第72話 え? ヒスムさん素早いっ!
俺たちがシューバに遭遇した日は何ごともなく暮れ、シューバに認識されないように火を使わないで野営をした。
もう秋も深まって、夜には随分と冷え込むようになった。
王子たちと俺たちはそれぞれのテントに別れて野営をし、テントを必要としない魔物たちは、本来の体に戻ったヒスムが魔道具を中心に丸まり、少し離れて座った他の魔物と3分割して周囲の監視を行ってくれている。
けれど、全てを魔物の監視に任せるというのはあり得ないので、一応時間を3分割して周囲が暗い7時から朝の6時までの11時間を3時間×2チーム、4時間1チームで回している。
実質は、野外で寝る魔物たちは全部の魔物たちが自主的に交代制で全ての次回を見張っていてくれる結果になっているのだけれど、それは責任を伴わない魔物たちのサービスとして、魔物たちの負担にならないことを確認した上で、ありがたく感謝と共に受け取っている。
俺たちは最初の監視を受け持ち、アスモダへと引き継いだのだけど、実態として、監視の必要はなかった。
シューバのいる前線を通過して以来、ここに生物は何もいない。
耳鳴りのするような静けさの中で、俺たちの立てる音だけが耳に触る。
俺はテントの中でティルクを間に挟んで母様と両脇に並んで横になった。
「で、シューバのことはどう感じた? 」
「そうですね、敵わないとは思わないけれど、強いと思いました。」
「姉様は魔王妃があるから。私は単独では敵わないと思いました。」
「……ま、そんなところだろうね。で、セイラ。ジァニを使った感じだとどうなんだい。」
「ジァニの体で直に接した訳ではないですけれど、正直、シューバの相手をするには力が足りないと思います。
得意な属性が水で相手は植物ですから、相性があまり良くないんですよね。」
「でも、ヅィーニは姉様にジァニの体を渡した訳だし、ヅィーニも今回の調査に参加している訳でしょう? 」
「そうだね、何かあると思うんだ。探らないまでも気に掛けておいてもらえるかい? 」
母様に頷いて、俺は頭を布を丸めた枕に落として睡りに着いた。
◇◆◇◆
翌朝、起きて朝食を作るために早めにテントを出ると、宿営地の真ん中、ヒスムのいた場所に人間に擬態したヒスムの神使が横向きに倒れていて驚いた。
触ってみたけれど意識がなくて、幽体が抜けた感じがする。
シューバの襲撃があった?
そう思って慌てて周りを見回したけれど特段の異変は見つけられなくて、ヒスムの様子をさらに詳しく見たら、やっぱり幽体が欠落していて眼が虚ろだった。
一体どこから、と周りを探したけれど怪しい気配はなくて、良く周りを観察し直すと、ヒスムの腹の下の辺りに小さな収納空間の入口が開いていた。
収納空間をかき分けてそっと中を覗いてみると、男女がほぼ裸で布団に包まって寝ている。
(うわあ。ヒスム、異性を狩るのは本能って、マジだったんだ。)
俺は引きながらそうっと収納空間から視線を外した。
食事の準備ができて皆が起きて集まって朝食が始まったのだけれど、ザルグバルさんとヒスムが2人で並んでご飯を食べていて、ヒスムが甲斐甲斐しく大皿から取り分けてお皿に食べ物を盛り付けてはザルグバルさんに渡している様子を、向かいの席でアスモダから来た2人が愕然として見詰めている。
ヒスム──ヒスムさんは長い蛇の体躯を人型に変えていて、額に菱形の鱗が4枚生えて縦型の目の虹彩が爬虫類のそれを思わせたけれど、あとは神使のときと同じ……と思ったら椅子の下に白い尻尾が垂れていた。
「セイラさん。獣人族は連れ合いにする魔物に自分の意思で人族の姿になれる能力を与えることができるんですよ。
私はザルグバルからこの能力をもらったので、神使はお返ししますね。」
にっこりと微笑むヒスムさんは照れまくるザルグバルにぴったりとくっついて、なんかお似合いに見える。
たった数日でザルグバルさんとの距離を縮めてザルグバルさんとこんなに親密になるなんて、ヒスムさん、凄いな。
アスモダのギャジャさんとダジッタさんは驚愕の表情でザルグバルさんを見ていた。
「新たな獣人が誕生するなんて、数十年に1回、あるかないかの出来事なんです。
しかも、縁を結ぶ相手が魔獣でなく魔物だなんて、本当、滅多にないことなんで、驚いています。
私たちに新たに強力な獣人種が誕生する瞬間を目撃しているんだと思うと感無量です。」
