転生侍女の平凡なる日常 1
わたし、王宮侍女フェリス・ガードナーの朝は早い。
日の出と共に起きると寮の周りをランニングし、中庭で軽く剣の素振り。終われば自分の部屋でシャワーを浴びて、クリーニングした侍女服に袖を通す。そして、チーズをトッピングした野菜サラダを食べて、今日も出勤する。
まさに、朝活女子って感じね!
規則正しい生活をしているってだけで、ちょっと自分に自信が持てるから不思議だ。わたしは鼻歌交じりで侍女の詰め所へと向かう。
「おはよう、フェリス!」
ポンと肩を叩かれて振り向くと、そこには少し背の低い可愛らしい顔立ちの侍女がいる。
「おはよう、ライラ。今日は早いのね」
彼女、ライラ・ミルワードはわたしの同僚だ。一見、わたしと同い年ぐらいに見えるが、彼女はわたしの7歳上で侍女の中でも古株だ。実家が没落寸前の貧乏男爵家で、家計のために働いている。この国では珍しい、キャリア志向の高いバイタリティーのある女性だ。
一応、ライラの方が先輩だが、わたしの方が身分が上ということもあり、お互いに呼び捨てだ。今では仲の良い友人である。
「ちょっとー、いつも遅刻しているみたいじゃない。いつもギリギリだけど間に合っていますー!」
膨れっ面のライラを見てクスリと笑みを零し、たわいもない雑談をしながら歩き出す。
王宮侍女の詰め所は2カ所あり、わたしとライラは下級侍女の多い衛生部門の扉を開けた。
「おはようございます」
ハッキリとした声音で挨拶をすると、先に来ていた侍女たちが笑顔で挨拶を返してくる。始業時刻までまだ20分ほど時間があるが、既に全員揃っていた。
「フェリスさんとライラさんもお茶飲みましょうよ」
侍女の一人が程よく冷ました紅茶の入ったマグカップを差し出す。
「ありがとう」
マグカップを受け取り、紅茶を一口飲む。給仕のプロである侍女が淹れただけあって、紅茶の風味が爽やかだ。
「昨日、厨房からもらったお菓子もまだ残っている!? 今日、朝食を食べてないのー」
ライラの声に、侍女たちが笑う。
数ヶ月前、わたしが来たばかりのときにはなかった風景だ。
最初はとんだブラック現場に放り込まれたと思ったけれど、ちょっとは改善されたかしら。
わたしが入った頃の同僚たちは日々の仕事に忙殺され、死人のような目をしながら必死に働いていた。ここは日本と違い、残業や休日出勤手当の出ない労働環境なので、精神的に参ったり、身体を壊したりで離職者が多発していた。あまりに酷い状況に驚いたわたしだったが、持ち前の体力と頭脳で仕事を一通り覚えた後は業務改革に乗り出したのである。
現状の業務内容の多さと離職率の高さを文官たちに根回ししつつ直属の上司に提言し、新たな人員の確保。掃除用具や洗剤など充実させて環境を良くし、何度もミーティングをしながら効率的な清掃方法を模索してマニュアルを作成した。ノー残業を目標に日々協力して仕事を行うことで連帯感が生まれ、職場もいい雰囲気だ。
ここが女性中心の職場で、わたしがガードナー侯爵令嬢ってこともあって推し進められたわよね。おかげで、上司には嫌われちゃったけど。
紅茶を飲み干すと同時に、始業の鐘が鳴る。
わたしは意識を仕事モードに切り替えた。
「さて、仕事開始です。掃除班と清掃班に分かれて今日もバリバリ仕事をしましょう!」
「「「はい!」」」
わたしの掛け声と同時に、同僚たちが動き出す。
掃除用具を持って、清掃班の同僚たちがわたしとライラの元に集まった。わたしはエプロンのポケットに忍ばせているスケジュール帳を取り出す。
「今日は謁見の予定もないし、午前中のうちに謁見の間から大ホール前の廊下を掃除してしまいましょう」
「午後になると人が増えるからねー」
ライラは小さく溜息を吐いた。
「東棟は外務省の長丁場になりそうな会議が入っているようだから……午後は西棟の客室掃除ね」
