入れ替え猜疑王の非日常 1
いや、ちょっと待って! 本当に待ってよ!
わたしは純白のシーツを身体に巻き付けると、胸が隠れるように肩で結んだ。線の細い女性がすれば艶やかな姿だったろうが、肩幅のある成人男性がするとどこぞのバイトの神様のような風貌である。
「こ、これがわたし!?」
疲労困憊の肉体を動かしながら、どうにか鏡に映る自分の姿を目に焼き付ける。焦った表情や手の動きは完全に連動していて、目の前の成人男性が自分であると認識するしかなかった。
「……確かに小さい頃は変身願望はあったわ。お姫様になりたいとか、華麗な剣技を操る女性騎士や卓越した知識を持つ魔術師になりたいとか……。でも、男……さらには、王様になりたいなんて思ったことないわよ!」
普段の仏頂面からは連想しにくいが、わたしの肉体はオルブライト王国の頂点……レヴィン陛下で間違いはない。こんな美青年が二人いてたまるか。
「ああああああああ! どないなこっちゃ!」
方言混じりの奇声を放ちながらロックフェスのように首を上下に動かし、髪をグシャグシャとかき混ぜる奇行をたっぷり3分間行った後、わたしの精神は『……この言動はキモいわ』という客観的なものへと落ち着き、冷静さを取り戻した。
「一度、状況を整理しましょう」
自分に言い聞かせるように話すと、わたしは部屋の中を見渡す。
まず、信じがたいことだが……わたしの肉体がレヴィン陛下だと仮定する。全裸だったが、やわらかなベッドに寝ていて、身体拘束はされていない。とりあえずは、命の危険がある場所ではないと考えられる。
「そうなると、ここはレヴィン陛下の私室? それにしては……狭いわ」
置かれている調度品、家具は一目で上質なものだと分かる。だが、部屋の大きさは十畳ほどだ。掃除はそれなりにしている形跡はあるが部屋の隅には埃が少し溜まっており、あちらこちらに本や物が積み上がっている。さらには日常的に使った形跡のあるキッチンがあり、小さな浴室も備え付けられているようだ。
「……どう見ても、一人暮らしの男の部屋よね」
国王の私室と言えば、無駄に広くて掃除が隅まで行き届き、侍女がなんでもやってくれるような場所じゃないのだろうか。わたしの想像がおかしい……という訳ではないと思う。
「そう言えば、アラベルからレヴィン陛下のお世話をしたとか聞いたことないわね」
王族のお世話はたしか、応接部門が担当していたはずだ。わたしのことを良く思っていない彼女ならば、レヴィン陛下のお世話をしたら嬉々として報告するに違いない。
ということは、レヴィン陛下は侍女の世話を受けない生活をしていた?
あくまで仮説だが、あり得ない話ではない。何故なら彼はお母様曰く『猜疑王』なのだから。他人の世話を受けることを危険だと感じてもおかしくはない。
「ここがレヴィン陛下の私室だというのは八割確定ね。軟禁されている……という可能性もなくはないけど」
部屋に唯一ある窓を覗けば、ここがかなり高層階に位置していることが分かる。遠くに城下街が見えることから、オルブライト王宮の中ではあるようだ。
幽閉の可能性はとりあえず思考の隅に追いやり、わたしは一番大事なことへ注力する。
「……問題は、わたしがどうしてレヴィン陛下になっているかね」
まず、一番怪しいのは、昨日の地下書庫の続き部屋で起きた心霊現象だ。
「わたしが死んで霊になってレヴィン陛下に乗り移っている……っていうのは考えたくないから、とりあえず魂の入れ替えが起きたと考えましょうか。……そんなことができる魔術なんて聞いたことがないけど」
だが、魔術の可能性がないと切り捨てることはできない。わたしは魔術の専門家ではないし、あり得ないことが起きている状況で、常識など通用するはずがないからだ。
「侍女長がわたしを貶めるために仕組んだ……っていうのは短絡的ね。一侍女であるわたしを狙ったというよりは、この国の最高権力者であるレヴィン陛下を狙ったと考える方が自然だわ」
わたしがこの入れ替え術の犯人だったとして、悪用する方法で一番最初に浮かぶのは『暗殺』である。
たとえば、レヴィン陛下と虫や鼠の魂を入れ替えたらどうだろう。レヴィン陛下の肉体の方は気が触れたで片付けられるかもしれないが、虫や鼠の身体に入った魂は王とは認められず、厳しい環境に適応できたとしても驚くほど早く死ぬ。
「……わたしと身体が入れ替わったのはイレギュラーだった? 憶測の域を出ないけれど、これだけは間違いないわ。今、この瞬間……わたしに信用できる人間がいないってことよ」
人目に付きにくい地下の奥深くにある部屋に凝った術を仕込むということは、この入れ替え術はホイホイと簡単に行使できるものではない。いくつかの条件が必要なはずだ。
そして、地下倉庫に行っても怪しまれないということは、術者はすでにこの王宮に職員として潜り込んでいる可能性が非常に高い。
「……続き部屋で拾ったハンカチには、イニシャルが刺繍してあった。今思えば、あれはレヴィン陛下の名前の頭文字だわ」
そう考えると、レヴィン陛下のハンカチを拾える立場の人間が術者だと考えるのが妥当だ。
「身近な人であればあるほどその可能性は高くなる。崖っぷちの状況ね。あああああ、どーうーしーよー!」
頭を抱えて蹲っていると、突然、部屋の扉がガンガンと叩かれる。
ドキンと心臓が跳ねるのと同時に、全身からブワッと冷や汗が拭いた。
……術者が入れ替わりを察知して、真っ先に殺しにきたのかもしれない!
じっと動かず様子を窺っていると、扉の外から焦った声が響く。
「陛下! 陛下、愛しの陛下ぁ! 朝から何度も奇声を発していると護衛から報告がありました。怖い夢でも見ているのですかな? じいやが来たからには、もう安心ですぞ!」
お、思っていたのとなんか違う!
扉はガンガンと変わらずに叩かれ、終いには「今すぐ斧を持っていきますぞ!」という叫び声まで上がる。
このまま扉を蹴破られても困るし、テーブルにあった万年筆を武器として握りしめ、意を決して扉を少し開いた。
そこには、よくレヴィン陛下と一緒にいる老齢の紳士、ハロルド・ベイカー伯爵がいた。フェリスとしての面識はないが、彼のことは知っている。先王の時代から王に仕える側近で、かなり広い人脈を持つという。
「……何か、ようか」
慣れない低い声が小さく響く。
レヴィン陛下と言葉を交わしたことがないので、彼の口調は分からない。できるだけ男性的な口調を意識したが、わたしのことがバレないかヒヤヒヤする。
「……陛下」
「な、なんだ」
ゴクリと唾を嚥下しながら、わたしはベイカー伯爵の出方を窺う。
ここからはレヴィン陛下になりきって乗り越えなくてはならない。失敗は極力避けねば、わたしの命が簡単に散るだろう。
「いつものように、じいや♡と愛情を込めてと呼んでくだされ」
わたしは白目を剥いて気絶しそうになる。
成人男性が側近を『じいや♡』と呼ぶのは正解なの!? 不正解なの!? もう、お願いだから誰かわたしと入れ替わってよ!
……もうこの身体嫌だ。