第34話 鼻つまみ者って、私のことですか。暴れるのが良いか、泣き崩れるのが良いか、さあ、どっち
私たちに詫びてきた口髭の男は、自分をトルキア伯爵と名乗った。
何でも500年を超えて生きているらしい。
へえ、と感心したのだけれど、そのあとに続いたトルキア伯爵の言葉にがっくりときた。。
「誠に申し訳ないが、あなたの血の香りが濃すぎて我々は誘惑に堪えきれぬ。
御身の周りに結界を張ってもらえないだろうか。」
また臭うと言われたショックに眉がピクピクと引き攣りながらも体の周りに結界を張ると、愛血族の人たちからほっと安堵の息が漏れた。
それから詳しく教えてくれたところによると、使徒の血は濃厚な匂いがして、使徒に神か神の作った神使が宿っていれば単に良い匂いなのだけれど、人間が使徒に宿ると捕食対象として最高に良い匂いがしているらしい。
つまり私は我慢できないほど美味しそうな食糧に見えている、と。
「大丈夫です。
使徒の血を啜れば神罰が下ることはよく承知していますから、我々も死にたくはありませんので、皆様が我が領地をご訪問なさっている間は間違いがないように護衛を付けて、護衛には何とか耐えさせてみせます。」
(それは大丈夫じゃなくて、お互いに危険なだけなんじゃ…… )
不安を残しながらも、トルキア伯爵の自己紹介から後が途絶えていたこちら側の自己紹介を再開することにする。
「女神リーアから、こちらに伺えば魔法使いや剣士などの直感について教えて頂けると聞いて参りました。
私はセイラ、訳あって未婚のままガルテム王国の魔王妃の称号をいただいています。
こちらがコールズ、アトルガイア王国の2代前の勇者で、その隣がその恋人のウィーナ。
それから、…… 」
私が紹介していく中で注目を浴びたのは、やはり私とコールズさん、次いでジューダ君だった。
「ふうーむ。セイラ様が、その、乙女であられるのは我々には隠しようのない事実だが、それなのに魔王妃の称号をお持ちとは誠に不思議なこともあるものだ。」
(隠しようがないんですかっ。)
思わず心の中で突っ込んだ。
「それからコールズ殿。魔王妃と共に行動しておられることで貴殿の申状は真正と信じます。
それに、ジューダ殿。その年ですでに直感を得ておられるな? 」
うん、と頷くジューダ君に、伯爵以外の愛血族の人たちが驚いている。
「そうか、10万分の1の確率を潜り抜けたか。」
「あの、10万分の1の確率ってどういうことですか。」
急に途方もない数字が出て思わず聞き返した。
「昔は直感を得る者は100人に1人だったそうだが、人が神に昇華する事件があってな。
この事態を重く見た神が神格上昇の各過程に進むことのできる確率をさらに1000倍、厳しく改めたのだそうだよ。
以来、剣士や魔法使いなどで直感を得た者はほとんどいなくなってしまった。」
(……ミッシュ、あんたが犯人かっ。)
トルキア伯爵の説明に出てくる神が誰かに気が付いて、思わず心の中で悪態を吐いた途端、女神リーアから念話があった。
『私が原因の神で、実行したのはミッシュね。
ごめんなさいね、ミッシュもその変更のせいで神格を捨てるのに苦労しているのだけれど、当時のミッシュ、ガシュミルドのほうが今の私より神格が高いから、私にはどうすることもできないの。
ただ、直感を得る方法は愛血族が知っていますよ。』
(方法を聞いても、直感が得られる確率が10万分の1じゃあねえ…… )
絶望的な気分になりながら、私はそれでも伯爵に訊いてみた。
「あの、女神リーアから愛血族なら直感を得る方法をご存じと聞いたのですが。」
私が尋ねると、伯爵は目に見えて動揺して考え込み始めて、やがて私と周囲のみんなへと視線を向けてきた。
「直感を得るための訓練を付けて差し上げることはできます。
ただ、その過程で、特にセイラ様には不愉快な思いをさせることがあると思いますが、ご容赦いただけますか? 」
(なぜ、私だけに? )
疑問に思ったけれど、訓練を付けてくれる上での不愉快なことなんて、どうと言うこともない。私は頷いた。
伯爵は諦めが付いたような不思議な笑いを浮かべた。
「この道を、そうですな、3日ほど北に進むと私の領内に入ります。
領地の入口に迎えの者を差し向けます故、領地境の東屋にてお待ちいただきたい。」
それから、キザったらしいほどの流れるような見事な礼をしてみせると、すうと薄れて消えてしまった。
私たちは顔を見合わせて、それぞれが今経験した不思議な戦闘の内容を話し合いながら昼食の後片付けをして、彼らが見せた技術がどの様なものなのかを探ろうとした。
◇◆◇◆
3日後、私たちは愛血族の国ブラディアのトルキア領入口に設けられた東屋、というか関所の来賓室でお茶菓子をいただいていた。
やっぱり私に対する接触は最低限で、側によると悪臭に耐えられないみたいに脂汗を流しながら顔を顰めて、用事が終わったら飛ぶ勢いで逃げていく。
(言っても仕方ないけれど、あー、傷つく。)
走り去るときには、みんな鼻を抓んでるのがちらりと見えているんだもん。
もうね、セクハラで訴えてやろうかと思うくらいに傷つきました。
「よぉよぉ、待たせたの。」
(誰、このおじいさん。)
現れたのは私より少し背が高いくらいの痩せたおじいさんで、なぜか伯爵と同じデザインの服を着ていた。
(伯爵のお父さんだろうか。)
「あー、やっぱり分からんか。
儂だ、トルキア伯爵。」
「はい? 」
「いやな、嬢ちゃんの血の匂いに負けない対策じゃ。
愛血族の特徴を薄めて体質を人間に近づければ、血の誘惑に対抗できるんじゃが、そうするとこれこのとおり、老けるのでな。」
「ああ、それは大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
すごい迷惑を掛けてた。
「何、気にすることはない。
力は落ちても必要となればすぐに元に戻せるからの。
魔族の侵略の話とアトルガイア王国の動向はガルテム王国から聞いておる。
先日もホルターの町に放った兵士から人族と魔族が何かしておると聞いて、嬢ちゃんたちの元へ駆け付けたところだったんじゃ。
嬢ちゃんたちの直感の訓練を付けることで女神リーアの役に立てるなら、きっとこうした事態の解決に協力していることになるんじゃろう。」
姿だけでなく話し方まで老けてしまっていることが気になったのだけれど、私の心は伯爵に読まれていたらしい。
「この姿になると、体も少しばかり作りが緩んでくるのか、この話し方の方が楽なんじゃよ。」
そう言って、カッカッカッカッと笑う様は、何だか再放送でよく見た時代劇のおじいさんのようだ。
「それで、儂と年の近い兵士を2人ほど選んであって、嬢ちゃんたちの訓練をしようと思う。」
「はい。大変ありがたいのですけれど、この間、直感が得られる確率は10万分の1と仰っておられましたよね。」
だから、やっても直感が得られる可能性はほとんどない。そのことがずうっと気になっていた。
だが伯爵はにやりと笑って、私の腰をポンポンと叩いた。
「そう、訓練をして、直感が得られる確率は10万分の1に変更された。
ただ、この変更には穴がある。
以前は100人に1人の制約だったのが、今は10万回に1回に変わっている。
この差が分かるかな。」
「……直感を得るための訓練をひたすら繰り返せば、誰もが直感を得られる可能性があるってことですか。」
伯爵は頷きながら、また呵々と笑った。




