第10話 さあ、もう諦めて出産準備を始めましょう……マ、マジですか
魔王に俺が男だということを明かした朝の2日後、最初はぎこちなかったのが少しずつ慣れて、魔王とは何とか男友達の口調で会話が出来るようになってきた。
今朝、朝食のために食堂に向かう道すがら、レベル20まで1週間かかる予定を3日でクリアしたことを報告したら感心されたのだが、連日、俺がお母様から指導を受けている様子を聞いていたのだろう、魔王が少し賞賛を込めた視線を送ってきながら揶揄ってきた。
「セイラはさすが精神の強さを買われて異世界から召喚されただけのことはあるな。
子どもの頃、私はどうやったら母上のツボに嵌まりそうな局面を避けられるか、そればかりを考えて指導を受けていたものだが、セイラは母上を挑発し続けているそうじゃないか。」
何でもお母様は魔法に主軸を置いたスキル構成らしいが肉体的な戦闘能力も高く、レベルだけで見れば実は魔王であるザカールさんよりも上だったらしい努力の人で、お母様の訓練はものすごく効果があるが、とにかく厳しいことで有名で、魔王が歴代最強の魔王となったのには、お母様が英才教育を施して基礎を築いたことが大きいらしい。
お陰で魔王はお父さんのザカールさんの強さを10歳で超えたとか、ジャガル君に家庭教師が付いているのも、ジャガル君がトラウマを負わないようお母様の訓練を間引いているためだとか、いろいろな逸話をメイドさんから聞いた。
そうした話のあれこれを聞いて、俺は、それ、早く教えてよと溜め息を吐いてしまった。
俺の感じたとおり、お母様は俺を娘として、自分の持っている知識や技術の全てを叩き込む気が満々だった。
俺はそこへ魔王や勇者のレベルになると大見得を切って、お母様のやる気に燃料を放り込んで焚きつけた。
それでもお母様はまだ冷静で、口答で指示をするだけに抑えてくれていたのに、俺は一緒にジョギングしましょうと誘って実地指導をするように仕向けて本気モードを全開にさせた。
さらには鬼婆発言をしてお母様を怒らせて、限界突破して第二形態に変身したお母様に新しい訓練の境地を開かせてしまった。
幸い、お母様はいまは本気モード基調に戻ってくれているけれど、レベル上げが異様に早く進んでいるのは、お母様の第二形態に接して俺の苦しいと思う水準が上がってしまったことが大きい。
──本当に今さらだけど、と毎日歯を食いしばりながら思う。
お母様の変身、第二形態で終わるんだよな。
第三、第四があるようなら、俺、嫁に行くことを真剣に再検討させてもらいたい。
それなら出産に十分なレベルになった時点でひとまずレッスンは終わるんだろうし。
まあ、レベル20も達成したことだし、今朝のお母様は、少しは機嫌が良くなって、食事中の突っ込みの手も緩んで、訓練も少し楽になるんじゃないかな。
俺はそう期待しながら魔王と食堂のドアを潜った。
だが、そんな俺の期待は通じるはずもなく、お母様は通常運転だった。
最近のお母様の関心は、魔王と俺との関係を探ることに集約されている。
今朝の朝食の場でも、まずは和やかな4人で食事と会話を楽しんでいるのだが、俺と魔王がお互いに掛ける言葉の調子をお母様は常に気に留めて分析をしている。
魔王と俺の関係は男友達なのだから、親しくはあっても色気のある会話にはなっておらず、そのことがまずお母様には不満だ。
魔王と俺との会話が色気のある方向に進むよう食事の合間に話を振ってくるし、俺の方を矯正した方が良いと思えば、俺が一般教養の講義を受ける際に男女の正しい関係のあり方や女としての隙の作り方などについて、こと細かに指導をしてくれる。
まあ、多少煩わしくはあっても俺が男だとは言えないので、そこは甘んじてご教授していただいている。いつか、男の立場で役に立ちことがあるかもしれないし。
◇◆◇◆
「はい、背筋を伸ばして、いちとぉにぃとぉさんとぉ、セイラ、腕を下げない、笑顔を保って、……にぃとぉさんとぉ、ふらつかないっ。」
レベル10に届いた2日後にレベル20になって、その翌日の今日から社交ダンスのレッスンが始まっている。
今日は初日だから裏拍を感じながら動きの基礎を覚えるのだそうで、もう一時間、背筋を伸ばして視線も動かさず笑顔のまま、ずっと1人でステップを踏んでいる。
そして明日からはリズムを感じるだけでなく実際に裏拍にフェイクを入れるなどして本格的にダンスを叩き込んで、もっとレベルが上がって怪我が大事にならなくなったら誰かとペアを組んで踊る予定だそうだ。
うーん、ペアねえ。例え指先だけといえども、他の男がアスリーさんの体に触れることを魔王が許すかな、などと考えていたら──
お母様の手がぴしりとお尻に当たる。
「セイラ、集中! 」
お母様の叱責を受けて、はい!、と答えて、意識をダンスに引き戻す。
お母様のレッスンはもう1時間続き、終わるとお茶が用意されて、すぐに礼儀作法の講義が始まった。
お母様の指導は相変わらず今日も厳しい。
◇◆◇◆
夕食後、お母様と恒例のジョギング、もとい走り込みで城の周囲2周を全力疾走してレベルを24まで上げて、息が整っておやすみなさいの挨拶をして帰り際のことだった。
