第55話 ティルクとデート(1)
ビアルヌでは私たちはビアルヌ男爵の客人としてお城に泊まることになった。
当然、いつものように俺とティルクは一緒に寝ていて、母様やビアルヌ男爵から今日は一日自由に過ごすということで話を通している。
「姉さ……セイラさん、おはようございます。」
ティルクは朝からやたらとテンションが高い。
ていうか昨夜、凝視される視線をちくちくと感じて何度も目が覚めた感じからすると、ベッドの中でじっとしてはいたけど、ティルクはほとんど寝てないんじゃなかろうか。
それなのに今朝は暗いうちからこちらの様子を窺いながら起きて水魔法でシャワーを浴びて、まだ6時すぎなのに凝った形に編み上げた髪のうなじの辺りからは母様かライラ辺りからもらった香水がほんのりと香り、一番可愛いとっておきの服を着て俺と買ったお揃いのアクセサリを付けてベッドサイドの椅子に座っている。
そしてあちこちをそわそわと見回しては気配察知の神聖魔法を四方に飛ばしているのは、まだ戻ってこないミッシュを探しているのに違いない。
俺とのデートにそんなに気合いを入れてくれるのは嬉しいんだけど、全部筒抜けだからね?
それに、そもそもいつも一緒にいる相手とデートしても、そんなに何かが変わる訳なんてない。
……と思っていた。
『待たせたな。』
そう言って黒豹バージョンのミッシュが現れたのは、朝食が終わって我慢しきれなくなったティルクがミッシュを探そうとビアルヌ城の庭に出たときだった。
ミッシュが詫びの言葉と共に収納空間から男の神使をずるりと引っ張り出したと思ったら俺の意識はもう神使の方に移っていて、いきなりだなあ、と呆れてミッシュの方に視線をやって驚いた。
ミッシュが間近にいて、頭の位置がほぼ同じ高さにある。
ミッシュが大き、じゃなくて、あれ、俺が縮んだ?
俺が戸惑っているのを見ながら、ミッシュが笑い声を響かせながら念話を送ってきた。
『すまないな。実を言うと、ちょっとだけ神力が足りなかった。
足りなかった分だけ神使が幼くなっているが、ちゃんと男のアバターだし、性徴期のほうが男の意識を増加させるには良いかも知らないから心配するな。』
(ちょっ! そういう問題じゃない! )
俺はすぐさま抗議しようとしたのだが、ミッシュは、結晶化した男の意識は全部復元しておくぞ、と告げて、興味深げな視線を俺に送るとどこかへ行ってしまった。
狼狽えてティルクを見ると、いつもは目の高さにあるティルクの頭の天辺がはるか上にあって、目の少し上に鎖骨が見える。
綺麗な鎖骨につい目が行って、それから滑るように視線を正面にやると、目の前にはティルクの胸の膨らみがふたつ。
それがどうした、と思いたいところだけれど、目が吸い寄せられた。
あれえ、と思って改めて見ると、ティルクの肌が白く輝いて、その柔らかそうな陰影から妙に目が離しづらい。
首を捻りながら向こうにいる冒険者たちに視線をやると、いつもは筋肉の作る陰影にどきりとするのだけれど、何だかそれが平板で色褪せて感じられ、それ反比例するようにティルクの肌の白さが鮮烈で柔らかさが際立って見える気が……
ああ、そうか、これが異性に対するフィルター効果なんだ。
この間、男の意識を結晶化したときには、俺の中の男の意識は20パーセントだとミッシュは言っていたし、女性だけの意識になったときには劇的な変化はなかったことを考えても、結晶化した男の意識が戻っただけではこんなにはっきりとした感覚の差にはならないだろう。
ミッシュが言っていた、性を意識し始める性徴期の体になっていることもあるのだろうし、主人の心の平安に無頓着なミッシュのことだから、それ以外にも成果優先で男の意識を高める何かを仕掛けている可能性は充分にある。
今の俺の体はジューダ君より少し大きくてダヤルタ君より下、12歳くらいの感じかな、と考え込みながら、体の詳しい話を聞くためにミッシュと念話で連絡を取ろうとして取れないでいる俺の様子を見てティルクが微笑んだ。
「姉さ、じゃなくてセイラさん。……あ、いや、今日はいっそセイラ君と呼んだ方が吹っ切れるかな。
いきなりセイラさんって呼びにくかったし、姉様、今日はこのままセイラ君って呼ばせて。」
ティルクが悪戯っぽく見下ろす眼がキラキラと輝いているのに気圧されて俺は思わず頷いた。
俺の側に座ったティルクは俺を包み込むように側にいて、でもティルクの体の大きさを感じると言うよりは女の子の甘い匂いに包み込まれてしまって、なんだか酔ったようにクラクラとする。
(あれえ? ティルクってこんなだっけ。
なんか、すごくお姉さんっぽくて、女の人の良い匂いがする。)
ニコニコと笑っているティルクに中てられて、俺は顔を真っ赤にしてただただポーッとティルクを見上げていた。
「ふふ、ねえセイラ君。
もう30分以上もこうして手を握って座ったままでいるのに気が付いてる?
