入れ替え猜疑王の非日常 2
わたしには、3つの選択肢がある。
1、いつもレヴィン陛下がそう呼んでいるというベイカー伯爵の言葉を信じ、心を殺して、目の前の老人を「じいや♡」とおじいちゃんを慕っている孫風に呼ぶ。
わたしのメンタルとプライドに深いダメージを負い、身体の主であるレヴィン陛下への認識が百八十度悪い意味で変わること以外のデメリットはない。もし間違えても、冗談だと言えば不審に思われないと思う。
……たぶん客観的に見ればベストな判断。
2、ファーストネームの「ハロルド」で呼びかける。
側近に置いているぐらいだから、気軽にファーストネームで呼び合うのが、通常の成人男性たちの関係性だと思う。ただ、もしも別の名前で呼んでいた場合、不審がられる可能性も含む。
3、ゴミを見るような目で見下ろし、完全な拒絶を示す。
最もやってはいけない選択肢。普通に疑われる。けれど、わたしのメンタルは保たれる。フェリスとして素でいくならこれ。
さあ、どれにする……!?
将来のエリート候補と持て囃された若く才気溢れる頭脳をフル回転させ、わたしは選び取る。
「じ……じ、じ……じ…………ハロルド」
……ダメだった。どうしても、このクール系美青年の身体で『じいや♡』と甘えた声を出すことはできなかった。気持ち悪すぎるし、自分の仕えている国王がそんなキャラだなんて認めたくない!
もし、ベイカー伯爵が術者、もしくは関係者だった場合は、この質問でわたしとレヴィン陛下の入れ替わりを見抜くはずだ。
終わった……『じいや♡』呼びごときで、わたしの……いいや、この国の未来が消えてなくなるかもしれない。
半ば自棄になりながら立っていると、ベイカー伯爵がしわくちゃの顔をさらにシワシワにしながら両目に涙を溢れさせた。
「初めて……陛下に名前で呼んでもらえた……! じいやはもう……今日、天に召されても一片の悔いもありませぬ」
……気持ち悪い。どこのストーカーだよ。というか、名前で呼んだことすらなかったの!?
名前を呼ぶって、仕事において基本中の基本でしょう? しかも、自分の側近に!
「……た、ただの気まぐれだ。今から支度をするから、外で待っていろ」
「かしこまりました!」
パタンと扉を閉めた後、わたしはヘナヘナとその場に蹲る。
「……レヴィン陛下って、確実に色々拗らせているわね。顔はいいけど、付き合ったら絶対に面倒な男だわ」
身体の主に悪態をつくと、わたしはタンスに近づき服を引っ張り出す。いつまでも、シーツ姿で閉じこもっている訳にもいかない。不審に思われる行為は極力避けなければ。
「えっと……下着に、トップスに……コーディネートは無難に黒でいきましょうか。昨日、廊下で会ったレヴィン陛下も暗い色の服を着ていたし、不審がられることもないでしょう」
目を瞑り、レヴィン陛下の身体を直視しないように気をつけながら下着を履く。その後は騎士服を着るときの要領で、スムーズに支度を済ませる。男性の服は着るのが簡単で助かる。
洗面台で軽く顔を洗い、適当に髪を縛ればいつも城内で見かけるレヴィン陛下ができあがった。
「よしっ。フェリス・ガードナー、一世一代の演技を始めるわよ!」
慣れない低音に顔を顰めつつ、わたしは気合いを入れるために両頬を叩いた。
そして騎士のような男性的な歩き方を意識して、扉を開く。
先ほどはベイカー伯爵ばかりに気を取られて観察する余裕もなかったが、部屋の先はどこかの執務室になっているようだった。合計4つの机が並んでおり、うち端の二つには既に人が座っていた。
一人は、先ほど話したハロルド・ベイカー伯爵だ。彼の役職はたしか、国王第一秘書官。スケジュールの組み立てや、雑務、仕事の補助まで多種多様のスキルと経験が要求される。この国の柱の一人だ。
「陛下! 神に造られた奇跡の美貌と才覚溢れる凜とした瞳……今日もその姿を見られるなんて、じいやは世界一の幸せものです」
キモっ! でもなんか……デジャブを感じるわ。
一瞬、31歳独身彼女なしの執事の姿が脳裏に浮かんだが、慌ててそれを振り払う。ロジェと同じように対応したら、一気に入れ替わりを疑われてしまう。
「……私のことなどどうでも良い。仕事の状況はどうなっている?」
わたしがそう言うと、机に座っていたもう一人――――カルロ・アトキンス公爵がにっこりと笑った。
「執務室に入ってすぐに仕事の話とか、お前は本当に仕事中毒だな。まずは『おはよう』と挨拶するのが先だろう?」
まるで兄が弟を注意するような、厳しくも優しい声音に気を許しそうになる。だが、油断はできない。わたしは、アトキンス公爵こそが入れ替わり術を使わせた犯人なのではないかと思っているからだ。
理由は2つ。
まず、彼が宰相の地位にいるということ。この国の宰相は、外務省や財務省など国務に関する文官たちのまとめ役だ。怪しげな術者の身分を偽り、王宮内に潜り込ませることなど造作もないだろう。
もう一つは、彼の生い立ちだ。
彼の母は先王の妹で、現在王位継承権第一位。そしてアトキンス公爵自体も、王位継承権第二位を持っている。ただ、先王の妹は夫が亡くなってから身体を悪くして社交界から距離を置いているという。仮に王位継承権が回ってきても、病気を理由に次の王位継承者に譲るだろう。
つまり、レヴィン陛下が死んで王位が転がってくるのはアトキンス公爵である。
……この人には注意しなくてはいけないわね。まずは無難な対応を。
「……おはよう、カルロ」
ブスッとしながら、渋々という様子でわたしはアトキンス公爵に挨拶をする。
ベイカー伯爵とのやり取りで思ったが、レヴィン陛下はおそらく愛想はゼロのコミュニケーション能力の低い面倒な男だ。口数は少なく、態度も悪い方が自然だと思う。
「よくできました」
アトキンス公爵が婦女子たちを虜にする甘い笑みを浮かべた。
……良かった。正解だったみたいだわ。
レヴィン陛下の一人称と、アトキンス公爵への呼び方は夜会や式典などで聞いたことがある。間違いはないと分かっていても、ホッと胸が軽くなるのは致し方ないだろう。
アトキンス公爵は立ち上がると、いくつか書類を持ってわたしへと近づいてくる。
彼は資料の内容を説明するかのように、ごく自然に言葉を紡ぐ。
「公の場以外でレヴィンが自分のことを『私』と呼ぶなんて、初めてじゃないかな」
アトキンス公爵の瞳は鋭く光り、先ほどまでの友好的な表情は一切消えていた。