「あ、獣人族って、獣人だけじゃなくて魔物とも同化しているんだ。」
ティルクが呟くと母様が説明をしてくれた。
「獣人族と魔族とは、元々は魔獣と結んだ絆を主体として生まれたか、魔物との絆を主体として生まれたかの違いくらいでしかないわ。
でも、魔人族と魔族が持つ融合の力は少し違っていてね、獣人族は融合した相手の特徴を取り込んで生まれるから体に魔獣たちの特徴を残して、性格も魔獣の気性の影響を受けやすいんだけど、魔族は相手の能力だけを取り込んで魔物の影響を受けていないから、本来は魔物の大半が持つ猛々しさとは無縁の大人しい種族なの。
だから、魔獣が多いこの大陸で獣人族が暮らし、魔物が多い向こうの大陸で魔族が暮らして、特に争うどころか関与することもなかったのよ。
ヒスムが獣人族を選んだ判断には、最近の魔族が指導者によって種族の性格が捩じ曲げられている事情も関係しているかもしれないわね。」
ああ、そういう影響もあるんだ。
「ケイアナさん。
事実としてはそうですけど、私がアスモダの人と仲良くなりたいと思ったのは、今回の魔獣の移動問題で避難民の支援を始めたテュールをアスモダの人が排除せずに尊敬、いえ、むしろ崇拝ですよね、してくれていることが大きいんです。
もし移動している魔獣とテュールを区別せずに討伐対象とするような人たちだったら、私はザルグバルと縁を結ぼうとは考えませんでした。」
ヒスムの視線の先にはギャジャさんがいて、王子であるギャジャさんが以前、俺にテュールと会いたいと言っていたことの結果なのだと知ると、ギャジャさんは嬉しそうだった。
ほっこりとしていた俺に、ヒスムはくすりと笑うと扱いに困る話を始めた。
「人間に好感を持つ魔物たちの間で言われていることに、”幸せを実感したいなら獣人族か魔族に人間にしてもらう手がある”というのがあるんです。」
悪戯っぽく瞳を開いた目と口角を絞った唇が紅潮した顔に映えて、何だか凄く色っぽい。
男性経験をすると自分もあんな表情ができるようになるんだろうか、と危ないことを考えていたのを見透かすようにヒスムさんに爆弾を落とされた。
「人間って、安全を確保してから全力で愛し合いますよね。
お互いを愛し合うことに時間を掛けて没頭して、そうしたことがすごく幸せに感じるんだって。
私、はそう実感しました。
セイラさんも覚悟を決めちゃったらどうです? 素敵ですよ。」
「ば、ば、馬鹿なことをっ。私にはやることがあるんですっ。」
魔物たちは私の事情を知っている。
ザルグバルさんの腕を取って体を寄せる熱愛カップルの惚気に巻き込まれそうになって、慌てて距離を取る。
しかし、俺をガルテム国王の婚約者だと思っているアスモダの人たちはさりげなく生温かい好奇の視線でこちらを見ていて、それがすごく気に障る。
(うう、居心地が…… )
首を竦めながら、でも自分は男に戻るんだから、と念仏のように呟いていたら、ティルクがすうっと寄ってきてぽそりと耳打ちをしてきた。
「姉様。最近はジァニがになるのがお気に入りだけど、ジァニになって人間を辞めて、獣人族になって人間に戻るというのも面白いかもしれないですよ。」
あう、ティルクにまで嬲られた。
あのね、好んで愛玩動物やってた訳じゃないから。
今度、ティルクもジァニに入れて撫で繰り回してやろうかしら、とふと思いついて、面白そうなのでいずれ実行計画を考えてみることにした。
◇◆◇◆
食事の後は、ただひたすらに生き物の気配のないシューダだけで構成された森を歩く。
半日を歩いて、土でできた祠のような場所を見つけ、ゴダルグさんが、あそこが御座所です、と教えてくれた。
御座所が妙に女神リーアの祠と雰囲気が似ているのを気にしていると、ミッシュも念話で同じ感想をつたえてきた。
『祠には神力を保持する効果がある。
敵は神力で何かの力か付与した効果を保持させるために祠を作ったのだろうな。
それがシューバに対するものなのか、防御のためのものなのか、これからよく見極める必要があるな。』
全員に対して放たれたミッシュの念話にゴダルグさんとエグリスさんは喉を鳴らし、他のメンバーは何か感じ取れるものがないかと周囲を警戒する。
『祠に施された罠などがないかは俺が確認しよう。
ゴダルグ。お前の知る罠などはないんだな? 』
ゴダルグさんが頷くのを確認してから、ミッシュは祠を調べ始めた。




