第68話 選択肢は男になるか、女になるかだけじゃなかった
”川獺の祭り”とは、川獺が河原に捕らえた魚を並べることを祭りと見立てたことに由来するそうで、有名なお酒の語源になっているみたいです。
滝壺に辿り着いてみると、滝壺にはヅィーニがいた。
「こんにちは、ヅィーニ。ビアルヌの町よりもこちらにいるほうが良いんだ。」
ヅィーニは、ビアルヌの滞在中、城の側にある池に住むことを許可されていて、居心地には問題がないと聞いていたのに。
『まあ、居心地が悪くはないがな、良いかというとそうでもない。』
ヅィーニがキュキュッと鳴いて池の側に横になって、手を握り合っている俺とティルクを見て目を細める。
『どうした、今日は番になる報告にでも来たか。』
(つ、番って! )
俺とティルクは繋いでいた手をばっと離して、真っ赤になった。
「ヅィーニ、俺は男の体を手に入れないと、誰かとそういう関係になる訳にはいかないんだ。」
ヅィーニにはペンダントをもらったりして、俺とティルクには目を掛けてもらっている。
俺の事情を話しておかないといけないと感じてそう切り出して、理解していない様子のヅィーニに、内緒の話と断って詳細な事情を説明した。
『ほーう、そりゃまた、厄介なことになっているんだなあ。』
ヅィーニは俺の説明に驚いて俺を見て、そして考え込んだ。
『セイラは、自分の体がないのか。
この間、その体は限られた期間しか使えないと聞いていたが、そんな状態で持ち主に今の女の体を返してしまって大丈夫なのか。』
先日、俺の事情の一部を話してしまった内容と付き合わせて俺の心配をしてくれているようなので、アスリーさんの体が使えなくなったときは、この間ミッシュとヒスムとが使っていた体を使う予定になっていると説明をしたら、安心したようだった。
『あのとき、体が2体あったのは、そういう訳なんだな。』
え、女性の体が2体ある?
俺が驚いてヅィーニに確認を取ると、ミッシュは最初、ミシュルとヒスムを2人の女性として会議に参加しようとしたそうだが、ヒスムの振る舞いがいかにも爬虫類然としていたので、却って違和感が出ると考えてミシュルの体を交代する形にしたそうだ。
(またミッシュは大事なことを俺に話さないっ。)
憮然とする俺をヅィーニが笑う。
『まあ兄ちゃん。
俺たち魔物仲間の伝承によると、ミシュガルドは元は神だ。
年経た魔物によると、最初の頃、ミシュガルドは生き物の事情や空気が分からなくて斟酌してくれないから、周りが随分と迷惑したらしいと聞くぞ。
今は多少不便かもしれないが、セイラのことを考えてくれているのだろう? 』
俺が頷くと、ヅィーニは笑って、なら、我慢しろ、と言った。
『それでな、セイラ。
お前さん、他の体に転移するのは慣れている様子だ。
それに、シューバとの戦いでは、場合によっては戦いの最中に自分の体を返さねばならんかもしれんのだろう?
なら、万が一の備えは多い方が良い。
シューバとシューダの討伐の間、これを貸してやるから大事に使ってやってくれ。』
そう言ってヅィーニが貸してくれたのはカワウソの体で、俺はヅィーニに教わって、初めて意識の転移を自分でやった。
『ヅィーニ、これ、雌の体だよね。』
体に入ると、同族としての多少の認識が備わってきて、ヅィーニが年経て風格の備わった、貫禄ある異性であることが分かった。
『そうだ。俺の番だったジァニの体だよ。
10年ほど前に、あいつは俺が出掛けているときに、よく分からない魔物に襲われて体から幽体がなくなっていた。
俺は体が劣化しないうちにジァニを収納空間に収めて保管してきたんだが、色々と状況を調べて、当時は存在も知られていなかったが、シューダにやられたんじゃないかと考えている。』
ヅィーニは平気な様子で念話をくれるが、いまや同族となり、光魔法と闇魔法を持っている俺には、ヅィーニの感情の高ぶりが伝わっていた。
『もしかしたら、お前さんがその姿でシューダに一撃を食らわせることがあるかもしれないだろう?
