エリート候補と家族 2
衣装部屋の中には夜会用のドレスはもちろん、ワンピース、コート、騎士服まで多種多様のものが揃えられており、そのすべてが上質な生地で仕立てられたオーダーメイドである。
帽子やアクセサリーも腐るほどあり、オシャレを楽しもうと思っていたさっきまでの乙女心はどっかへ飛んでいってしまった。
……コーディネートを考えるのめんどくせぇ。
学生時代の前世のわたしはオシャレが大好きだったが、就職すると共に毎日私服を考えるのにウンザリし、制服を着る学生やOLを本気で羨んでいた。
そして、今のわたしもオシャレよりもエリートを目指すために切磋琢磨することに必死だった。結果……気の抜ける家でオシャレをする意味を見いだせない。ジャージやスウェットが恋しい。
「適当でいっか。この綿100%のワンピースとかいいわね」
手に取ったのは、膝下まであるシャツワンピースだ。色は爽やかなミントブルーで、デザインは上品かつ可愛い。ハッキリ言うと、男がいかにも好きそうな服だ。
「あー、ここの服とかアクセサリーって……全部ロジェの趣味よねぇ」
衣装部屋をぐるりと見渡した後、わたしは深く溜息を吐く。
今までオシャレに興味がなかったということは、服なんて注文したことはない。そうなると、選んでいたのはガードナー侯爵家唯一の住み込み使用人のロジェだけだ。
わたしは一度もロジェに服のことを聞かれたことがない事実に気づき、反射的に身震いをする。
「年頃の娘の服のサイズを31歳独身男性が知っているとか、マジで気持ち悪いわ。これからは自分の服は自分で注文しよう」
身の危険を感じたわたしは固く決意する。執事の愛がキモい。
「化粧は……出かける用事もないし、いいか。アクセサリーも面倒ね」
衣装部屋の中には、ドレッサーも置いてある。わたしは高級美容クリームを惜しげもなく顔に塗りたくる。
「家って、本当に潤っているわよねー」
ガードナー侯爵家は領地を持たない法衣貴族だ。だが、父も母も兄も優秀で、それぞれが自分の好きな仕事をしてとても稼いでいる。おかげで侯爵家でも豊かな家だと評判だ。
……前世だと、領地を持っている貴族の方がお金持ちなイメージがあったけど、意外とそうじゃないのよねぇ。
領地持ちがみんな金の採れる鉱山を持っていたりする訳ではない。そんなのはごく一部だ。
広さがあっても作物がうまく実らない土地もあるし、水害が多い土地もある。領主は災害や事件があれば街を守らねばならないし、そのために必要な人件費だって馬鹿にならない。
その結果、安定した王宮勤めの貴族や商売が成功した貴族の方がお金持ち……なんてことは珍しくないのだ。
「嫁入りするなら、領地持ちは勘弁ね。法衣貴族の次男、三男が狙い目かしら」
適当なことを言いながらブラシで髪を梳くと、わたしは衣装部屋を出た。
すると、パーンッと弾ける音と共に紙吹雪が舞う。
「「「おめでとうございまーす!」」」
陽気な大人たちの声が聞こえたかと思えば、クラッカーの火薬の臭いがした。
「……お父様、お母様、ロジェ……何をやっているの?」
「何って、可愛い娘が騎士団に行かなくなった祝いだよ。僕は嬉しくて泣きそうだぁ」
お父様――クリフ・ガードナー侯爵が眼鏡を外して涙を拭く。
彼の職業は薬師で、非合法ギリギリの怪しげな薬を作っては高値で売りつけている。具体的に言うと、人に動物の耳をはやす薬とか、男にしか効かない媚薬とか、そういうくだらない物ばかりだ。
……薬師じゃなくて、マッドサイエンティストなのかもしれないわね。大物貴族とも取引があるというのだから世も末だ。
「どうして嬉しいのよ。娘が就職しないって駄々をこねているようなものよ。スネかじりなんて嫌でしょ」
「骨の髄までしゃぶってかまわないよ」
中年なのに、少年のようなキラキラとした笑顔でお父様は言った。
……ニートになる宣言をして喜ぶって、人間としてどうなの。
「そうよ、フェリス。汗臭い騎士なるのなら、仕事をしない方がいいわ。家はお金に困っていないし。やるなら、もっと楽しい仕事にしないと!」
そう言って、お母様――ジリアン・ガードナーは妖艶に微笑む。
ちなみに、お母様が今着ている服は臍を出したインド風の派手な民族衣装だ。この国ではお腹と足をむやみに露出することは禁止されているらしいが、お母様がそれを気にしているのは見たことがない。
家でも、遊びに行く時も、職場でも様々な国の民族衣装を着ている。いくら美人で若く見えるからって、それはどうなんだと前世の記憶を思い出したわたしは思う。
「……楽しい仕事って何?」
楽しい仕事なんて想像もつかないな。
今更、社会が夢と希望に満ちあふれたものだと思っているフレッシュな若者になんて戻れないわ。
「なんかフェリス、急に老け込んだ?」
「確かにジリアンの言う通りだね。まるで仕事に忙殺される20代の若者のようだ」
意外に鋭い……!