第六話 接敵
食事とフレッシュハーブティーで身体も温まり、ウトウトと微睡みかけたとき、マリアが俺を揺さぶり起こす。
「鳥の鳴き声が聞こえたわ。グゲーって気味の悪い声」
「マリア、森なんてそんなも…」
そんなものだろうという言葉を、俺は最後まで口にできなかった。そうだここは未知の大陸だ。さっきまで鳥や動物の鳴き声などしていなかった。
だが今は、どこから湧いたのかホーだのゲーだのまるで挨拶を交わすように、あちこちで鳴き声が聞こえてくる。
俺はコップを収納してからマリアを促し、寝床に向かおうと立ち上がった。
「マリア、寝床に行こう」
「その方が良さそうね」
ガサッ、近くの草むらが揺れたと思ったら何かが歩み出てきた。
150㎝ほどの小柄な体躯で、二足歩行のその生物は、明らかに俺の知らない何かだった。背が曲がり、前傾姿勢な上に、顔は猿のように前に飛び出ている。一見類人猿のようだが、体毛は少なく、皮膚の色が緑色だ。
生物は、呆けている俺達に気が付くと、手にした棍棒を振り上げ、叫びながら襲い掛かってくる。開いた口からは涎が飛び散り、小さな目が血走っている。
マリアは、ヒッと言いながらも槍を構える。流石は身体を鍛え上げているだけはある。顔は怯えているが構えは自然だ。
俺はさっきの大山椒魚の急襲で、こんなんには慣れたんだよ。と心で思いながら、襲ってきた緑色の魔物を槍で突く。足場は悪いが上手く行ったようだ。
俺の突きが魔物の左目に刺さり、グギャっと声を上げた魔物の首に、マリアの追撃が突き刺さる。ドサッと崩れ落ち、呆気なく倒された魔物。
マリアは、まだ信じられないという顔で魔物を見ている。
「マリア、急げ! ずらかるぞ!」
その判断は正しかった。マリアと俺が寝床の木に登って、ロープに結び付けた槍を手繰り寄せた頃、グゲグゲと声を上げながら、3匹の新たな魔物が現れたのが見えたのだ。
血の匂いを嗅ぎ付けたのか、緑色の3匹は興奮しているようだ。倒された同じ魔物を見つけると一心不乱に喰らい付く。
ヤバかった。逃げるのが少し遅かったら、血の匂いに誘われた魔物の相手を延々とさせられるところだった。
俺達が樹上に逃げるように登ったあと、すぐに魔物が3匹現れた。それらは同じ魔物の死骸を貪ったあと、どこかへ行ってしまったが、しばらくすると6本脚の狼のような魔物が数頭現れ死体を喰らう。そしてその後は別の魔物だ。後から後から現れる魔物に、俺達は寒気を覚えた。
すっかり暗くなって周りが見えなくなった。光がまったく無い世界にきたような、深い闇に包まれている。俺はキャンプが趣味だったので、こんな闇も経験がある。
マリアは初めてだったのか「こんなに暗いの」と驚いていた。
俺達は用意していたロープに体を委ねる。少し上の枝を通して垂らされたロープは輪っかになっており、体を通して脇の下で挟めば、寝ている身体を支えてくれる。これで木から落ちずに眠れるはずだ。
しかし、あれは何だったんだ? 猿みたいに口と鼻がせりだし、大きな口には牙が生えていた。鼻は大きかったが目は小さかったな。デコと頭には、何本か角みたいなの生えていたし、グロかったなぁ。ここの魔物はグロ系かよ。勘弁して欲しいぜ、まったく。
それにしても今回は上手く倒せたけれど、多数に囲まれたらヤバいな。あんなのばかりなのか? 当分、樹上生活になりそうだぞトホホ
闇に目が慣れた頃、マリアが小さな声で話し掛けてきた。まだグゲーやらホゲーやら、遠くで得体の知れない何かが鳴いている。
「間一髪だったわね、よぶちゃん」
「ああそうだな、しかし失敗したよマリア。焦って、槍を魔法で収納するのも忘れて持って来てしまった。今は収納しているけど血の匂いとか大丈夫かな?」