もしそんなことになったら、これ以上ない痛快事だよ。』
ヅィーニの視線には、10数年ぶりに動く妻の姿を見るわずかな喜びと、抑えきれない後悔が視線に宿っている。
『もしかしたら、アスリーさんのように、どこかにジァニも捕らえられているかもしれませんよ。』
慰めだとしりながら、そんな言葉をヅィーニに掛けると、そうだな、そうならいいな、と言って笑って、それから話を変えた。
『セイラは収納空間も使えるようだし、ジァニにも移れるようだから、悪いが時間があるときはその姿で食事をして運動をして、ジァニの体調を整えてやってくれ。
ジァニはもう10年、動いていないからな。
それで、体は収納空間に収めて、体を動かしたときに、体や能力の使い方を覚えていってくれ。』
切なげなヅィーニの視線を浴びて、俺は改めてヅィーニにジァニの体をお借りして良いのか聞いた。
『構わん。どこかでジァニのことはケリを付けなきゃならん。
もしお前さんがジァニの体を使って、ジァニの体が死んだとしても、セイラ、お前さんを咎め立てはせん。』
ヅィーニの決意に俺は改めてお礼を言って、それから、体に慣れるために夕方まではカワウソの体でティルクと過ごした。
「ふふっ。」
ティルクは、デートが中断して趣が変わってしまったことに最初戸惑っていたが、俺が人ほどの大きさのカワウソになると、抱き寄せて体中を撫で回してきた。
抵抗しづらい雰囲気に俺も我慢していたのだが、毛並みを梳く丁寧な愛撫に俺はトロンとしてしまって、小一時間をティルクに抱かれて過ごしてしまい、ヅィーニに催促されて生魚丸ごとの食事を摂ることになったのだが、意外と抵抗なく食べることができ、ヅィーニが見繕ってくれた魚は非常に美味だった。
ティルクとは体の動かし方の訓練に少し運動をして、徹底した下からの見上げるアングルでティルクのスカートの中は丸見えだったのだが、カワウソの雌の体に入っていたせいか、ティルクの体に何も感じなかったのは不思議だった。
結局その日、俺がジァニの体で過ごした時間があったために、男の体に入っていたのは予定より4時間ほど少なかったのだが、事情を聞いたミッシュは仕方ないと納得して、翌日に4時間、男で居られるように母様たちとも調整をしてくれて、ティルクは、明日もデート、と上機嫌だった。
『ところでセイラ。男の意識が大幅に伸びているんだが、お前、何をやった? 』
人間の常識を知るために遠慮などないミッシュの呼びかけに、ティルクと2人で大汗を掻いたのだが、洗いざらいを聞き出されて魂が抜けかけた俺にミッシュが言い放った。
『いやあ、この調査も男の意識を上げるのに凄く効果があるんだな。
セイラ、他のことも洗いざらい聞こうか。』
「ば、馬鹿言えっ。そんなこと、誰がやるかーっ! 」
俺は大声を上げるとヅィーニに教わった意識転移で自室で横になっていた女のセイラに転移して、部屋中に鍵を掛けて引き籠もった。
俺が自分で意識転移すると予想していなかったミッシュは虚を突かれて出遅れ、後でティルクが夜食を持って来てくれたので迎え入れて、その後はいつものとおり2人で過ごした。
◇◆◇◆
結局のところ、部屋に鍵を掛けたら無理に侵入しないというのは、ミッシュが生き物との関わりで覚えた処世術の1つのようだった。
「セラム、おはよう。」
俺は覆い被さるティルクの顔のどアップで目が覚め、びっくりして、ふ、と男の声が漏れたところで、ティルクから長いキスをされて、俺は朝っぱらから元気な男の子に抵抗する忍耐の限度を試されることになった。
「ティルク、俺が男の戻れるかは、確率的にまだ厳しいんだ。
俺が男に戻れる確証ができるまでは、その…… 」
俺が言い淀んだのを聞いて、ティルクが反論してくる。
「もしかしたら、今がセラムが子孫を残せる唯一のチャンスかもしれないんだよ。
私だったら、その… 」
「セラムが子孫を残せなくても、セイラは残すかもしれない。
残った子孫がティルクとの子どもじゃないかもしれないのは、申し訳ないとしか言えないけどね。
でも、ティルクの気持ちはありがたく受け取っておくよ。」
俺は納得しきれない複雑な気持ちを隠せないでいるティルクへキスを返して、それから二人して出掛ける準備をし、ティルクは身バレしないように変身魔法で少し顔の形を変えた。
2人で外に出て、朝、働きに出る人たちのために出ている屋台からいくつかの料理を頼んで、2人で味わうことにした。
屋台の人から夫婦と言われたのがティルクは嬉しかったようで、それからは奥さんと呼びかけられる度に上機嫌で何でも買い込んでいくので、手元には朝だけでは食べきれない量が集まってしまった。
食事が終わってからは街中を散策し、武器屋や魔法道具を扱っている店を冷やかし、薬局に座り込んで客のいない隙を窺っては店員にあれこれと教えてもらって過ごした。
帰ってからは、俺はビアルヌ城の側の池を借りてジァニの姿になって、ティルクが朝に買い込んで残った食べ物が口に合うかの確認がてら、カワウソの体に慣れようとしたのだが……
ティルクが俺を抱いて撫でてくれる気持ちよさに呆けていると、威城のメイドの四人組がやって来て、人間大のカワウソが大人しく寝転んでいるのを見つけて、きゃあきゃあ言いながら、座り込んで撫で始めた。
「うわっ、体毛が柔らかっ。これ、1日撫でてられるねー。」
(いや、1日は拙いから止めて。)
カワウソの正体を話せないでいるティルクに、威城のメイドの4人は先日の魔物がやって来たんだと思い込んで、俺が抵抗しないとみるとそこら中を触り始めた。
「あれえ、この子、女の子だあ。この間の魔物、雄だったよねー。」
(だから、ヅィーニとは別物ですって。)
「姉様は人を辞めるつもりですか。」
ティルクの援護もなくなり、寄って集って皆に撫で回される魅力に勝てず、結局、俺は2時間ほどをうっとりと愛玩動物として過ごしてしまい、後からティルクにすごい剣幕で説教をされたのだった。




