第四話 森
俺とマリアは再び森の中を黙々と歩いている。どこに向かえば正解なのかは分からない。ただ早急にやらなければならないことは分かっている。
安全な寝床、水、食料の確保だ。目標は森から出ることだが、それを達成するにはこれらが必須だ。
最初の広場でワイバーンを目撃したため、ここは元の世界とは違う場所であることは明らかだ。
元の世界の常識がどこまで通用するかも分からない。
夜ともなれば、更に危険だろう。夜になる前に、安全な寝床を確保しなければならない。
水と食料も手持ちが少ないので、早めに確保しなければならないのだが、例えば見たことのない果物を見つけても、食べて良いものなのか判断が付かない。
毒とかないよな? 早い内にマニュアルを調べて、情報を得ないとダメだ。
この森は比較的木がまばらで、高さも然程高くない。ワイバーンに見つからない程度には俺達の姿を隠してくれて、歩き難くもない。しかも、短槍を振り回しても邪魔にならないので戦闘も行える。
木の間隔が程よく開いているので、木の上の状況が少し伺える。そんな木々の間から、一際背の高い木があることを俺は確認している。
最初の広場から歩き始めて、チラッチラッとたまに視界に入るその木は、周りの木々の倍の高さがある。
あの木に登れば、少しは森の情報が掴めるのではと思い、そこを第一目的地と見定めている俺はたまに立ち止まっては地面を調べたり、マリアの足の心配をしたりしながら、ユルユルと歩を進めた。
先程の休憩で疲れがとれたのか、歩きながらマリアが度々話し掛けてくる。
「よぶちゃん、何処に向かっているのぅ?」
「さっきチラッと背の高い木が見えたから、そこに向かっている。木に登って周りを見渡したい」
「あら、こんな状況で目標を見定めて行動しているなんて、偉いわねぇ」
「あと1時間も歩けば着くだろう。木に登って森の端までの距離、水場の有無、安全そうな場所なんかがわかれば助かるんだが」
「流石、キャンプ王は違うわねぇ」
脱力すること言わないでくれ。
「マリア、とにかく、早目に安全な寝床を確保しないと、ヤバそうなんだ」
「なぜかしらぁ?」
「最初の広場から遠ざかるほどに、獣の足跡が増えている。でもまだ心配するほどではないな。獣以外の足跡も確認したけど、姿はまだ見ていない」
「昼に姿を見せないってことは、つまり夜行性ってことなのかしら?」
「分からない。その可能性は高いし、あの広場が特別なのだと思う。ワイバーンの狩場だから、他の魔物は、昼間は隠れているのかもしれない」
「昼はワイバーン、夜は他の魔物ってわけね? 初っぱなからやってくれるわね、あの馬の野郎は! 初めてはスライムがゲームのセオリーでしょ!」
「本当、いきなり微妙だよな。全然、魔物に会わないのは助かるけど、魔物がいるのは確実だ」
「広場に敵が近づかないなら、その近くの木に隠れながら、暮らせば良いのではないかしらぁ?」
「マリア、食料と水が確保できるならそれも有りだけど…」
「確かに…」
俺達は、一際高い木を見上げている。杉に似た木で4~50mはあるだろう。周りの木に比べて2倍以上ある。太さはそれほどでもないが、手を掛けられるような枝は10mほど上だ。
「よぶちゃん、これに登るの?」
「そんなに太くないし何とかなる。俺は上で情報を探るから、30分ほど掛かるだろう。マリアは、適当な木に登って隠れていてくれ」
「木の上に? あの辺りの木なら、枝に届きそうだから登れると思うけど…」
「ああ、この辺りには、野犬か狼の足跡が多数ある。念のためマリアは隠れていた方がいい」
「怖いけど気配は感じないわ。果物とか、食べられそうな野草とか、探した方が良いのではないかしらぁ」
「マリアは見たことのない果物とか、平気で食べられる方か? マニュアルで調べてから、手を出した方がいいんじゃないか? 情報が有るかも分からないけど…、幸い少しだけど食料はあるから、確実な方を取ろう」
「確かに納豆やナマコを 初めて食べた人の心境になりそうね」
「あと手持ちの食料と水は、なるべく節約してくれ」
「分かったわ、よぶちゃん。木に登ってマニュアルとやらを調べてみるわ。私も少しは役に立たないとねぇ」
俺はバックパックから、ザイルを出して脚縄を作り、足に付け、手には手袋をはめると、木とザイルの摩擦を使いながら、尺取り虫のように木を登る。枝に手が届けば、後は普通の木登りだ。
