第七話 精霊
朝の内に出発する予定だったが、思わず魔法の練習に熱が入ってしまい、ただいま昼食中の俺とマリア。
相変わらず水の流れる音が絶え間なく響いている。昨夜のことが嘘のように穏やかな午後だ。
俺達は魔法という攻撃手段を手に入れて、余裕が出来たので、さほど急ぐ必要も無くなった。森を早く抜けることに越したことは無いが、少しくらい時間を掛けても特に問題はない。
時間経過のない収納魔法で、熱々の焼き魚と新鮮な果物を出して、のんびり舌鼓を打っている。
「しかしマリア、今は美味しいけど、これから10日以上このメニューだと流石に飽きそうだな」
「どうにもならないわよ、よぶちゃんの持ち込みで、塩とコショウがあっただけ幸せだと思う方が賢明ねぇ」
「昨夜は獣はいなかったのか? 猪とか鹿とか、今なら熊でも倒せそうだぞ」
「いなかったわぁ。狼とか熊の形をしたのはいたけど、あれはどう見ても魔物ね。狼は脚が6本あったし熊はお腹にも顔があったわ。グロのオンパレードよぅ」
うわー、それは嫌だな。
「そんな狂暴そうなのがいたら、獣も狩り尽くされてしまうか。ヤバそうな魔物はいたのか?」
「いたわよ、よぶちゃん。オーガだと思うけど大きな鬼がいたわ。私達の寝床にも届きそうな感じで、正にヤバいと思ったわよぅ」
うわー、木の上で見つかったらイチコロじゃん。
「そいつはヤバいな。皮膚も硬いんだろうなぁ。風刃が通らなかったら厳しいぞ。風弾で目を潰して逃げるか? まだ命中精度も高くないからなぁ」
「私達は、まだまだ木の上から卒業できないわねぇ」
「しまったなぁ、風魔法より先に夜間でも戦闘できるように、照明魔法を強力にしなければならなかったな」
「そうよね。ついつい楽しくて、風魔法に時間を掛けてしまったわぁ」
「後で照明弾の魔法をつくるか。しかし照明弾とか森中の魔物集めそうで、逆にヤバそうだな。それとレーザービームも作れば、オーガも殺せるだろう。光の無い夜でもレーザー出るのかな?」
「よぶちゃん、もう少し苦労した演技でもしなさいよ。お茶の間が納得しないわよぅ」
「知るか! お茶の間より自分の命が大事じゃ」
「黒いわ。よぶちゃん、黒いわよぅ」
次の休憩で光魔法を作る予定を立て、そろそろ出発しようということになった。
「よぶちゃん、あれは何かしら?」
「ん?」
森を少し戻ったところに、蟻塚のような土の固まりがある。昨日はなかったから夜の内にできたものだろう。
「魔物が穴掘って隠れているとか?」
「ちょっと見てみましょうか?」
「マリア止めておけ」
「気になるじゃない? 魔物の1匹くらいじゃ、今なら負けないでしょ」
そうでもないだろ? 戦闘経験が圧倒的に足りてないぞ。
と言う前に好奇心が旺盛なおっさんが、短槍を片手に土塊に近づいて行く。始めはチクチク刺していたマリアだが、反応がないので今度は大胆に槍で突き始める。
しょうがないなぁと思いながら、俺は川を渡るための浅瀬を探している。
「ンバッ!」
低音の、声とも言えない声がして地響きが起こる。
振り返るとマリアが地面に倒れて、ワタワタしている。横の土塊が盛り上がり、どんどんと大きくなっていく。
「マリア何やってる。早く逃げろ!」
「足を! 足を挫いて走れないのー!」
馬鹿野郎!
俺が救出に向かう間に、見る間に小山ほどになった土塊が、ゴゴゴッと音を立てて動き出す。
土が動くってなんだよ!
あり得ない光景に俺は正直ビビっている。
デカイッ! マリアに振り返るように、身体? を捻る土塊に、俺は石を投げつけて気を引こうとする。
「マリア、治癒だ。治癒の魔法で足を治せ!」
何度も石を投げるが土塊は気にしていないようだ。土塊は泥のように流動的で石を全て呑み込んでしまう。
5mはあるだろ土塊は、既に人型をとっている。地面から上半身だけが出ている感じだ。
広い肩幅の両端から長く太い腕が生え、肩の間にはチョコン小さな顔がある。首が無く肩と肩の間から直接生えたようなその顔には、目と思われる2つの窪みと、口のような穴が見える。
ヤバいぞ、こいつ。どうやって倒すんだよ! こんなデカイの! 逃げるしかねぇじゃねーか!
