第32話 独り寝が肌淋しいと思うのは、ティルクに飼い慣らされてしまっているんでしょうか
この1年、この世界のご飯を、主に自分が作って食べてきた。
麦が手に入ってパンが食べられだしたのはテルガに着いてからで、それ以前はアグチなんかの木の実が主食で、挽いて粉にすると色々と使えるらしいけれど、旅の途中で現地調達しながら食べるには粗く磨り潰して焼いてせんべいのようにして食べるしか思いつかなかった。
それが今、目の前にお米のご飯がある。
食堂でお皿に盛って食べている人が目に入って、思わず店員を呼んで、「あれ、あれは何? あれが食べたいっ。」と大騒ぎして出してもらった。
(この世界、米があったんだ。)
感動して皿に盛られたご飯を掬って口に入れる。
ちょっと甘味は少ないような気はするけれど、香りが高くてちゃんとご飯だった。
なんでも愛血族の国をはじめ数カ国で作られているらしいけれど、水を恐ろしく消費するために栽培可能な地域と作付け量に限界があって、流通量が多くないとのことだった。
それに米は野菜や肉と一緒に煮込む食べ方が主流で、目の前にあるように米を炊く食べ方はアンパーからこの辺りにかけての独特な食べ方なんだとか。
味噌や醤油がないか聞いてみたけれど知らないそうで、ちょっと残念。
元の世界ではお母さんに作ってもらったものを食べるだけの男子高校生だったから知識もなくて、自分で再現することなんかまず不可能だし。
米を売っているところを聞き出して可能な限り溜め込もうとしたのだけれど、調理方法を知っていますかと店の人に聞かれて、炊くとしか知らないことに気が付いて、道具と炊き方を教えてもらえないか尋ねたら断られた。
「商売人は自分の技術の秘密を軽々に明かしたりしないものです。」
ごもっともな話なのでしゅんと項垂れていると、購入時に食品店で聞きなさい、と溜め息とともにアドバイスしてくれた。
「キャセラちゃん、どのみちアンパーに行くんだから、向こうで教えてもらったら? 」
ウィーナさんの言うことはもっともなので、アンパーまで我慢することにしたけれど、ご飯をまた食べたいという欲求はもう抑えられない。
店の人におにぎりを頼もうとしたら存在を知らなかったので、追加したご飯で味の強そうな焼いた肉や野菜を入れていくつか作ってみた。
サラダに薄い幅広の葉物があったので、それを何枚かおにぎりに貼り付けようとしていたら、店の人が調理前の葉を1枚持ってきてくれて、それをドレッシングに浸して海苔の代わりに巻いてみる。
いくつか作ったものを試食してもらったら、店の人も気に入ったようで、少し工夫して携帯食として店で商売に使いたいという申し出があった。
ご自由にどうぞと言ったら店の人がたいそう喜んで、お礼として米の炊き方を道具付きで教えてくれた上に、明日の出発のときに4つずつをセットにしたおにぎりを人数分サービスで用意してくれることになった。
「お客様は舌が肥えていらっしゃるようですからお教えしておきますが、この米はうちの食堂用に仕入れている物です。
お金は掛かりますが、もっと美味しい物もありますよ。」
日本で言う等級みたいな区分があるらしい。ということは、日本で食べていたような甘いご飯を食べられる可能性もあるわけで、これは良いことを聞いた。
美味しいご飯が食べられる。
ただそのことが、すごく嬉しい。
ほかのみんなのご飯に対する感想は、正直微妙な反応の人もいたのだけれど、おにぎりは割と好評だったので、お店がおにぎりを明日のお弁当として持たせてくれる話は、みんな結構嬉しかったようだ。
宿の部屋割りはコールズさんとウィーナさん、ソバット君とジューダ君、私とユルア、残りの3人。
私は上機嫌で宿で盥に水をもらって部屋に入り、魔法で体を清めてから水に握りこぶしくらいの石を入れ、火魔法で石を熱してお湯にして、体を拭く。