30mほど登っただろうか、かなり見晴らしが良い。
上空を見回すがワイバーンの姿は見当たらない。周囲は同じような景色で、広い森なのだと知れる。
森を抜けるのにどれ程掛かるのか、検討も付かない感じに項垂れる。せめて岩場でもあれば、寝床にできるかと期待したが、どこまで行っても木ばかりだ。
それから俺は、バックパックから望遠鏡を取り出して、周囲を詳しく観察してみた。
木から降りた俺はマリアに合流しようと、マリアが登ると言っていた木に近づいた。マリアが木から顔を出して、手を振っているのが見えて、シュールだと思ったのは秘密だ。
「よぶちゃん、どうだったの?」
「あまり芳しくないな。無駄だったとは言わないが残念な報告の方が多いよ」
「仕方ないじゃない。そんなに落ち込まないでぇ」
「マリア、そっちはどうだった」
「もう、大収穫よぅ。見て見て、ジャジャーン!」
マリアが、手に持ったマニュアルの画面を、俺の顔前に突きつける。そこには五角形を崩したような、茶色の図形が描かれており、周りは青く塗りつぶされている。
この大陸の地図なのだろう。茶色い大陸の部分は何も書かれておらず、外形しか分からない雑なものだ。
マリアがマニュアルを2人で見られる位置に移動して、画面を太い指でスワイプする。すると大陸の右下辺りが拡大されて、茶色と青色に加えて、緑色の部分と赤い点が表示される。
「地図か? マリアお手柄だな」
「そうよぅ、よぶちゃん。もっと褒めてくれてもいいわよ。ほらもう少し拡大すると、この黄緑色の丸が最初の草地で、赤が私を示しているのよぅ」
「凄いな、尺度が無いから距離は分からないけど、十分に役に立ちそうだ」
俺も画面に指を這わせて操作してみる。地名のようなものはなく、緑色のこの森と思われる部分以外は、ほとんど茶色か青色だ。
うーん、実際に目にしないとマッピングされないのか? だったら凄い機能だな。俺は、森が全て見える位置に地図を戻して、樹上で見たことをマリアに説明した。
「上で見た感じなんだけど、森を抜けるのにかなり距離がある感じだ。おそらく10日以上は掛かるだろう。
この画面で見た通り、森の右側と下側は海だ。上側には、こんな感じで高い山が連なっていた」
俺が、画面上の連山がある位置を指でなぞる。すると画面に、連山を思わせる絵が浮かび上がった。
「あらまあ不思議ね、絵が追加されたわぁ」
「自動マッピングってやつか?」
普通のコンピューターゲームなんかだと、眼で見た場合や、実際に行かないとマッピングされない。このマニュアルはマリアのものなので、マリアが森と認識した部分しか、地図に反映されていなかったのだ。
だが俺が山を見て、それをマリアに教えただけでマップが更新されるとは、自動マッピングだけでも凄いのに、話を聞くと絵が追加されるとはマジ凄い技術だなこれ!
「凄い魔法ねぇ」
「マリア、凄いけど魔法かは分からないぞ。案外、誰かがリモコンで操作してるのかもしれない。テレビ番組と言いながら、一度もカメラなんか見ていないし、何か上手く隠れる方法があるんじゃないか?」
「それも含めて、魔法なのではないかしら? よぶちゃん、あなた船内では魔法を信じていたのに、目の当たりにすると疑うなんて素直じゃないのね。
本当、男子ってそういうとこあるわぁ」
お前も男子だから! しかもおっさん属性ですから! 図星を突かれると何か悔しいなぁ。
ワイバーンを見たってのに、何処か現実から目を反らしたい気持ちが大きいんだよなぁ。
「そんな、よぶちゃんに現実を見せてあげるわ。私のもう一つの収穫をその目に焼き付けなさぁい」
そう言うとマリアは、俺の目の前に右手を差し出し、人差し指を立てて「着火」と唱えた。するとどうだろう、人差し指の上にポッと小さな炎が現れた。
魔法と言うには余りにも地味だが、俺は感動に打ち震えながら、その火に手を近づける。
「あちっ! 本当に魔法があるのか?」
「他に何かあるかしらぁ! 私は手品師でもガスコンロでもなく、魔法乙女戦隊マ~リアちゃんだったのよぅ」
戦隊ってなんだよ! しかしスゲーな、本当に魔法があるのかよ。異世界なのかよ。ファンタジーなのかよ。ウオーッ、血が滾ってきたー。
「着火! あれ? 俺には使えないのか?」
