第4話 私の結婚の理想が常識の範囲に収まるには、難関が多すぎる件
不意に右脇に白いシューバが現れて、敵の間合いから逃れようと私は必死に後ろに飛ぶ。
でも躱しきれなくて、いきなり景色がクルクルと回り始めて、流れる視界の端に戦っている姉様の姿がちらり、その後に首から血を噴出している私の体がちらりと目に入って、私は何が起きたかを悟った。
(……足りなかった。)
そう考えた私の耳に、姉様が私の名前を叫ぶ声が聞こえて、それから覚悟した地面に叩き付けられる衝撃を受けることもなく私は姉様の腕に抱えられた。
凜々しい姉様の顔がくしゃくしゃに歪むのが真正面に見えて、戦いの最中のこんな時なのに、姉様が私を全てに優先してくれている気持ちがすごく嬉しくて、心が震えた。
(姉様の顔が最期に見られて嬉しい。
でも、戦いの最中にこんなことをしては駄目。
姉様、戦って。)
湧き上がる思いの全てを込めて、声は出なかったけれど口を動かして、姉様に別れを告げようとする。
「姉様、さようなら。」
言葉の途中から意識が濁ってきて、ああ、お別れを最後まで言わなくちゃ……
◇◆◇◆
目が覚めて、私はまた涙を流しながら唇を噛み締める。
私が人生で一番幸せを感じて、それと引き換えに姉様の戦う意思を砕いて、代わって戦ったセラムを消滅させる原因になってしまった、私の罪の一部始終。
姉様はセラムを消滅覚悟の戦いに追いやった責任に押し潰されて、別人のようになってしまった。
自分を捨ててセラムを呼び戻すから許してと私に真顔で訴える姉様が悔しくて思わず頬を叩いてしまったけれど、本当は私が土下座をして、敵との戦いに命を捧げることを誓って姉様に許しを請わなければいけなかった。
激しい後悔と共にそのことに気が付いて、姉様に謝る機会を窺っているうちに先に母様から呼び出しを受けて、私は姉様への謝罪をする機会を失うことになる。
「セイラはコールズとの戦いを放棄したことで自信を失って、自分で判断ができなくなっているわ。
あんな有様では今後の厳しい戦いを戦い抜けない。
しばらく1人で放り出して考えを改めさせようと思うのだけれど、同意してくれないかしら。」
母様の目を覗き込んで、いつもに増して母様の強い意志を感じた私がどう言おうかと考えていると、母様が重ねて念を押してくる。
「ティルク、あなたが思い詰めている内容は察しているつもりだけれど、今のセイラには甘やかすことにしかならないよ。
何も言わずにセイラを送り出してやっておくれ。」
これは意見を言っても反対しても止まらないと考えた私は、仕方なく同意して、心の中では母様には逆らうことになるけれど、姉様が出発したらすぐにでも追いかけるつもりだった。
でも私の心は母様に読まれていて、母様は昼食が終わるとすぐに姉様に出て行くように言い渡して送り出すと、その足で急いで荷物をまとめようとしていた私のところに来て、私に話し始めた。
「セイラはこのまま行かせる。
ティルク、あなたには別にやるべきことがある。付いていくことは許さないよ。」
母様に食ってかかろうとした私に、母様が念話で話し掛けてくる。
『すまないね。
セイラが自信を取り戻して自立するために送り出すんだ。
甘えが入る余地を与えないために、ティルクにも突き放した態度のままで送り出してもらいたかったんだよ。
いいかい?
セラムは夏には復活する。そのときまでにセイラの心身をもう一度鍛え直す必要があるの。』
(セラムが、復活する?
一心同体の姉様がセラムは消えてしまったと感じているのに? )
母様の言葉が信じられなくて目見張る私に、母様は頷いて言葉を繰り返した。
『そう、セラムは復活する。ミッシュがセラムの意識の結晶をセイラに内緒で取り分けていて、夏までに元の状態にまで戻るよう回復させてくれている。
今の自信を失ったセイラがそれを知ったら、きっとあの子は自分を投げ出して、セラムが男の体に移ることだけを目標にするようになるだろう。
それはあの子に一番してはいけないことだよ。』
(セラムが戻ってくる! )
”ティルク、ごめんな。”
胸に疼くあの言葉を最後に消えてしまったと思っていたセラムが、戻ってくる。
母様を見ながら呆然としている私に、母様が念話で伝えてくる。
『セイラが最終的に男になるか女になるかは、あの子が納得づくで決めることだ。
女のセイラが心に傷を負ったまま身を引くのは違うと思うんだよ。
男のセイラも女のセイラも並び立たせて、幸せな将来を用意してやりたいじゃないか。』
……やっぱり、母様は厳しくて、すごく優しい。
「はい、分かりました。」
納得した私に、母様が良い笑顔を向けてくる。
(あ、これは私にも何か言ってくる…… )
背中にぞくりと悪寒が走った私に、母様が宣告した。
「ということで、ティルク、あなたには私とアスリーと一緒に王都に行ってもらうよ。」
(え? 私が王都に? )
首を傾げた私に母様が説明を続ける。
「私はセラムが真魔王妃に変化した理由と方法をダイカルと確認するために、アスリーはもちろん結婚を完了させて新たな魔王妃になってもらうために、王都に行く必要がある。
そして、ティルクはセイラが男に戻れなかったときに、ダイカルがティルクの夫としてふさわしいか品定めする必要があるだろう? 」
(国王様が私の夫にふさわしいかですって? )
母様の言い分に、私は思わず吹いた。
『そんなの、私に選択権がある訳ないじゃないですかっ。』
口にするのも憚られて母様に念話で返すと、母様がくすくすと笑う。
「国王の想い人を横から掻っ攫おうとしているくせに、自分のことになるとティルクは謙虚だね。」
母様にそう言われて、私は青ざめた。
セラムと一緒になろうとするのは、確かにそういう畏れ多い行為だ。
でも、私はできるなら国王様に2人仲良く寵愛してもらうよりは姉様と直接結ばれたい訳で……
ぐるぐると考えていたら、母様が真面目な顔になった。
「冗談はさておいて、私が気になるのはティルクの魔法の力だよ。
ティルクはセイラがまだ見せていなかった居合とかいう戦い方や教わっていない刀の知識を識っていたんだろう?
それはたぶん、ティルクの魔法の力だと思うんだよ。
なのに属性には何も表示されていない。
ひょっとしたら、伝説の魔王だったご先祖の魔力と関係があるんじゃないかと思うの。
大した記録は残っていないはずと思うけれど、それでもご先祖のことを調べるのなら、王都に行くのがいいと思っているんだ。」
母様に指摘されて、ああ、そうかと思った。
私も自分の力に不思議なところがあることは気になっていて、もしそれが何か大きな力に発展できるものならば、ぜひ知っておきたい。
シューバと戦ったとき、私は母様や姉様のように戦力になることができずにお荷物になった。
今後も2人と並んで戦えるための力が手に入るのなら、いや是が非でも手に入れるために、鍛えながら何かを探さなくては。
「姉様、大丈夫でしょうか。」
「迂闊なところもある娘だけど、あれで案外しっかりしている。
きっと大丈夫だよ。」
私は母様と一抹の不安を抱えなからも頷き合った。
……不安が的中して、神が駆け付ける事態になることなんか、私たちは知らなかった。