「逃げられただけマシよ。それより何なのよあれは? 突然襲ってきて好戦的過ぎるでしょ。やはりゴブリンだったのかしら?」
「初めは類人猿かと思ったけど、ゴブリンだろうな。明日図鑑で調べよう。しかしグロかったなぁ」
「そうね、ビックリしたわ。ゲームや漫画だとかわいいのもいるけど、さっきのは好きになれそうにないわね」
「まったくだな。しかし上手く連携が取れて良かったよ」
「必死だったわよ。よぶちゃんが先制してくれなかったら私、動けなかったかもしれないわ」
「そういうのは経験だな。次は上手く出来るんじゃないか? 俺はワイバーンを見て決意みたいなのを持ったし、ウォータードッグと戦ったからな」
「そうだといいけど私、昼間は敵に会わなかったから、どこか舐めていたんだと思うわ。木の上なんて馬鹿らしいと思ってた。ごめんなさい」
おっさんは心底済まなそうにしている。
「いいさ、俺も同じこと思っていた」
「フフ、今日は眠れないかもしれないけど、あとは静かにしているわ。魔物観察でもして情報も得なければいけないし」
「ああ頼むよ。俺は ずだ袋を被ってマニュアルを読むから、何かあったら教えてくれマリア」
「よぶちゃん、目に悪いわよ」
「死なないための、そのイチさ」
俺達は、高い木の中間辺りの枝に股がっている。下にも上にも枝が多数張りだしており、横も上も木の葉が生い茂っている。少々の光は気が付かないだろう。
マニュアルの光量も落としているし、ずだ袋も被っている。念のため、ずだ袋の隙間を埋めるように木の葉の繁った枝も配置した。これでゆっくりと勉強に勤しめるはずだ。
空が明るみ始めた頃、俺はマリアに揺すられた。俺がガサガサとずだ袋から顔を出すと、おっさんが明らかに寝不足の顔で話し掛けてくる。
「あら、おはよう。衝撃の一夜を明かした感想は如何かしらぁ」
「おはようマリア、目にクマがあるぞ。お互い、あまり良い睡眠は取れていないらしいな」
「あら嫌だ。鏡が欲しいわね。でも私は随分寝られたわよ。疲れていたのかしらね。いつの間にか寝ていたわ」
「俺も結局、何度か寝落ちしていたよ」
「起こしてしまって、ごめんなさいね。お花摘みに行きたくて、降りても大丈夫かしら? ずいぶん前から鳥の鳴き声はしていないわぁ」
「ああ、そうだな。いつの間にか静かになっているな。もう大丈夫だろう。試しにマリアが先に降りてくれ。俺は大丈夫だと確認できたら降りる」
「冗談は止めてくれないかしら? こういう時は紳士が先に降りて、エスコートするものよぅ」
俺達は慎重に周りを確認して、地面に降り立った。硬い枝に股がっていたため尻が痛い。身体もゴワゴワだ。
尻をトントンと叩いて解し、大きく伸びをする。これが毎日の日課にならなければいいのだけれど、などと考えながら俺は川に洗顔に、マリアは森に花摘みに行くのだった。
昨日の戦闘跡を確認しに行くと骨も残っていなかった。河原の石にゴブリンの血であろう、緑色のシミが残っていることで、昨日の出来事が夢では無かったことが伺える。
それを確認すると俺は川で槍の血を落として、マリアは火を焚いて湯を沸かした。フレッシュハーブティーが何とも言えない気分を解す。
今日も暑そうだと空を見上げる。死と隣り合わせの一夜を明かし、俺もマリアも少し逞しくなった感じがした。
「ハーブティーに癒されるとはな。あっちの世界じゃあなかったよ」
「私は草花が大好きだから、ハーブティーも良く飲んでいたわ」
「マリアは薬師になれるんじゃないか? 治癒の魔法はあるけど、全て直せるとも限らない。病気や怪我には薬も必要だろう」
「それは良い考えね、よぶちゃん。マニュアルに、どれだけ情報があるか分からないけど、勉強してみるわぁ」
「そうだな、昼間に歩く時に休憩時間を多目に取ろう。その時に勉強すればいい。やはり夜の勉強は堪えたよ」
