第90話 私、頑張っていたと思います!
気が付くと、私は収納空間に毛布を掛けて寝かされていて、薄ぼんやりと白く奥行きも分からない空間に、最初自分がどこにいるのか分からなかった。
じわじわと記憶が蘇ってきて、自分のではなくセラムが戦った記憶が流れ込んでくる。
あ、と気が付いてもう一度自分の中を探して、セラムの意識の結晶がどこにもないのを確認して、私は項垂れた。
(ティルクや母様やヅィーニが殺されそうになって、私は気持ちで負けて戦いを投げ出して、全てセラムに押しつけてしまった。
本当なら私はいずれ男に戻って女の私は消えるはずだったのに、私がパニックになったばかりに、セラムは自分の意識が減るのを承知でシューバを倒すことを優先して戦って、私の代わりに消えてしまった。)
ティルクに合わす顔がない、そう思ったら涙が零れてきた。
(この世界に召喚されるほど意志が強かったのはセラムで、私はそうじゃなかった。)
戦闘中の仲間の惨状に気持ちが折れて戦いを放り出した自分が、私には許せなかった。
(辛いのは私じゃない、将来を約束した伴侶を失ったティルクだ。)
”ティルク、ごめんな”
最期にティルクに伝えたセラムの切ない気持ちがダイレクトに私に伝わって、私は自分に泣く資格なんかないと、唇を噛んで嗚咽を押し殺す。
(そうだ、女の身体に入って女の意識が生まれたのなら、男の身体に入ったらまた男の意識が芽生えるはずだ。
そうしたら、セラムに全てを譲って私は消えればいいんだ…… )
どうにか失ったものの償いをしようとそんなことをぐるぐると考えていたら、収納空間に誰かが入ってくる気配がした。
「セイラ殿、失礼する。」
慌てて涙の跡を拭いて顔を向けると、入って来たのはアスリーさんで、畏まり緊張した様子で近寄ってきて、お加減はいかがですか、と聞いてきたので、少し顔を俯けながら笑みを作ると、アスリーさんは私の側に片膝を付いて跪座で頭を垂れてきた。
「私が元の体に戻るに当たって、本当に何から何までセイラ殿のお世話になりました。感謝の言葉もありません。」
アスリーさんは、それから微笑んで私を見る。
「特にマーモには愛情を向けていただいて、マーモはあなたのことを母と感じて慕っていました。
今は私の記憶の一部ですが、身寄りもなく厳しい修行だけの日々だった私に、今は一条の光が灯った心地がしています。」
アスリーさんが元の体に戻れたこととマーモちゃんだった自分の幼少期の記憶が満たされたことを感謝してくれているのは分かったが、それはセラムが行ってしまった直後の今、伝えなければいけないことだろうかと私は反発を覚えた。
「シューバと戦ったのはセラムで、私じゃありません。
セラムはもういないので、私にお礼は必要ありません。」
何とか口調を落ち着けて話した私の言葉にアスリーさんは首を傾げた。そして確認の言葉を交わして、初めてセラムが消えてしまった事実が伝わった。
なんということ。あの切羽詰まった時間の短いセラムの言葉は、セラムの最期の挨拶だったと、誰にも認識されていなかったのだ。
◇◆◇◆
事実を知ったアスリーさんがひれ伏して謝罪をするのを押し止めて退室してもらって、またこれからのことを考え始めたところに母様とティルクがやって来た。
2人の表情から、アスリーさんからセラムのことを聞いて、ようやくセラムの真意が伝わったのだろうことが分かる。
私は深刻な表情の母様と青ざめた顔のティルクを出迎えて、思わず頭を下げていた。
「私のせいです。ごめんなさい。」
2人に詫びて、これからの私の償いを聞いてもらって、2人に少しでも安心してもらおうと、つい言葉が私の口を突いて出る。
「私、出来るだけミッシュに頼んで男の使途を使わせてもらって男の意識が芽生えるようにして、男の身体を見つけるように頑張るから。
そうしたらまたセラムが戻ってきて、私なんかよりずっとティルクに優しくしてくれるはずだもの。」
ティルクが驚愕の表情で私を見る。
「ティルク。大丈夫、セラムが戻ってもらって、ティルクを幸せにしてもらうように、私、頑張るから。」
私の言葉にティルクの見開いた目に光が瞬いて揺らめいたと思うと、バンッ、という音がして私の視線が激しく流れて、遅れて私の頬に衝撃が届いた。
──ティルクに打たれた。
そのことに気が付いて視線を戻したときには、ティルクは収納空間から駆け出ていくところだった。
呆然とティルクを見送る私に、母様が溜め息を吐いて冷めた口調で私に言う。
「セラムのことは、本当に残念だったわ。
セイラも色々と衝撃を受けただろうが、それでも今の言い分は聞けないよ。」
え、と戸惑いの声を上げた私に母様は厳しかった。
「……ティルクはね、セイラと一緒だったら死んでも良いと思って戦っていた。
セラムも皆を護るために自分を犠牲にした。
結局、あんただけ、覚悟が足りていなかった。
今、自分が口にした言葉がどういうことか、よく考えてごらん。」
母様はそう言うと収納空間を出て行った。
”覚悟が足りていない”
その言葉が私を貫いて、私はその場に座り込んだ。
──私はどこかで間違えていたんだろうか。
でもいくら考えても、私には何が悪いのかが分からなかった。
◇◆◇◆
収納空間から出てきたケイアナは、小さく頭を振りながらシューバツリーを手繰っていた元の場所に戻っていくところだった。
セイラがセラムと呼ぶあの男の子は、私が厳しく仕込んだ修行によくついてきた。
どうやったのか知らないがシューバと戦った強さを見るに、きっとあの子はダイカルの魔王の力をも引き出して戦っていて、私では何の戦力にもならなかった。
そのためにあの子は自分の意識が消える危険を知りながら1人でシューバと戦って、意識をすり減らして消えてしまった。
(私はあの子が自分の存在を対価に戦っていることも知らずに、無邪気に応援していたのね。)
最後に掛けてくれた言葉に何も返せずにあの子を見送ってしまったことが悔やまれる。
(それにしても、セイラがあんなに他人に依存するようになっていたことに気がついていなかったのは、私のミスだわ。)
思えば、セイラがこの世界に召喚されてからずっと面倒を見てきたし、王都を脱出してからはずっと一緒だった。
セイラの幽体が男の子だと気がついて、男の意識と別に女の意識が芽生えてきたと知ってからは、当たりが柔らかくなったのは女の意識ゆえのことだろうと思って放置していたのだが、彼女はどの時点だかで重要なことの判断を人に委ねて、流されるようになっていたのかもしれないと今さらながらに思う。
(厳しくしても、それに従って流されていくだけかもしれないねえ。)
戦いで起こったことのショックが強かったせいもあるだろうが、現にセイラはヅィニーが作った収納空間に居座って状況を確認もしないで自分の考えにふけっている。
自分の役割が終わったと信じて全体のことを考えていない。
ほかの皆は、シューバの本体がどうなったかを確認するために、現在も手分けして本体を探しているというのに。
(──少し、荒療治が必要かねえ。)
ケイアナは今後の方針に思い悩んでいた。