「マリア、まだか!」
「ダメだわ。痛みが和らぐ程度しか効かない」
焦っているからだろうか。おっさんは治癒の魔法が効かないらしい。
オイオイ! マジか? マジなのかー! どうする? どうすればいいんだ。
土塊の動きは遅い。だが着実に動いている。マリアに迫る土塊が腕を上げたのを見て、ヤバいと思った俺は「風刃」を放つ。
風の円盤が土塊の腕に当たり傷を付けるが、傷ごと呑み込まれてしまった。
すると始めて土塊がこちらを向き、振り上げた腕を降ろしながら方向転換する。
よし、やっと敵意が取れた。
俺はもう一度魔法を放ち、川に向かって走り出した。敵の動きが遅いので、対岸まで誘き寄せて森に逃げ込む算段だ。とにかくマリアから離さなければ。
俺はヒザまで水に浸かりながら、対岸へと渡り振り返った。土塊は河原の石の上を進んでくる。勢いがつくと意外に早いな。大きいからストロークが長いのか? 腰から下は相変わらず無いけどな。
「ドンッ」
川に入ったら溶けないかと、期待しながら見ていた俺は驚いた。土塊が川に入る前に何かにぶつかったのだ。まるで透明なガラスでもあるかのように…
土塊は、再び突進して大きな音を立てた後、あきらめたように再びマリアの方に振り返る。
なんだ? こっちに来られないのか?
俺は再び川を渡りながら叫ぶ。
「マリア! 土塊は川を渡れない。俺が引き付けてる間に這ってでも川を渡れ!」
「おぼれちゃうわよー!」
俺は、土塊に向かって風刃を連発すると、こちらを向きかけたのを確認して、川沿いに向けて走り出す。離れ過ぎてもダメだ。だが足場が悪いのでスピードは出せない。土塊は勢いに乗ると意外に早いので、距離の見極めが難しい。
マリアが川を渡りさえすれば、俺もすぐに対岸に逃げれば良い。それまで追い掛けっこだ付いてこい。
でもちょっと試してみるか? 魔物の核はどこだ? 頭か? 胸か? そんなことを考えながら俺は走る。そして土塊が勢いに乗る前に距離を取り、十分だと判断して振り返る。
俺は手を奴の方に向けてイメージを作る。風を圧縮するイメージ。回転しながら撃ち抜く弾丸のイメージ。高速で飛んでいくイメージ。着弾して破裂するイメージ。
勾玉から魔力が流れ始める。するとかざした手の前に、500mlのペットボトル状の物体が具現化された。ミサイルだ。ゆっくり回転しながら、更に周囲の空気を喰らっていく。
「風弾頭」
俺は土塊が手を振り上げ、攻撃体勢を取ったところで魔法を発動した。
風のミサイルが凄い勢いで土塊に向かって行く。
うーん、魔法ってやはり凄いな。急に運動エネルギーが増大して飛んでいくとか、どんな原理なんだよ。エネルギー保存の法則が無いのかよ。魔力が運動エネルギーに変換されたのかな? うーん、わからん。でも結果オーラ~イ。
圧縮空気のミサイルは、回転しながら土塊の胸に突き刺さると盛大に弾け飛んだ。土塊は左胸、左肩、頭が消失している。左手がドサリと河原に落ちる。
どうだ?
俺は逃げる体勢のまま、土塊を見つめていると、
……ドドッと地響きと共に土塊が崩れ落ちた。
周りにはベチャベチャと、弾けた土片が降ってくる。
俺は頭に降ってきた土を拭いながら、フーッと身体を弛緩させた。
「核が離れたか? 再生する前に回収しないと。いや流石に壊れたか?」
よ~ぶちゃ~ん、という緊張感の無い声に呆れつつ、マリアの方に向かって歩く。
「なんだよマリア、まだ川を渡ってなかったのかよ」
「だってー」
「変な物に触るのは止めとけって言ったよな。俺は」
「よぶちゃん、そんなに睨まないでよぅ。…ごめんなさ~い」
「ったく。余計な仕事増やすなよ」
「それより、その辺に何か落ちてきたわ。カランて音が聞こえたのよぅ」
「それよりじゃないよ…」
俺は、ため息を吐きながら周囲を見回すと
……あった。
それはすぐに見つかった。黒い湯気のようなものが立ち上がっているので、すぐに気が付いたのだ。
「何かしら! 早く拾ってきてぇ」
おっさん、さっき同じ様なことをして危機に陥ったの忘れたのか? 好奇心旺盛か? 鳥頭か?