「だから止めておきなさいって言ったのに」
そんな会話をしながら、俺達は朝食の準備をする。魚は焼いてあるので果物を切るだけだが、夜間の非日常から解放されて、日常を取り戻したような感じがして嬉しかった。
「ところで魔物観察はできたのか?」
「ええ、よぶちゃんが貸してくれた望遠鏡は凄いわね。真っ暗闇でも見えるなんて、白黒だから色までは分からないけど、いろいろな種類の魔物が、入れ替わり立ち替わり川辺に現れたわ。さながら百鬼夜行のようだったわよぅ」
「赤外線暗視スコープだからな。しかし木の上の寝床といい、百鬼夜行といい、元の世界じゃ絶対に味わえない経験だな」
「何、綺麗にまとめようとしているの! こんな非日常は味わいたくもないわよぅ」
同感だな、早く街の宿屋のベッドで寝たいよ。
俺達は朝食が終わり、焚き火を落とす前にもう少し魚を獲ることにした。マリアも初めは銛突きが上手くいかなかったが、コツを教えたらそこそこ突けるようになった。
なんとなく、元の世界でソロキャンプをしていた頃を思い出す。危険なく自然を楽しめた あの頃が懐かしい。
俺は昨夜、マニュアルを読んで得た知識を試そうと思っている。
この大陸の人間には、魔力精製器官と呼ばれる内臓があるらしい。大気中の魔素を取り込んで魔力に変換する器官だそうだ。
変換した魔力を蓄積するのも、その器官らしく、蓄積魔力量や変換速度は人によって違うそうだ。魔法の得意、不得意はこの器官によって決まるそうだ。
この器官は、俺達には勿論ない。だが支給されたピンクの石、つまり勾玉が魔力精製器官の代わりとなる。この勾玉が大気中の魔素を取り込んで、魔力を精製、蓄積するのだ。
魔法は脳内のイメージに魔力を混ぜ込んで、物や現象を具現化できるのだと書かれていた。
これを読んだ時に俺は、勾玉から俺を通ってマニュアルに向かう魔力を感じた。そしてなんとなくだが、魔法の何たるかを理解したように思えた。
そして今、手の平の上に風が渦巻くイメージをしている。勾玉から魔力が流れて風の球が具現化する。
ソフトボール大の風球が、手の平でヒューヒューと音を立てて回っている。俺は視線を対岸の岩に向け
「風球」
と唱えた。すると頭で考えたイメージ通りに、手の平の風球が岩に向かって凄まじい速さで飛んでいき、岩に当たってボンッと弾けた。
同時に頭の中に魔法陣が浮かび上がり、「風球の魔法」が脳内に登録された。今後は今みたいに、いちいち詳細なイメージをしなくても、「風球」と唱えれば同じ魔法が発動されるようだ。威力を変えたいときはイメージと魔力を追加すれば良い。
「よぶちゃん、今の音は何かしらぁ?」
「マリアか。見ていたのか? すまないサボリだ」
「いいえ、音がしたから来てみただけよ。サボってちゃダメじゃないのぅ」
「昨夜、勉強したことを実践してみたんだ。ちょっと休憩がてら、やってみただけだから許してくれ」
「実践って?」
「攻撃魔法さ、見てろよ」
今度は手の平に、平たい円盤状の風がヒュンヒュン唸りながら現れる。
「風刃」
と唱えると、先程砕けた岩とは別の岩に向かって、凄まじい速さで飛んでいき、ガッと突き刺さって消えた。
続けて手の平に、ビー玉くらいの小さな弾が現れる。風球を圧縮したものだ。同じように「風弾」と唱えると共に、岩に飛んでいき、めり込んだ風弾が岩と共に弾けた。
「な、何なの? よぶちゃん」
「だから攻撃魔法さマリア、これでゴブリンなんかに負けないだろう」
「呆れた。あなた昨日の今日で何なのよぅ」
「やらない方が良かったか?」
「そうじゃないでしょ、魔法乙女戦隊のリーダーの座がピンチじゃないのぅ」
いやいや、そっちがそうじゃないでしょ!
