エリート候補と家族 1
現れたのは、執事服を着た31歳の独身男性。栗色の髪に橙の瞳、背が高く体格は騎士のように引き締まり、見た目だけでいえば切れ長の目をした美形だが、今はそのプラス要素をすべて台無しにしている。
「……うわぁ、残念すぎる」
思わず真顔で本音を零すが、彼はそんなこと聞こえないとばかりにわたしの足に縋り付いた。
「お嬢様が10年間毎日続けた朝の鍛錬を休むなんて、体調不良しか考えられません! 風邪? 肺炎? 不治の病!? お願いだから、俺を置いて死なないでぇぇええ」
「……ロジェ、離れて」
「嫌ですぅっ」
そう言ってロジェはわたしのパジャマに顔を埋める。
この男は昔から泣き虫で、人目をはばからず泣いていた。ちょっとダメな男である。
「病気になんてなってないわ……って、パジャマに鼻水をすりつけないで。汚いわ。いい大人なんだから、人前で泣くのはやめてっていつも言っているでしょう。みっともない」
「お、お嬢様がいつもより辛辣!?」
あ、やばい。前世を思い出した影響で心に毒が入り込んでる! ……でも、もう浄化不可能だわ。
精神年齢が上がり、性格が少し変わっただけだと自分では思うが、他人から見たら劇的な変化かもしれない。怨霊とか悪魔とか取り憑いたと思われたらどうしよう……。
「……そんなお嬢様も大好きですっ」
あ、特に心配なさそう。
ロジェは顔を赤らめた。
わたしは小さく溜息を吐くと、ロジェを足蹴りして引き離した。
「年頃の娘の部屋に殴り込んでくるとか、どういう神経している訳?」
「申し訳ありません! ですが、お嬢様のことが心配で心配で……」
「まあ、いいわ。どうせロジェだし。家族みたいなものよね」
ロジェはわたしがガードナー侯爵家に引き取られた時、まだ歩くのもおぼつかないわたしの面倒を見るために雇われた使用人だ。
変人揃いのガードナー侯爵家の面々に気に入られ、なんだかんだと今まで働いてくれている貴重な……というか、ただ一人の執事だ。
……貴族の家なのに、執事一人で回っているって、ある意味すごいわ。
食事は近所の老婦人が定期的に作り来て、洗濯と庭の手入れは外部の業者まかせ。身の回りのことは家族全員一通りこなせる。警備は兄の作った王の寝室にも採用された防御魔術で鉄壁の守り。わたし以外の家族は人見知りなので社交もない。そしてガードナー侯爵家は領地を持たない貴族なので、領地経営で人を雇う必要はなし。
という感じに、前世の貴族のイメージとはかけ離れた生活をしている。本当に、家は変わり者しかいないわね。わたし以外。
「いけませんっ、お嬢様! 男はみんな狼なんですよ!」
「あーはいはい。そういうことは、彼女を作ってから言って」
「辛辣っ」
ロジェはハンカチで涙を拭うと、先ほどとは打って代わってキリリとした表情を見せる。
「お嬢様宛に貴族からたくさんのお手紙が届いております。殆どがパーティーの招待状で、他には騎士団や学会からのお誘いが――――」
「全部断るわ。……もう、意味がないし」
前世のように精神をすり減らし、疲労と寝不足でボロボロになりながら死ぬのなんて嫌だ。ガードナー侯爵家に泥を塗るようなことをするつもりはない。役立たずと捨てられてもいい。
だから……今度こそ自分のやりたい仕事をして、温かい家庭を作って、そして最後は孫に看取られて老衰……そんな平和な人生を送りたいのよ!
間違っても労災で死ぬなんて嫌!!
「こ、断る? 本気でそう言っているのですか?」
ロジェの冷たい声が耳に響く。
彼は執事だが、わたしにとって父や兄のような存在でもあり、剣術の師匠でもある。いつもわたしを応援して、期待をかけてくれた。普段は情けない顔ばかりしているけれど、相当頭にきているのだろう。
「本気よ。……わたしが騎士になるなんて無理だもの。ごめんね、期待に応えられなくて。ガードナー侯爵家から縁を切られる覚悟もできているわ」
ロジェの顔を見る勇気がなく、俯きながら泣きそうな声でわたしは答えた。
十秒、三十秒、一分と経ってもロジェは何も言わない。代わりに何度も鼻をすする音が聞こえる。
さすがに不審に思ったわたしは、そっと顔を上げた。
「え?」
……そこにはぐずぐずに顔を歪め、号泣する31歳の独身男性がいた。
「旦那様ぁぁああ、奥様ぁぁあああ! お嬢様が騎士団に入るのやめるそうですぅぅうううう!」
ご近所にも聞こえそうなぐらい叫ぶと、ロジェは泣き笑いながら部屋から走って出て行った。廊下からは父と母の「良かったぁ、本当に。可愛い娘をむさい騎士団へ送らなくて済むんだね」「今夜は家族パーティーよ!」というはしゃいだ声が聞こえる。
「……ええー、シリアスモードになった意味……」
わたしは再び真顔になり、バスルームで顔を洗うと身支度を調えるために衣装部屋へ入った。