お母様がさりげなく確認をしてくる。
「ねえセイラ、まだこない? 」
え、何がですか、と聞いて、月のもの、生理よ、と返されて、男の俺は初めて、ああ、生理が来たら妊娠してないんだ、と今さらのように気が付いた。
まだです、と答えると、お母様は俺のお腹を見詰めてから、上目遣いに温もりの籠もった視線を俺に向けてくる。
「そう、気が揉めるわね。でも心配しないでも大丈夫。まだ時間はあるから思い詰めることはないわ。」
ぎゅっと抱きしめられて送り出された。
女性なら当たり前の常識がピンときていなかった俺は、その時に初めて、この世界に召喚されてからすでに10日が経っていることに気が付いたのだが、女性の周期や仕組みがそもそもよく分かっていなかった。
漠然と、ああ、生理が来るか確認するのにまだ20日くらいも余裕があるんだと思って安心していたし、多少の誤差はあるんだろうからそれより遅くなっても大丈夫と覚悟を放り出して甘く考えていた。
そして3週間後。
俺はお母様からいきなり最後通牒を突きつけられた。
「セイラ。あなたにこんなことを言うのは可哀想だけれど、そろそろ踏ん切りを付けて、出産のことを考えましょう。」
「え? え? なんで? どうして? まだ1か月経ったばかりでしょ。ちょっとくらいズレるものだって、私聞いてるけど違うの? 」
俺はパニックに陥った。
お母様は俺の様子を真剣に見詰めて、地球の女性の体の仕組みや常識が違っているのかもしれないと考えたようだ。
懇切丁寧に説明をしてくれた。
「……だから、この世界の女性は28日プラスマイナス3日でほぼ間違いなく次の生理が来ます。
セイラ、今日が31日目よ。もう覚悟を決めましょう。」
「待って! もう少し待って! きっと明日にも来るから! 大丈夫だから! ちょっと余分に遅れてるだけだから! 明日、そうよ、明日には絶対に来るんだから──! 」
俺は必死になってお母様に頼み込んだ。
心配そうな顔のお母様から了承してもらって、レベル上げも休んで居室の間仕切りの中に俺は引き籠もった。
ベッドの中で、ライラが運んできてくれた食事を少し食べてはうとうとと寝て、生理が来るのを待つ。
その間、魔王にそっくりな1ダースもの赤ん坊が寝ている真ん中で、俺がもう1人の赤ん坊に母乳をあげながら魔王に次の子作りをせがんでいる悪夢を見ては何度も飛び起きた。
俺がこんな精神状態なのを心配して、男として妊娠させたけじめを付けると覚悟して隣の部屋で待機してくれている魔王に向かって、怒鳴り散らして罵倒して物を投げつけた。
げっそりとした気分で夜には横で寝ているはずの黒猫を探したが、ミッシュは俺が引き籠もって荒れ出してから居室に来なくなった。
俺は両手で顔を覆って泣いて、泣き疲れて悪夢で目を覚ましてそこら中に当たり散らしてを数時間間隔で繰り返して、3日が経過した。
でも、生理は来ない。
4日目の朝、俺は気持ちを落ち着かせて溜め息を吐いた。
うん、自分を誤魔化すのはもう無理だ。
現実を認めなきゃ。
俺は間仕切りから出て、心配して様子を窺っていた魔王とライラに謝り、魔王に頼み込んで付き添ってもらって、お母様の居室を訪れた。
「お母様、ダイカルさん、ご迷惑をおかけしました。
諦めが付きました。出産のこと、どうかよろしくお願いします。」
俺は2人に頭を下げ、魔王とお母様はまだ悪阻がないので公式に発表はしないものの、諸々の手配をすると言ってくれた。
俺は2人の声を聞きながら、やっぱりフラグどおりか。そんな感想が頭をよぎった。
だが、その夜。
俺はお腹の痛みに目が覚めた。
ドキドキしながら、トイレで確認して、初めてだけど多分間違いないと思った。
寝ている魔王を叩き起こしてメイド長のティムニアを呼んでもらい、本当に生理が来たのかを確認してもらう。
ティムニアが、そうです、と認めて手当ての準備をしに行っている間に、俺は嬉しさに小躍りして、やった、生理が来た、と叫んで居室を走り回り、額に青筋を立てた魔王に頭を極々軽く、スパンと叩かれて衝撃で部屋の隅まで吹っ飛んだ。
「みっともない、男が生理生理って大声で騒ぐな! 」
そりゃ、男が生理が来たって大喜びするのは確かにおかしいけどさ。
だって、本当に嬉しかったんだもん。
ああ、でも俺、一国の国王様にいろいろ当たって物を投げつけたり罵倒したよね。
本当に申し訳ありません。仰るとおりでございます。
俺は頭を下げてこれまでの態度を詫びて許してもらってから、お母様に報告をしに行った。
例外というのは予め予測することは難しくても、実例が目の前にあれば、あれこれと原因を推測して、何故そんなことが起こったのかの説明はできやすい。
俺の生理が遅れた原因は、再生の指輪で再生して体がリセットされて生理周期の起点がズレた上に、本来と異なる霊体が体に入ったことで体が調子を崩したせいだろうということだった。
──要はホルモンバランスが狂ったってことか。
分かってみれば納得だが、悩んでいるときには分からなかったのだから仕方がない。
ともあれ、これで俺が将来自活するための最大の障害はなくなった。
明日から、またお母様にはフルモードでお付き合いをお願いしよう。




