて、もうヤケで宙に浮いているのが見えるだろうほうの足先をピンと伸ばし、素早く両脚を戻して着地して元のポーズに戻す。
バタバタに見えて当然、それでも派手なところでポーズさえ決まっていればサマになって見えるんじゃないかと、伯爵の流れるような無茶に反射神経で対応しながら背筋を伸ばし型に沿ったポーズだけは付けるように必死で足掻く。
だんだんと分かってきた。
伯爵、腰を引き気味にするために大きく動いて股間を突き出す仕草を最大限に減らして、私との距離が離れた瞬間を狙って呼吸をして、あとは息を止めて踊っている。
私と視線が合わないのは、こちらを見ている余裕がないのだろう。
(私はサキュバスかなんかかっ。)
盛大に傷ついて、文句はあとできっちり言ってやると思いながらも、今は観衆も多いことだしとぐっと堪える。
そして、派手なシーンだけが目立っては間が開くので、ステップの間にフェイクの足運びや動作を入れてダンスに複雑さを加味していった。
手を引いて離れ、2人の手が切れそうな瞬間に伯爵の手の内側に沿って回転して戻り、伯爵の腰に手を当てて基本の型に戻ってしまったのは成り行きだったけれど、微かに触れ合ったお腹に何かが当たる。
(ぎゃーっ! )
その正体の見当が付いて、かつては自分も持っていたはずだけどそんなこと関係なしの大事件に引き攣る。
何か体を離す方法を、と伯爵の腰に回していた手を離してクルクルと回って離れたところで繋いでいた手を持ち上げ、クルクルと戻ると伯爵と反対側を向いて、右の腰を伯爵の右の腰と密着させた。
対面して体を密着することから逃れられた伯爵が、ほっと息を吐いたなり私の腰に手を回してステップを踏んで進んでいくのを私も伯爵の腰に手を回して踊り、お互いに腰から手を離して繋いでお互いにクルクルと回って距離を離す。
ようやくダンスが終わったとき、熱烈な拍手が沸き起こった。
わーっという歓声と拍手の中、2人で手を繋いでもう一度会釈をする。
伯爵を刺激する事態を避けるためにお互いが即興で続けたダンスが、相当に前衛的な何かに見えたのだろう。
それでは皆さん、と伯爵が声を掛けるなり、どっと人が集まってきた。
集まってくる人たちを私に任せてそっと場を離れる伯爵。
このままここにいるのはちょっと辛いのかも、と視線で伯爵を追ったら、伯爵はダンスの初めにオロオロしていた女性の手を掴んで会場から2人で出て行った。
(え? 伯爵? )
2人の出て行った先をぽかんと見ていたら、側に来ていたスケイルさんがやれやれという顔で溜め息を吐いた。
「ああ、あとで伯爵の御大の方から説明があるでしょう。ありがとうございました。」
(はい? 私、何かした? )
周囲に大勢の人がある中では詳しい話を聞くこともできず、ほかの人がダンスを始める中、新たなダンスの誘いは疲れましたので、とやんわりとお断りして、その日のパーティは会場の端のテーブルで座って過ごした。
「嬢ちゃん、すまなんだな。」
少し若めな年寄りの方の伯爵がパーティを締めに現れ、そのあとで私は伯爵から説明を聞いた。
「いやあ、上手くいった。
若い方の儂は同じ人間でどうしてかと思うくらいの堅物でな。
何かと理由を付けてもう30年も婚約者を待たせたまま結婚へ踏み出そうとせん。
嬢ちゃんが来て儂が呼び出されて、これは良い機会だとあやつを追い込んでおったんじゃ。」
カッカッカッと笑うお爺さん。
聞けば私に触りまくっていたのも、若い方の伯爵に欲求不満を溜め込むためだったらしい。
溜めに溜めた欲求の最後の止めにダンスで最大の効果が出る年齢にお爺さんが固定して、我慢できなくさせた、と。
(……それ、理屈はともかく、乙女に対してやっておいて、説明することですかっ! )
怒りが全身を駆け巡る。
「伯爵! 」
うん?、とこちらを向いた伯爵に渾身の気合いを込めてビンタを張る。
ビシャーン!!、と派手な音が響いて、私のビンタは見事に直感を発動して伯爵を3メートルほども吹き飛ばした。
私を怒らせたら、怖いんだからね。ふんっ!
この話……ともかく書き切りました。
このあとですが、所用で10日くらい更新できないかもしれません。
ご了承ください。