俺が慎重に近づこうとした、その時。
「近寄らない方がいいよ」
不意に頭上から声が掛かる。
まぶしい陽光を手の平で遮りながら、声の方向を扇ぎ見ると、俺達の上空3mほどの空中に中学生くらいの男の子が浮かんでいた。
俺は理解できずに暫しフリーズしている。おっさんが目をハートにしながら語りかけた。
「あなたは、だ~れ?」
「僕はこの森の精霊さ。迷い人風に言えば森の主だよ」
「敵、……じゃないのか?」
コクリとうなずきながら降りてくる精霊に、俺は身構える。
「大丈夫、敵意はないよ。逆に感謝しに来たのさ」
「感謝?」
「僕の代わりに泥ゴーレムを倒してくれて、ありがとう」
「泥ゴーレム?」
「少し待ってもらえるかい? 先にゴーレムの核を処理したい。話しはその後にしよう」
精霊と名乗る少年は、黒い湯気を放つ物体に近づき手をかざすと、目を瞑って何やら呪文を呟いている。5分ほどして儀式を終えたのか、満足気な表情をして湯気が出ていた場所から何かを拾うと、俺達の元に歩いてきた。
精霊は、これでもう大丈夫と言いながら、野球のボール大の黒い塊を俺に手渡す。
何かの宝石の原石か、鉱物の塊かとも思う黒光りした物体は、「ゴーレムの核」だと言う。魔物は全てこの核を持ち。人間たちは、これを魔石と呼ぶと教えてくれた。
「疲れただろう? 座って話そう。その前に足を治してしまおうか」
「あら? 痛くない。手をかざしただけなのに、これも精霊ちゃんの力? 凄いのね、ありがとう」
精霊が、マリアの捻挫した足に手を当てると、即座に捻挫が治った。
精霊はすました顔で、俺達が焚き火をしていた場所に歩きだす。そして今度は、消えていた焚き火に手をかざす。ボッと1mほどの火柱があがり、その傍らに静かに座る少年。
「お茶でも飲みながら話そうか。フレッシュハーブティーだったかい? とても興味があるんだ。振る舞ってくれると嬉しい」
おっさんが賛同しながら隣に座り込み、金属製の小さな鍋とコップを出す。鍋には精霊が水を入れている。
精霊の水魔法で出たのは、水ではなくお湯だった。鍋には、すでに湯気が立っている。精霊の水魔法は、生活魔法の給水と違い、温度も自由に変えられるらしい。火にかけるとすぐに沸騰したので、マリアが火から降ろしながらハーブを鍋に投入して暫し蒸らす。
マリアがみんなのカップにハーブティーを注いでから、乾杯とはしゃいでいる。精霊は「良い香りだ」とご満悦だ。
っていうか普通に飲むのかよ。霊体じゃないのかよ! 身体からこぼれないの?
…もういいです。
「まず改めてお礼を言おうかな。森の厄介者を倒してくれてありがとう」
「いえいえ、大したことしていないわぁ」
お前はな! マリア
「まずこれを渡しておくよ」
「これは何かしら? 精霊ちゃん」
「報酬だよ。さっきのゴーレムの泥に混ざっていた宝石さ。拾っておいたよ。人間には有用なんだろ?」
俺の前には、十数個の様々な岩の塊が置かれている。鉱物のようだが、中には宝石らしきものが露出しているものもある。マリアが1つ1つ手にとっては、ハァハァ言っている。
「それと、さっきあげたゴーレムの魔石も進呈しよう。後は、これも君に渡した方が良いかな」
「あら、どうしてこれを?」
「この森で死んだ迷い人の物を回収したのさ。なかなか高位の魔導具だからね。魔物が呑み込むと厄介なんだよ」
「あら、もう6人も死んでしまったのかしら。縁の無い人達とはいえ、悲しいことだわぁ」
手渡されたピンク色の石は、俺が持っている勾玉だった。それが6個。誰かが6人死んだということだ。
勾玉は魔力の精製と蓄積ができる魔導具だ。持っているだけで使えるので、2つあれば魔力回復量と魔力量が今の2倍になる。マリアと分けても、元々のと合わせて1人4個で4倍だ。死んだ人達には申し訳ないが、有り難く使わせてもらおう。
そして「これも必要だろう」と、金貨60枚も頂いた。精霊さん有能です。