ミッシュが用意してくれた上着もズボンもすごく上品で、よく似合ってて格好いいよ。
ね、遊びに行こ? 」
ティルクを呆然と見詰めるだけでもうそんなに時間が経っていたらしい。
俺はいきなり幼くなって男の意識がどっと押し寄せて翻弄されているのに、ティルクは年下の子の世話は慣れているから却って余裕が出た感じだろうか。
どう見ても押されているのを感じながらも俺は何とか我に返って、うん、と返事をして立ち上がる。
「セイラ君、エスコートして。」
ティルクが繋いでいた手にから俺の顔に移した視線の甘えるような輝きに、俺はギクシャクと頷いて手を離すと左の肘を突き出す。
ティルクは俺の肘に右手を添え、上から被せた左手でがっちりとロックして俺の体を自分の方に引き寄せる。
俺は体が浮くような力で引っ張られて、少しティルクの体に埋もれながら歩き始めたのだが、全神経はティルクと接触した体の温かさと匂いに集中してしまっていた。
(ミッシュ、これ、絶対に神使の体に何かしただろ。)
そう確信しながら、それでも良いかと思う自分がいた。
◇◆◇◆
窓の影からセイラとティルクを黒猫の姿で見下ろしながら、セイラに気取られないように居場所を誤魔化して、ミッシュはくすくすと笑っていた。
(セイラ、神力が足りなかったのは本当だが、どうやら男の意識の回復を急ぐ必要があるみたいなんだ。
将来予測の結果、男の意識が低い設定だとこの先詰む確率が高い。
悪く思うなよ。)
ミッシュが神使に仕組んだ仕掛けはふたつ。
一つは神力の充足が足りなかったために、神使を一人前の男性の姿にすると半日程度しか稼働させることができず、一日稼働させることを目標にすると、自分が男性だと意識し始める第2次性徴期の少年の姿にするのが精一杯だった。
もう一つは最も効率的に男性の意識の醸成をするために、性徴期の感受性にブーストを掛けた。
性徴期の暴発することのない時期を選んでティルクの身の安全を確保しつつ、ブーストによってセイラを挑発して男性意識の急激な成長を狙った。
ばれたらセイラは激怒するだろうが、成果が生きるか死ぬかに直結する問題なので、膝をつき合わせて話をすれば、セイラとしては許さざるを得ないだろう。
この措置でセイラがどれくらい翻弄されるか、生物の身でないミッシュには分からなかったが、かなり強烈な体験であろうことは想像が付いた。
『トラウマや依存などの妙な後遺症が残るようなら、後に引き摺らないようにサポートをしてやらなければな。』
今回、近くに隠していた捨てた神力の残りを回収して回り、神力をフルに込めれば1週間に一度くらいなら神使を一日起動できるほどの力を取り戻したのだが、回収できた神力が見込んでいたよりもやや少なかったために、神使へ神力を1日で充填するのはミッシュにとって厳しかった。
黒猫の顔に名状しがたいにやにや笑いを浮かべたまま、ミッシュは黒猫へと姿を変えて窓の明かり取りの日だまりに丸まり、この体になって覚えた睡眠の心地よさに身を委ねた。