俺、乙女じゃないし!
戦隊入ってないし!
リーダー狙ってないしー!
もー、このおっさん嫌ぁー!
この後、おっさんがゴネまくったので、急きょ1時間ほど魔法教室を開くことになった。マリアは、自分はヒロインやるから、リーダーの座は譲るので魔法を教えなさい。とか訳のわからない理屈を述べていた。
「この大陸の攻撃魔法は、火水土の3属性だ」
「火水風土の4属性じゃなくて?」
「ああ、うちらの常識だと4属性なんだけど、こっちは3属性なんだ。風がない」
面白いことに、こっちの世界には風魔法がないらしい。
マニュアルで「風」を検索すると、風という言葉はあるが、研究者などが使う専門用語であり、一般人は、風の威力によって「精霊の囁き」「精霊の嘆き」「神の呟き」「神々の怒り」と言うそうだ。
使い方は、そよ風がふいたら「精霊の囁きが心地良いですね」とか、台風がきたら「神々の怒りが凄かったですね」とか言うらしい。
息をフーッと吐くのも、手でパタパタ扇ぐのも風ではなく、空の魔力(イメージの載ってない魔力)が発生していると、認識しているのだそうだ。ふいごで風を送るのも、ふいごの不思議作用だと思われているらしい。
俺の勝手な憶測だが、たぶん空気を認識していないから、風をイメージできないのだと思う。
風は空気の揺らぎだ。だから空気が分からないと、目に見えない何かが肌に接触したのは感じても、理屈が分からないので、脳内でイメージが出来ないのではないかと思う。
透明なものが目に見えない動きをしても、イメージできるはずがない。空気の存在を知らなければなおさらだ。
そもそも精霊や神が絡んだものを、人間が使うのは烏滸がましいとか、思っているのかもしれないけどね。
そして光魔法はあるが、攻撃魔法がないので攻撃魔法の属性には入らない。レーザービームとかソーラーレイとか分かるわけがない。
聖魔法には攻撃魔法の「聖なる浄化」があるが、アンデットにしか効かない特殊性から、属性に入っていないのだとか。
「よぶちゃん、さっき風魔法を使っていたじゃない」
「俺は空気の存在を知っていて、風が起こる理屈を知っているから風魔法を作った」
「作ったって、そんな簡単に…」
「誰も使わないなら対策も取られてないだろうし、初見殺しで有利だろ?」
「まあ確かに…。でも納得できないわぁ」
「じゃあ、マリアはさっきの魔法を使わないんだな」
「ええー? 私にも使えるの?」
「ああ、簡単だ。こっちの魔法はイージーモードだからな」
「わー、ごめんなさい。教えてください」
俺は手の平に魔法陣を浮かび上がらせる。マリアに、手を置いて「インストール」と唱えるように言うと、マリアがそれを行う。何度か繰り返し、先程の魔法の魔法陣をマリアの脳内に登録する。
「風刃」
マリアがかざした手の平から、風の円盤が飛び出し岩を傷付ける。
「凄~い、私にも出来たわ。これでグロリンなんか首チョンパよぅ」
大興奮だ。おっさんじゃなければ微笑ましいのだけれど…。
こうして俺達は攻撃魔法を手に入れて、習熟の為に練習して昼を向かえた。