「2つは昔来た迷い人ので、今回の迷い人のは4つだよ。君達以外の他の迷い人も近々同じことになりそうだけどね」
「昨夜の感じで魔物に襲われて、まだ生きている方が不思議だ。相当強いのか」
「昨夜のような異常が起こるのは、この辺だけだからね」
「うわー、ハズレルート引いたのか俺達は?」
「人里に出るなら、どのみち似たような道を選んだと思うよ。よっぽど遠回りするか? 竜の山を通らない限りね」
そして精霊を名乗る少年は、俺達にいろいろなことを説明してくれた。
「泥ゴーレムはこの森の厄介者でね。突然現れては木々を薙ぎ倒していく。僕が討伐に向かう頃には消えてしまうから、手を焼いていたんだ」
「私達が見た恐竜の通り道は、こいつの仕業だったのねぇ」
「木を倒されると森の力が弱まるからね。早く討伐したかったんだ。それに邪気を振り撒くから余計にね」
「邪気…」
「邪神の力さ。この地は邪神の欠片が封印されていてね。僕が見張っているのさ」
「邪神って、…ラスボスじゃない?」
マリアの顔が青ざめている。
精霊曰く、太古の神々の戦争に敗れた、神の一柱が、この世を呪いながら爆散した物の1つだとか。
少年精霊は、この地を守り、定期的に封印を締めるために、神に使わされた高位の精霊で、人前に顕現したのは初めてであり、人型をとるのも初めてと言うことだ。
ハーブティーが飲みたくて、人型になって俺達に近づいたと、あっさり白状した。
ゴーレムについては、精霊の知らない間に邪神の封印が緩んで、ゴーレムの核に力の極一部が流れたのだそうだ。ゴーレムが動く度に邪気が振り撒かれるので、森の魔物が邪気に当てられ凶暴化しているとのこと。
ゴーレムはいつでも土に帰れるので、今まで取り逃がしていたが、土の無い河原に出たのでチャンスと思い駆け付けたら、すでに倒されていてビックリしたと言った。
「良く倒せたね。人間が倒せるような代物ではないのだけれど、逃げずに立ち向かってくれて嬉しいよ」
「逃げようとはしたんですよ。川からあっちには行けないようだったので…、この馬鹿がいなければですがね」
「ひどいわー、よぶちゃん」
「かしこまった喋り方はしなくても構わないよ。そちらの彼? 彼女? みたいにね。人間の性別は複雑なんだね。それで話しに戻るけど、川には僕の結界があってね」
邪気に当てられた魔物を逃がさないようにと、何年か前に精霊が結界を張ったようで、人間には効かないと言うことだ。
「森の木や獣が減ると、森が維持できないからね。邪気に当てられた魔物を、早急に倒してしまいたかったのだけどね…」
「精霊ちゃんなら魔法でチョチョイじゃない?」
「ゴーレムは昼も出現するのだけれど、神出鬼没で捕まらないし、魔物は精霊の力が弱まる夜間しか、活動しなくなってしまって、ホトホト手を焼いていたんだ」
「まあ、苦労していたのね」
「ゴーレムは倒せたけど、他の狂った魔物はどうするんだ? 夜間しか活動しない魔物は手を出せないのだろ?」
「いや、力が弱まると言っても、ゴーレム以外には遅れはとらないさ。それに邪気を振り撒く存在が居なくなって、これ以上増えることもないし、地道に倒すさ」
「よぶちゃん、もう一晩ここにいて討伐をお手伝いしましょう」
うわー、マリアの変なスイッチが入ったぞ。これは
「いやいやマリア、無理だろ? 暗闇だぞ」
「照明弾を作れば良いわ」
「作るの俺だし! 昨夜の見ただろ? あんな狂暴なのに囲まれたら、ひとたまりもないぞ」
「よぶちゃんは、こんなに可愛らしい子供が困っているのに見捨てるの? 友達を置いてトンズラこくなんて、私はそんな風に育てた覚えはありませんよ」
勘弁してくれ。おっさんに育てられた覚えは俺にもないぞ。一度お茶しただけで友達になるなよ! 命かけるなよ! 俺を巻き込むなよー!
「いや、僕も人間には厳しいと思うよ。怪我されても寝覚めが悪いしね。そこまでは求めていないから」
「精霊ちゃんは黙っていて! これは私とよぶちゃんの問題よ」
「……」
精霊さんを睨むなよ。ショボンとしちゃったぞ。