「フンスッ! 選ばれた乙女のみに許された力なのよ。あなたに試練を受ける覚悟はあるのかしらぁ?」
「試練を受ければ俺にも使えるのか? やる、やります。やらせてください」
「よろしい。ではまず…」
……試練などはなかった。ようはマニュアルから、魔法をダウンロードすれば誰でも「着火」「給水」「灯火」などの、基本の魔法が使えるようになるらしい。後でやってみよう。
「マリア、話が反れたけど地図の話に戻るぞ。俺のマニュアルのマップを見てくれ。俺もさっき話してて気が付いたんだけど…」
「あら、よぶちゃん、さっきの私の地図とは少し違うわねぇ」
「そうなんだ俺の地図は、俺が木の上で実際に見た情報が追加されてる。これから説明してマリアが認識すれば、マリアの地図も更新されるだろう」
「本当、魔法って便利ね」
「それでだな、この緑色の範囲が森で、俺達は中心に近い所にいる。この画面で森の上側が、さっき言った連山だ。俺達の今の装備では越えられそうもないし、ワイバーンの住みかのようだ」
「あら恐いわぁ」
「見て分かるように、森の右手と下側は海だ。そして森の左手は、大陸の中心に向かう方向なのだが、こっちにも小規模な山が連なっている」
「あら嫌だ。陸の孤島に閉じ込められているの?」
「いや、森の左手の山は切れ目がある。この部分だ」
「山とは絵が少し違うようね?」
「ああ、望遠鏡で見たら砦のようだった。山の切れ目をふさぐように、木の柱を建てた壁があるのがチラッと見えた」
「砦の向こうに、街があるということねぇ」
「そうだな、壁のすぐ裏なのか少し離れているのかまでは分からないけど、近くに街があると思う」
画面で森の上側は連山だ。ワイバーンもいるし、こちらに行くのは無い。右手は戻る方向だが、海があり魚が取れるので、食料の心配はないであろう、しかし飲料水があるかは分からない。山が近いので湧水や川があるだろうが、生活は大変だろう。下側も同じだ。そうマリアに説明して話を続ける。
「そんなわけで、進路は左手の砦を目指すことにする」
「ええ、よぶちゃん、異論はないわぁ」
「マリア、進行方向が決まったところで食料の情報はあった?」
「ええ、ばっちりよぅ。マニュアルに初期地の情報が載っていたわ。ここに食料の注意が書いてあるのよぅ」
◆川の水は煮沸すれば飲める。
◆動物は元の世界と大差はない。多少外観に違いはある。生食厳禁。
◆魔物は千差万別。美味もあれば外れもある。素人判断はするなかれ。
◆魚は派手なものほど危険があると思え。地味なものほど安全に食べられる。ただし生食厳禁。
◆果物は大抵が安全に食べられる。一部危険なものは図鑑を参照のこと。
◆キノコ類は危険なもの多数あり。素人は手を出すな。
◆野草類は食用、薬草、危険なものもあり、図鑑を参照に、慎重に選別する必要あり。
と書いてあり、各種図鑑が別に載っているみたいだ。
「おお、親切だな。途中で果物があればいいな」
「大丈夫よ。日頃の行いがいいから、おいしい果物ザックザクよぅ」
そしてマリアは他にも情報を得ていた。
まずレベルアップは無い。
ゲームやラノベでは魔物を倒すなどの戦闘経験を積むと、レベルアップしてHPやMPが上がったり力が上がったりする。
しかしこの大陸では、戦闘経験により戦闘を上手くこなせるようにはなるが、レベルアップの恩恵はないそうだ。
まあ、当たり前だ。レベルアップで力の上限が簡単に上がるなら苦労はない。身体を鍛える必要もないし、オリンピックでアジア人が、欧米人や黒人に圧勝できるだろう。現実的には、能力の低いものがいくら鍛えても、身体能力の高い者には、おいそれとは敵わない。
ここは異世界とは言え現実だ。不足部分は知恵や装備などで補っていくしかない。でも他国の軍人に比べて能力だけじゃなく、装備の面でも圧倒的に不利なんだよなぁ。ため息しか出ないぜ。まったく
そして重要ではないが参加者の情報一覧があった。
100人分の名前、力の参考値などが乗っている。力は、ある基準を元に算定しているらしい。原住民の平均値も載っていた。
特筆すべきは俺の能力だ。参加者中でダントツ最下位だった。軍人、原住民、囚人、全てに負けている。
もー嫌になるな。俺は生きて帰れるのだろうか。
見なかったことにしよう。気を取り直して出発だ。進行方向よーし、食料情報よーし、出発進行ー!