もう魔法で浄化しているから、体を拭くのは気分の問題なんだけど、お湯を含んだ布を体に当てていると、じんわりとその部分の筋肉が解れる気がする。
「ねえ。食堂の米というの、すごく嬉しそうだったけれど、いったい何だったの。」
寛いでいるとユルアが聞いてきたので、元の世界で主食として食べていたことを教えて、ご飯に似合う料理を作るための調味料があるのだけれどまだ見つかっていないと言うと、へえ、とちょっと興味が湧いたようだった。
◇◆◇◆
人心地ついて消灯してそれぞれのベッドに入ると、今日は何だか人肌が恋しい。
一日の旅を終えて寝床に入ると、いつも当然のように側にあった温もりがないせいだと気が付いた。
(ティルク、どうしているかな。)
私が自分に絶望して自暴自棄になっているのを怒ったティルクに頬を叩かれて以来、ティルクとは話をしていないし一緒に寝ることもなかった。
ティルクが私を許してくれるかの心配はしていない。
きちんと謝ればきっとティルクは許してくれる、そんな信頼がある。
(ティルクは私とセラムをあまり区別していない感じなのが不思議だよね。)
もし私がティルクにキスをしたとしたら、ティルクはセラムに対するのと同じ反応を私に返してきそうな気がする。
(でも、私は…… )
そこで考えが止まった。
私は、何?
元々が男だから、セラムが女性を求めるのは分かる。
なら、私は誰を求めるの?
セラムとの比較で、私が女性に向ける関心や気持ちがセラムと全然違っているのはよく理解しているし、男性を恋愛対象として意識するか正直に答えるならばイエスだ。
そのことはマイナたちが気付いてるくらいだから、母様やティルクは当然気が付いているだろう。
だからティルクは私に対して踏み込んでこない。
ゲイズさんとのことがあって、他人の体を借りているのに、衝動に任せて恋愛に走るのが女性としてすごく拙いのが身に染みた。
使徒の体を借りている今は、仲を深めれば相手を死なせてしまう可能性があるのだからなおさらだ。
私に関わる大事な人を破滅させたくないなら、今の私には恋愛をすることが許されない。
一方でセラムが使うミッシュの使徒には性行為で穢れるという設定がなさそうなだけでなく、子どもを作ることさえ可能な節がある。
ティルクがセラムに子どもを作ろうって迫っても、ミッシュからの制止はなかったし。
(なんか不公平。)
ぷくりと頬を膨らませて、枕をずりずりと引っ張って抱える。
ベッドをペアで使うことも想定されているのだろうか、ゆったり目のベッドの幅いっぱいの長さがあるやや角張った枕は、革張りの上から布のカバーが掛けてあって、大きめでわりと重量がある。
それを引き摺り下ろして縦にして体を押しつけると何だか安定する。
枕に頭を載せて頬摺りをするように擦りつけて枕の形を安定させ、左腕を枕に回してなおも頭の安定する場所を探していて、何か連想させるシーンを知っていると気が付いた。
少し考えて、地球にいた頃にテレビや映画で見たことのある、情事のあとの女性が気怠げに男性の胸に頭を擦り付けながら預け、抱き付いて寝るシーンが思い浮かんで、自分の今の姿勢とオーバーラップする。
(きゃーっ、これダメっ。)
慌てて枕から手を離して元の位置に引っ張り上げようとしていてユルアに叱られた。
「セイラ、ごそごそうるさい。」
だって、引き下ろすのは割と簡単だったのに、押し上げようとすると摩擦でなかなか枕が動かなくて、起き上がって枕を元に戻そうとしたら、どうしても枕がシーツと擦れる音や毛布のばさばさという音が漏れるんだもの。
「ごめーん。」
ユルアに謝って、枕を直してぽてりと頭を載せる。
(ティルク、帰ったらまた一緒に寝ようね。)
心の中でそうティルクに呼びかけながら、私は眠りに就いた。