「さすがフェリス。文官の事情にも詳しくて助かるよ。会議中に廊下とか掃除していると、煩くするなって怒鳴られたりして面倒だったし」
この各部署のスケジュールは、わたしが知り合いの文官たちから仕入れた情報をまとめたものだ。前世のように事務が会議室や各部署の予定を把握したり、スケジュールを配布するなんてことはないから、少し面倒だが自分で作っているのである。
これを作るのに、結構時間がかかっているのよね。目の前の小さな苦労と、未来に起こるかもしれない大きな苦労を比べると、どうしても前者を選択してしまうから仕方のないことだけど。我ながら仕事に関してはくそ真面目な性格よね。だから前世で社畜になったんでしょうけど。……嫌なことを思い出しちゃったわ。
「……フェリスどうしたの?」
眉間に皺を寄せたわたしに、ライラがが問いかける。
わたしは「なんでもないわ」と言って曖昧に笑った。
「そろそろ行きましょうか」
掃除用具を持ち、わたしたちは謁見の間前廊下まで歩いて行く。
そして到着して掃除用具を下ろすと、少し離れた場所で人がざわめく声が聞こえた。
「あら、珍しいわね」
声の方向を見れば、派手な一団が颯爽と廊下を歩いている。その中でも目立っているのは、クールな印象の赤髪に鳶色の瞳の美青年――レヴィン陛下と、優しげなお兄さんという雰囲気のブラウンの髪の美青年――カルロ・アトキンス公爵だ。
……芸能人みたいでキラキラオーラがすごいわ。
彼らは熱心に書類を見ながら会話をしており、一分一秒でも惜しいという雰囲気だ。当然、わたしたちの存在にも気づいていないだろう。
……うわぁ、社畜お疲れ様です。エリートは大変ですね。
僅かにレヴィン陛下たちへ同情しながら、わたしは目立たぬように廊下の隅に控えて頭を下げる。レヴィン陛下御一行が通り過ぎてから頭を上げると、横にいたライラがうっとりとした表情で彼らの後ろ姿を見つめる。
「はぁ~! レヴィン陛下とアトキンス公爵、今日も素敵よねぇ。フェリスはどっち派?」
「またその話? わたしはどっち派でもないわ」
王宮に勤める若い女性たちの話題の中心は、タイプの違うイケメンのレヴィン陛下とアトキンス公爵だ。誰々がふたりに告白して振られただの、何々が好きらしいだの、どっちに抱かれたいだの……会話の内容は前世の女子と変わりない。
「フェリスったらお堅いわよね。私は断然、アトキンス公爵派だけど。没落貴族や平民の女の子にも優しくて、私にも気さくに声をかけてくれるの。この間なんて、握手しちゃった!」
……会いに行けるアイドルかよ。
「夢見ているところ申し訳ないけれど、アトキンス公爵と言ったら女好きで有名よ。女の子に優しくするのは、下心があるから」
アトキンス公爵は前世でいうプレイボーイで、数々の女性と浮き名を流している。社交界では有名である。
彼がすごいのは文官として随一の能力を持ち、二十代後半で国王筆頭補佐官をやっているところだ。まだ年若く政敵が多いはずなのに、一度も女性関係で大きく問題になったことはない。ハニートラップに引っかからずに遊ぶ女性はちゃんと見極めていることから、かなりのやり手だ。
正直に言って、わたしは近づきたくないわ。頭の切れすぎる男は幽霊よりも怖い。わたしの中では未知の生物……エイリアンのカテゴリーよ!
「あんなに格好いいのよ。一晩ぐらい遊ばれてもいいわ」
「本気にならないといいけど」
ライラに忠告すると、彼女はフッと鼻を鳴らす。
「ならないよ。ただの目の保養よ。私は自分の身の程っていうのは理解しているし、実際に身分の高い人と付き合うとか苦労の連続でしょ。ナイナイ」
「さすがライラ。見た目と違って超現実的ね」
「でしょー。女は強かに生きていかなきゃ」
ライラと小さく笑い合うと、わたしは箒を持った。イレギュラーはあったけれど、人通りが少ない今のうちに作業を進めたい。
「さっ、仕事仕事。大理石に顔が映るくらい綺麗にするわよ!」