おっと出発の前に少し復習だ。
「マリア、一応復習だ。俺達は今、森のほぼ中心にいる。砦を目指して森を抜けるのに、10日以上掛かるだろう。
その間歩き続ける為に、食料と水を確保しなければならない。あと睡眠は、木の上になると思うから覚悟してくれ」
「木の上? 火を焚いて野宿じゃいけないのかしらぁ?」
「分からない。状況次第だ」
夜に火を焚くと遠目から目立つ。最初の広場で別れた囚人に発見されるかもしれないし、ワイバーンが襲ってくる可能性もある。
元の世界と違って、獣が火を恐れるとは限らないのだ。
俺は地面に人の素足のような、足跡がついているのを確認している。人間なら靴を履くはずだ。まだ見ていないがオークや、ゴブリンといった魔物がいる可能性は大きい。それらが火を使わないとは限らない。
火を恐れない魔物は、逆に火の近くには人間がいると思い、襲ってくるかもしれないのだ。
夜には火を消して木陰で寝れば良いかもしれないが、夜行性の獣は夜目が利く。見つかったら、こちらは暗闇では戦闘できないだろう。
マリアは「照明」の魔法があると言っていた。上手く全体を照らしてくれるのだろうか? 早めに試した方が良さそうだ。
今は、情報や経験が圧倒的に足りていない。木の上に隠れてやり過ごす以外に、俺達に手はないと思う。木の上なら仮に見つかっても、四足獣は容易に上がれないし、こちらは上から槍で突ける。
逆にゴブリンなどが、弓で攻撃してくると厄介だが、その時は覚悟を決めて、飛び降りて逃げるしかない。
下は、コンクリートのような硬い地面ではないから、怪我はしないだろう。最初の草地の方向に逃げれば、追ってこない可能性もある。後は運を天に任せて、闇雲に走るだけだ。
とはいえ木にぶつかってアウトだろうな、やはり見つからないのが一番だ。
夜の森が、どのような感じなのか見極める為にも、今夜くらいは木の上で寝て状況を確認しなければならないと思う。
「マリア、火を焚くのは、魔物や囚人に俺達の居場所を教えるようなものだ。ワイバーンやゴブリン、囚人達が火を恐れると思うか?」
「あわわ、よぶちゃん。ワイバーンに、パックリいかれてる映像が浮かんだわぁ」
「ワイバーンが鳥目とは限らないからな。逆に火を使わないと、暗闇での戦闘になるかもしれない。
マリアは経験あるか? 元の世界の夜と違って、真っ暗闇だぞ。照明の魔法はどんな感じなんだ? 試したのか? 近場を少し照らすくらいなら、逆に見え辛くないか?
まず今夜の様子を見て大丈夫そうなら、明日から地面で寝れば良いじゃないか」
現実が見えてきて、マリアの顔は蒼白だ。元の世界の安全なキャンプとはわけが違う。判断を誤れば何が起こるかわからないのだ。
「ごめんなさい、よぶちゃん。大人しく木の上で眠ることにするわ。でも落ちないかしら? 心配だわぁ」
「俺がロープを持っている。ロープで輪っかを作って自分の両脇を通すんだ、余ったロープを頭上の枝に通してから、足元の枝に固定すれば安心して眠れると思う」
「よっ! ミスターキャンプ!」
「マリア、おだてても何も出ないぞ。それに元の世界じゃ必要ないから、俺だってそんな寝方したことないぞ。今考えた、ただの思いつきだ」
「不安になること言わないでちょうだい」
俺だって、この大陸は初めてなんだからしょうがないだろう。
「さてとマリア、そろそろ行こうか?」
「お日さまの感じだとお昼くらいかしら? ついさっき草地で目覚めのが、嘘のように濃い時間を過ごしたわ。よぶちゃん、今日はあとどのくらい歩く予定かしらぁ」
「さっき木の上で見た時に、森の途中に切れ目のようなものが続いていた。多分あそこに川がある」
「あら素敵、水浴びができるじゃない?」
「多分、ここから2時間くらいだろう。魚もいるはずだ」
「まあ、早く行きましょう」
こうして俺達は、川と思われる場所を目指すこととなった。